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サクラバ・ユウ・ショー 第5話

第5話

 火が燃えている。
 やにわに興奮して周りが見えなくなるように、まさにそのように火が燃えている。
 うみべで、夕暮れのサーファーズパラダイスで、観光客でごった返すビーチで、炎に包まれた足で砂浜を踏み焼きながら、あるいは憎き竜人の喉笛めがけて槍の切っ先を向け、平和な世界にひびを入れる炎の悪魔と化していても、それは真夏の蜃気楼にすぎない。
 実際のところ、ウニベルシオはいま、よどんだ大気の下の荒野に立っている。昨日もそうだったし、明日もそうだろう。おそろしげな黒い獣と化し、見渡すかぎりの荒野を駆けて、霧に隠れた地平線を見据え、底なしの毒沼の上を跳躍し、病んだ枯木をなぎ倒し、瘴気を放つ花を踏み荒らし、そして吼えて邪悪な生命と呼応する。
 だが彼は燃えている。全身に炎を纏わせている。何かを燃やし尽くさなければならない。ここにいることを証明するために。
 人間どもの悲鳴に耳を貸している暇はない。すべてを燃やすことができなければ、せいぜい思い出のスクラップブックにされるのがオチだ。

 ウニベルシオの目の前で、覇気のないジノが友愛を説く。
 彼は逆上する。一方的な問答と支離滅裂な前口上をまくし立て、一度うしろへ飛びすさったかとおもうと、槍を一点にめがけて突き立てた。
 彼女は肩に担いだ撮影用のカメラを守りたかったのだろう。反対の手で槍を掴むことに成功する。大火傷を負うどころではない。血が噴出する。
 彼女の瞳に映る太陽が菱形に歪んでいる。長老の声を聞き、次いで人ごみをかきわけやって来たユウに名前を呼ばれ、気力を持ち直した。が、困惑してしまった。
 ウニベルシオが足下から凍りついたように動かない。
 彼はきっと、夕凪時にはめずらしくさっと吹き付けてくる塩からい風の中から、きれぎれに、あのおとこのまとわりつくような笑い声を聞いたのだ。
 観光客だと思っていたものはみな白い泥人形で、一様に彼のほうを向き、声々に嗤っている光景を見たとき、彼は理解した。この身体は確実に呪いに汚染されているのだ。
 まだあのおとこの両眼の中に彼はある。流星島は紫の薔薇の幻でいっぱいだ。
 なに、毎日会っているじゃないか。奴の名は。心臓まで凍りついた、残酷で色情狂で偽善者のあいつの名前を呼び起こす。

