異種ゲーム間におけるインスピレーションの交換について ~麻雀からの示唆・2~
しばらくの間競馬を離れていた私がその間に熱中していた麻雀から得た思考のヒントとは何だったか??をテーマとして綴る2回目。1回目は複数の技術の均等習得とそのバランスのよい運用――。2回目の話題は、麻雀でおなじみのワード、「キタイチ」である。
序
数年前から麻雀に熱中するようになった。詳しい経緯はこちら――。
今回はこのテーマの2つめである。
麻雀をやっていると「期待値」というワードに遭遇することが多い。また、意味的には期待値を表している別のワードで「局収支」「半荘収支」などという言葉も――(個人的には「期待値」はMリーグの赤坂ドリブンズで活躍中の園田さんによく似合う言葉という印象もある)。
「麻雀のあるゲーム中に親がリーチをかけている場面で子の自分が愚形1300でテンパった。リーチするのがよかったどうか」ということをゲーム後に振り返って考えるとする。
これに一定の結論を出したとする。しかし、たとえば同じ状況でも「自分が良形1300ならどうだったか?」、「愚形2600なら?」「残り巡目が3巡しかない場合は?」「親に通っていない筋がまだ10本以上残っていたら?」「自分が圧倒的トップ目の場合は?」「テンパって切る牌が両無筋なら?」などなど、少し状況が変わって考え合わせる条件が変われば結論もまた変わっていく。
ただ、麻雀においてそれを考えて答えを出す際のポイントは「今回たまたま放銃を避けて自分が上がれたかどうか」ではなくて、「(仮に)1万回同じ状況に遭遇したときにどちらの選択肢をとる方が期待値が高いか」に重点を置くことなのである。
これはこれで初級者には酷な話である。
私は将棋でもうこれ以上は上達が見込めないように感じて、運要素も絡む麻雀ならば将棋の時よりも上のステージに進むのも可能ではないか、という理由で麻雀の世界に踏み出したのだった。ところが、少なくとも数手先の未来をできるだけ正確に思い描かなければならないという地獄から逃げ出して行き着いたのは、同じ局面が1万回やってきたときにどの選択肢をとるのが得かをイメージせよ、という別の地獄であった。運が絡むゲーム、とは到底プレイヤーに優しいものなどではなく、時に理不尽とも思える不運をプレイヤーに与え続け、それにもめげずひたすら期待値が高いと思われるムーヴを繰り返せ、というある種の「行(ぎょう)」のようなものだったのである。
1、馬券の実現確率とオッズから考える1レースあたりの回収期待値
大数の法則に基づいて勝つ / 負ける
「勝つ確率が最も高い馬の単勝を買えばよい」、そう思っていた時期が私にもありました。あなたにはありませんか?
ただ、その勝ちそうな馬の単勝オッズは期待される勝率と勘案して十分にお得な買い物なのか? を考えることの方が馬券で勝つには大切である。麻雀に勤しむ中で、この期待値に基づく考え方の重要性を(元々わかっていたこととは言え)イヤと言うほど再確認することができたのは大きな収穫だったと思っている。
AIやコンピュータを用いた、競馬に勝つ、競馬で収益を上げる方法とは、「期待勝率50%の馬の3倍の単勝」のように、「的確に算出された期待値が1を越える馬券」のみをひたすら買い続ける。「どうしても結果に偏りが生まれてしまう程度の回数ではなく、膨大な試行回数を繰り返し、大数の法則が物を言うまで行うこと」にあるだろう。
回収率が101%でも10億円投資すれば1000万円の利益である。以前、馬券での所得を申告せずに追徴課税を命じられた人が外れ馬券を経費として認めるよう裁判を起こした事例があったと思うが、その人も数十億円単位の馬券をコンピューターを用いて自動購入していた。外れ馬券が経費として認められた判例というのも、投資(?)の目的で長期的・継続的・恒常的な馬券購入の履歴があった場合だけだと記憶している。
そのような買い方をしていれば競馬も立派な仕事・投資である。
しかしそれは、多くの人が楽しみたい競馬とは異なってくるだろう。
いくら確実な利益を見込んでのものとは言え、年間にわたって数十億円単位のお金を馬券購入にあてるのに抵抗がないという人は少数のはず。私のような庶民は「ある程度の資金投入」で「ある程度の利益」を、そう思って馬券購入しているのではないか? そのような方法はないものか??
それでも、「繰り返せば繰り返すほど大数の法則に絡め取られる」がギャンブルの真実である。競馬で言うと平凡な予想力であれば馬券を買えば買うほど回収率は70~80%に収束していく。類いまれな予想力をもってしても100~110%が関の山。自分の予想力が競馬ファンの中のおよそひとつまみであろうこのレベルに到達したとしても、毎月5万円程度馬券を購入した場合にようやく年間利益6万円である。もっと儲けたければ購入金額を増やせばいいじゃないかと人は言うかもしれないが、自分の資金力に見合っていない購入額に上げても予想はぶれないかという別の問題が発生する。
やはり競馬でそれなりの利益を出すということは簡単な話ではない。
2、的中率とオッズから考える、複数レースあたりの回収期待値
また異なる局面の期待値について考えてみよう。
あなたは「〇倍の馬券を〇回に1回以上当てればよい」という考えで馬券を購入していますか? あるいはしたことがありますか? これが実現できれば馬券で勝てますよね。
20倍以上つく馬の単勝ばかりを買い続けた4年間
競馬への参加機会が極端に少なかった2020~2023年あたり、私は単勝20倍以上の馬ばかりを狙って買うという実験をしていた。実験と言えば聞こえはいいが、あまり考える時間もないしかけられるお金もないから少ない機会で楽しむ方法をこのようなやり方に見出していたという方が正しい。
参加レースはほぼ重賞のみ、当然毎回買うわけでもないから年間の購入レース数が20レース程度だったのではないかと思う。
3年間回収率をチェックしたが、大まかに言うと、80%台、150%、0%、という3年間だった。
~的中した20倍以上の単勝例~
3勝クラスの勝ちっぷりにほれこんで追い続けたナランフレグ・高松宮記念
降着での棚ぼた的中モズスーパーフレア・高松宮記念
様々な券種を自在に使いこなしてどの券種でも100%を超える回収率を悠々とたたき出す天才はまれだろう。多くの凡人は自分の得意な券種に絞って、しかも何倍の馬券を何%の的中率で狙っていくのかを明確にすると競馬の収支の見え方が違ってくるかもしれない。
私の場合は単勝が長年買い続けた券種で自信・思い入れもある。10倍以上でもなかなか当てるのが大変、20倍以上などそうは当たらないことを以前に身をもってわからされている単勝馬券で、改めて20倍以上の単勝を買い続けた期間にはシンプルながら新たな発見もあった。
トントン(回収率約100%)にするためには20回に1回当てるだけでいいんだ。
そう考えると随分気持ちが楽になってくる(そんなに長い期間の外れに耐えられないという人もいる。どの馬券が向いているかは要は性格の問題でもある)。
1レースあたりのことだけではない。複数レースの予想の中にも的中確率×的中したときのオッズという期待値が働いている。
3、仮に一万回同じレースに遭遇したとしてもその馬券を買うか、を自身に問いかける、的中確率と回収期待値のバランス意識
20代の馬券生活の振り返り
20代だった私は、初め単勝+複勝で馬券購入していたが、複勝を買い足すのが資金的に無駄だと感じはじめ、それまで複勝購入に充てていた資金も全て単勝につぎ込むことに決めた。そうして1回の平均購入金額も一気に5倍程度上げて2009年の馬券生活に入ったことが思い出される。社会人生活を数年経て使えるお金が増えたのと、ここらで数年間時間を割いて楽しんできた自分の馬券の力を試したいと思ったのである。
この時期に、先ほど「難しい」と書いた、単勝20倍以上の馬券が短期間に5本ヒットした。これらの的中がこの時期の私の回収率を支えたといって良い。
2009 京葉S イブロン 単勝28.2倍
2009 目黒記念 ミヤビランベリ 単勝19.4倍(約20倍ということで)
2009 小倉記念 ダンスアジョイ 単勝64.7倍
2009 アルゼンチン共和国杯 ミヤビランベリ 単勝25.1倍
2010 中山記念 トーセンクラウン 単勝36.4倍
しかしこれには苦い思い出も一緒になっていて、このうちイブロン・ダンスアジョイ・トーセンクラウンの3回は本来決めていたその年の購入額の半分(ダンスアジョイに至っては4分の1)しか買っていなかったのである。
なぜかって? 自信がなかったんです…
つまり自分が決めた購入ルールを守れなかったのだ。これは馬券収支でプラスを目指す上で非常に痛い。確かにこの5頭の単勝を買ったときの自信度なんて別にどれも大きいものではなかった。こんなに倍率が高い馬の単勝を堂々と買おうとしているなんて自分はアホなのではないだろうかという不安との闘いである。しかし、20倍を超える馬の単勝が的中するときの精神状態なんて多かれ少なかれそんなものだ。不安にめげずに買い続けなければならなかったのに…。
「そのレースは(購入を見送るのではなく)決めた金額で馬券を買う方が良い」という感覚をどうやって得ればよいのか? このことが馬券購入をめぐる上での大きなテーマとなると感じた体験であった。
ギャンブルにおける普遍的必勝法=勝ち逃げ
話題が少しそれるが、麻雀は「上振れ」「下振れ」という概念も私に植え付けてくれた。これは、本来の実力に比して「ツいてる状態」「ツいてない状態」の言い換えである。競馬にもこの上振れ・下振れはある。いわゆる好・不調の波のことだ。しかし麻雀とでは異なるところがある。麻雀は実力そのものをあげるのが目標だろうが、競馬は馬券の実力そのものがイマイチでも「勝っている」ならその方が尊いだろうということだ。「上振れを引き続けて勝ち逃げ」ができるなら、それは全く悪い話ではない。
「勝ち逃げ」というとたとえば競馬で一財産築いた後に50歳以上になったら競馬から足を洗って全く馬券を買わない、というようなイメージを持たれるかもしれないが、私が言いたいのはそういうことではない(それでもいいんだけど、50歳以降が楽しくない)。
私の主張は、ツいてる状態を人生の終わりまで継続しようということだ。
さて、そんなことが可能なのでしょうか。
考え方としてはこんな感じです。
そもそも生涯を通して大数の法則に収束するほど馬券を買うのもなかなか大変なことだ。先ほど年に20レースしか買わない時期があったと書いたが、このペースで競馬に取り組むと30年続けたところで600レースである。到底収束するレース数ではない(麻雀では1000局打てば実力がわかるという人もいれば10000局打ってもわからないという人もいるように思う)。
だから、馬券を買う方が良いレースをかぎわける嗅覚を磨き、たとえ馬券を買わなくてもレース予想そのものも楽しめる姿勢を育て、その上で数少ない購入レースで儲けられそうな(回収期待値の高い)馬券を買う、このサイクルを続けられれば、「一生競馬を楽しみつつ馬券面でも勝つ」ことも可能なのではないか。自分の馬券の実力以上の回収率を示すことが可能なのではないか。
そしてこの「馬券を買う方がいいレース」をかぎわけるには、冒頭麻雀の例で触れたのと同様、「1万回同じ状況のレースに出くわしたときに果たして馬券を買う方が得かどうか?」をイメージする力をつけるのがよさそうだというのが現在の考えです。
「馬券を買う方がいいかどうかがわかる」=「麻雀で上がれそうかどうかがわかる」?