 *

 黒い空の下、人間には住めない大地が広がり、そこに魔の三角地帯と呼ばれる区域があった。
 虎とも若駒ともつかぬ影が、平坦な地平を駆けて駆けて駆けかすみの奥へ消えていく。
 波打つ尻尾がぬるい季節を拒み、灯心のはぜる火の粉を生み出し飛ばしていく。火の粉は風に舞い、火の細い線を走らせる。地面に当たると音を立てた。
 火の粉は黒い古木に小さな穴をうがち、激痛に耐えきれずに叫び声を上げる古木の訴えを空に響かせた。
 影は走る。かたちもなく走り、理由もなく走った。
 眼前に巨大な漏斗状の窪みがあらわれた。底に街が広がっている。その中心に円形野外劇場があった。駆け下りていく。民家が並んでいる。住んでいる人の気配はない。だが宿場があり、飲食店があった。
 やけに長く続く石の壁に沿って走っていたが、何かに気づいたときにはもう遅く、彼は氷の罠にかかっていた。
 いまはもう人間のすがたに身をやつしている彼の両手両足が凍りついている。
 動けない。
「つかまえた。これが炎の悪魔? すこし焦げ臭いや」
 紫色に光る瞳を宿した若いおとこがあらわれた。四つん這いのまま喚き散らかす彼の背中にまたがって乗る。
「乗るな!」
「アハハハハ、遊園地みたい、アハハハハ」
 貴公子のようで子供じみてもいる柔和な笑顔を浮かべるおとこの背後から、3人の仲間と2人の魔界案内役がおそるおそる近づいてくる。エスパシアスさん、と彼の名を呼ぶ。だいじょうぶだよ、と彼は返す。
 エスパシアス、と彼は名乗った。
「やあ、炎の悪魔くん。実はここに僕の友だちのサラミ職人がいるんだ。きみは悪魔のサラミになってもらうよ。はるばるこんな辺鄙なとこまでやって来て、みーんな、お腹がぺこぺこなんだ」
「うるせぇ離れろ、これを壊せ!」
「罠は解かないよ。きみはこれから見せ物として解体されるんだ。内臓も血も丁寧に抜き取られ、目玉は僕が欲しいな……あとの肉はぜんぶ彼にあげちゃう」
「ふざけるな! そんなのは嫌だ!」
 氷の枷の締め付けが強くなる。凍傷を起こした部位に力が入らない。
「きみにもっとひどいこともできる。二度と溶けない永遠の氷漬けにすることも。それで友だちのウェイターに渡してもいい。きみは《絶望の表情で眠る悪魔を閉じ込めた氷》として見せ物になり、毎晩アイスピックの刺さる音を聴くんだ。で、どっちがいい?」
 ふいに顔を上げて横を向き、「否」を突き付ける咆哮とともに炎を吐きだした。
 不用意に近づきすぎていた女が黒焦げになる。魔界案内役と残りの仲間たちが一目散に逃げていく。
 不機嫌なエスパシアスだけが残る。
「は? サラミにしたんじゃ釣り合わなくなるんだけど? 困るな、そういうことは」
 怨嗟の歯軋り。唸り声。
「ねえ、一緒に仕事しない? タフなADが欲しいところだったんだ。ガッツがあって子供が好きなヤツなら誰でも歓迎だよ!」
「はあ?」
「じっくり聞かせてあげるよ。ぼくの仕事を」
「知らねえよ」
 パァン。ケツを叩く。
「おいやめろ!」
 パァン。2発目。
「ぐっ……!」
「まあ、今に立たせてあげるって。一緒に付いてきてくれるなら、だけど」

 *

 一見粗末なレストランだが二重のバリアーに護られている。
 エスパシアスの仲間たちは震えながらリーダーの帰りを待っていた。
 時間をかけて前菜を胃に押し込んだあと、魔物のサラミが出てきたのにみな参ってしまった。だが一度口にするとやめられないとまらないといった勢いでワインも進む進む、みんな食欲を取りもどし、妙にどろりとしたワインをがぶがぶ、そろってふらふらになってしまった。
 仲間のひとりが言う。
「エスパシアスさん、大丈夫なんでしょうかね」
 カウンター越しにオーナーは手際よく片付けしながらも調理を続けている。
「大丈夫じゃないねぇ。あいつね、500年生きてるし、悪魔のなかの悪魔だし、残酷で色情狂で偽善者なんだ。心臓まで凍ってるんだ。あいつはねぇ。ぜんぜん大丈夫じゃない」
「それはつまり、大丈夫ってことですか!?」
 瞳に期待の火を灯らせる。
「いや、大丈夫じゃない、ってことなんだねぇ」
 それは。
 つまり。
 はてさて。
「あいつね、見境なしの色情狂なのでね。ほんと困るよね。今ごろベッドであの悪魔とおねんねしてるんじゃないかな。いや冗談じゃなくて。そういうやつなんだ」
 んでもって。
「なんか、その気にさせる呪力でもあるのかな。いずれにせよ、巧みな言葉だとかテクニック……があったところで空しいだけじゃないの。少なくとも料理の術のほうがマシさ。お腹だけじゃなく心まで満たしてくれるからねぇ」
 大皿におかわりのサラミを盛り付ける。ここでは綺麗に輪切りなんかしない。チーズとともに乱雑に大きくカットして、皿の端からこぼれ落ちるまで山を作るだけだ。
 妙にどろりとしたワインを注いで回った。
「はぁ、やだよ。みんなして女だの男だの口をひらけば異性のことばかり。同性でもおんなじことさ。ぜんぶ二次性徴が悪いんだ……ところで、あの色狂いが子供番組のプロデューサーを務めてるってのは本当なのかい……?」
 彼もワインを飲み始めた。
「それについては、訂正とともに私が懇切丁寧に説明してあげましょう」
 包帯ぐるぐる巻きの女が名乗りでた。彼女が一番飲んでいる。

 *

 だけどまた出会ってしまうふたりみたいに2本の煙草が交錯している。どちらもほとんど吸われずに長いままだが、かたや白さをたもち、かたや痛ましく折れ曲がっている。
 冷えた血にまみれたクリスタルの灰皿のなかで2本の煙草は背を向けている。
 だが伸びていく彼らの影のつくり出す透明な交点上にはふたりの出会いが約束されていた。
 夜が明けてもこの世界の空は黒い。明けない夜もある、ということをあらわしているならば、どうせなら目覚めないほうがよかったのだ。
 われに返ったウニベルシオは、いつの間にか外されていたベルトを発見して拾い上げた。
 鏡台に紫の薔薇とともにメモ書きのメッセージが置かれていた。
 鏡に映った、痣のできた上半身を一瞥して目をそらす。冷たくてあたたかい屈辱の時間を思い出す。氷と炎が正面からぶつかればあたりがぐしゃぐしゃに濡れるのは当然だ、といった具合に彼は泣いていた。
 メモに書かれた地図に目を通した。くしゃくしゃに縮めて屑籠に捨てた。が、思い直して拾い上げる。
 翌日から彼の苦労が始まった。
「早かったね」とおとこは驚きをもって彼を迎え入れる。
「うるせえよ」と新入社員は顔を背ける。

 性急だ。
 奴の心は底知れず、見かけは他愛無い。

 *

 彼はテレビというものを知った。チャンネルを変えるときはがちゃがちゃとつまみを回した。リモコンは使わなかった。ずっと見ていて飽きなかった。夜中までテレビを見た。なかでもカートゥーンのアニメが好きだった。
 彼はメビウサルヤの家で暮らした。彼は彼女の弟として生活した。悪い気はしなかった。
 彼は自分の仕事を知った。下っ端だった。真面目に働いた。ときどき暴れた。暴れるとエスパシアスに凍らされた。彼は海の見えるモノレールで出勤して退勤した。彼は初めての給料で丈の長いコートを買った。
 彼はユウに出会った。彼に不釣り合いな友達だった。こんなにも屈託のない笑顔を今まで知らなかった。うつむいていたときには背中を押してくれて、風みたいだと思った。人ごみのなかに戻っていく小さな背中を見て、光みたいだと思った。
 だが、どんなときにおいても彼は炎の悪魔なのだ。
 あるとき憤怒の感情が積もり積もって爆発する。

 *

 サーファーの聖地に火焔の渦が巻き起こり、ウニベルシオの姿が出現する。
 水平に伸ばした腕は、炎の螺旋に浸食されている。刃にも似た腕で世界をひと薙ぎすると、包帯がほどけるように炎はほどかれていく。
 宙に浮かんでいた幾千の塵芥は炎に洗われ、薔薇のように散っていく。
 一見何事も起こらなかったような静寂。純な悪の力を取り戻すことで起こる理不尽な一瞬の世界灼けに痛ましくも拳を強く握った。炎天に腐敗する刃だ。

 眼球が樽のように回転しそこから悪魔の哲学が流れ始める。

 髪の毛が炎に洗われていく。深紅に髪色が変化する。流れていく。清純に、潤滑に、なびいている。跳躍する獣の脚が残す軌跡だ。遥かな天体の運行だ。無声映画の凶弾だ。
 探していた逆回転の音楽が瑞々しく火花を散らす。美しい季節を拒絶して、天使の重力を吹き飛ばし、ここちよい闇のなかに酔いしれ、深紅に染まった凍える脳髄に砕氷船を走らせた。
 彼は人生の安息日を赤く塗りつぶすために生まれたのか。遠浅の海は闇の跫音を聞いている。
 彼は狂うのをやめた。もはや完全な悪魔なのだから。
 右手に炎の槍が現出していた。
 血のように滾り、言葉では形容しがたい破壊的な原色の赤色を帯びている。
 炎の槍がジノと呼ばれる竜人の首に向けられている。
 いつでも貫けるはずの喉笛だ。触れるか触れないかまで迫ったその切っ先に、呪詛が供えられていく。
 あるときは路上に、
 あるときは握りこぶしのなかに、
 あるときは蕾のなかに、
 偏在する、
 悪だ。

 炎の悪魔が真のすがたに変身するさまを目撃した碧咲は、鼻息を荒くさせた。
「バズりそう」
 うらおもてなく率直に感想を述べるのが、彼女の良いところ。
「じゃなくて、友達がピンチだわ」
 彼女はずっと迷子のユウを探していた。実は彼女自身も迷子になっていたのだが。ディレクターなのに。

「肉体をかたちもなく、ぐしゃぐしゃに燃やし尽くしてやる」
 世界は、と大きく構えたあとに、彼はもう炎しか信じられない眼差しで睥睨する。
「いまさら怯えたって遅いぜ?」
 ジノはというとユウに怒られてからというもの、棘のある口は慎んでいた。
「仲良くしよう」
 彼女は忘れかけていたユーモアというものに行き当たる。
「燃える槍より、おもいやり」

 *

 血だまりのなかへユウが飛び出してきたおかげで、狂気のウニベルシオは正気に戻った。止まりかけていた足も自由になった。
「ウニくん、喧嘩はよくないんだよ?」
「あっ、久しぶりっす、ユウさん……」
 急にしおらしくなった。髪の毛も黒くなり柔和な顔付きに改まる。
「あ……元気してたかよ?」
「してたよっ! 夕陽を眺めに来たんだよね?」
「あ゛っ? ちげぇし」
「じゃあ、ハナエさんのところのケーキを買いに行くの? 坂を上ったらすぐだもんね」
「それも予定にねぇよ」
「でもこの前、公園でメビウサルヤさんに会ったけど、ウニくんはあそこの苺ショートが好きなんですよ~って言ってたよ」
「ばっ……アイツ!」
「言ってたどころか、みんなに吹聴、していたよ」
「吹聴!?」
「うん」
「疲れていて甘いモンならなんでも美味く感じたんだ、ハッ」
「そうなんだー」
 ユウはウニベルシオの頭をまじまじと見つめる。
「その首、大丈夫?」
「あ? 大したことねぇよ」
「でも傷痕が」
「こんな擦過傷など、思い出にすぎんわ!」
 見渡せばジノのすがたはなかりけり。
 燃えるうみべの夏のゆうぐれ。
「そういえば、さっき、顔が怖かったよ? あんなに怖いウニ君、初めて見た……」
「い、いや、それはなんでもないんだ! テレビの仕事は多忙だからな! ちょっとカリカリしていたんだ。ははは」
「みんなと仲良くするんだよ?」
「ユウさんが言うなら、そうするぜ」
 いい顔を見せつける。
 碧咲がニヤニヤしながらやって来る。ユウの背後に立ち、肩に両手をぽむっと置く。
「苺、好きなんでしたよね?」
「るっせ!」
「可愛い」
「やめろやめろあとあの青いのどこ行きやがった今度会ったら覚えておけタダじゃすまな……」
 うるうるとした瞳でユウに見つめられている。
「なんでもないぜ!」
 あらためて碧咲を見つめる。
「あと、おまえ、マジでセ……フレンドにしてやるからな!」
「セ……って何の略?」
 碧咲はまだニヤニヤしている。
「セ、世界で一番フレンドのことだよ! 略してセ○レだろうが!」
 するとユウがにぱーっと笑った。
「私、みんなのセ○レになりたいっ!!」
 !?
 !?
「あ゛っ!?」
「なっ!?」


おそれいりますが
しばらくそのまま
お待ちください
SR(サタニカライズ)より

 …………
「取れ高たくさんだよ」
 どこかでそうつぶやく声が聞こえた。
 …………
 彼女たちは浅瀬で遊ぶユウを撮影し続けた。
 だがそろそろ切り込む時間が来た。
 サクラバ・ユウ。彼女はいったい何者なのか。
《流星島みんなのお人形さんでありお友達》であるとは、どういうことなのだろう。
 それを知りたくて、碧咲はたずねる。

 

 (ツヅク)

 

 

 

 

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