麻雀強者の麻雀配信・検討配信を観ていると、「この手は~割くらい上がれそう」とか「上がれる気がしない」とか、感覚・イメージに基づいた発言は結構聞かれる。「〇巡目でリーチに対して筋が〇本通っている時に両無筋の牌を切ると放銃率は〇%」というような数値に基づくデータも麻雀界にはかなり充実してきているのであるが、彼らはそういったデータを暗記してそれに基づいてしゃべっているというよりは、過去の自らの膨大な対局数の経験値に基づいて「上がれそう」「上がれなさそう」といったことをイメージしているように思われる。その力をつけるためには、そもそも「膨大な対局数をこなす」という前提がまず必要になってくる。
麻雀では初心者をコーチングするような配信もしばしば行われていて、その初心者にコーチング役が配牌を指して(手組の方針を明確にするために)「この手は上がれそうだと思いますか」なんて聞いてる場面にも遭遇するけれど、私としては「初心者なのに、配牌イーシャンテンとかいうならまだしも、微妙な牌姿から上がれそうかどうかなんてわからんやろ、それは何千局何万局をこなした後に培われている実感や!」と思ったりする。間違ってますかね?
競馬・馬券も似たようなことが言えるのではないかと思う。競馬を始めてしばらくの間は1番人気の馬がやたら勝ちそうに思える。しばらくするとなかなか人気通りにおさまるほど簡単でもないのだということがわかってくる。人気決着か、波乱か、この間の堂々巡りを経た後に、経験的に本命サイドで決まりそうか、人気薄で決着しそうかといった感覚が養われてくる。あるいはこのタイプのレースでこのタイプの馬の単勝を買うと結果はどのようになることが多いか、といったイメージが固まってくる。
そういう力がついてくると目の前のレースが仮に1万回あったとして、目の前のレースを買う方がよさそうなのか、買わない方が賢明なのか、のイメージがつきやすくなる。これが、競馬におおいて私が言うところの「上振れを引いている状態で勝ち逃げ」につながる力ではないか。
単純に回収期待値が高い馬券はAIなどで算出する時代に入っているだろう。そういった馬券で利益を出すには、前述したように利率数%の投資の世界に似ているから、大量の試行回数を稼ぐ資金力が必須となる。全ての競馬ファンにできることではない。この逆の発想で馬券を買うことに新たな儲けのチャンスが生まれる。大数の法則に絡め取られるまでの試行回数の中で 馬券成績上振れ状態で人生を終える、ということだ。大げさすぎるか。
ところが、矛盾するようだが、この意味で言うと、レース結果に対するイメージ力をつけるためには、競馬も、逆にある程度の試行回数(=馬券を買った回数や、真剣にレースを見た回数)を稼ぐことが必要となってくるのだ! なんてことだ。ギャンブルの世界でしばしば用いられる言葉だが、「授業料」とはよく言ったものだ。
しかし私はもう十分授業料は払ってきた。これからは「回収」の段階に入っていく(!)。
4、競馬で勝つ方法(楽しみながら生涯収支プラスに)・まとめ
① 馬券購入の際は1レースあたりの回収期待値を意識するのが大事。馬券の実現確率×オッズが少なくとも1を超えていると思われる馬券を選ぼう
例…勝率50%と思われる馬の単勝が4倍の時
これがイメージしやすいところに単勝のよさがある。3連単の実現確率なんて人力ではなかなかイメージできない。
ただ気をつけたいのは、宝くじの1等大当たりは「買わないと当たらない」のではなく「買った時点で外れが確定している(確率論的に)」。あまりにも低い確率は0と同じだから、競馬でも、勝率1%くらいかと思われる馬の単勝がいくら300倍ついているからと言ってこれを買ってプラスに持って行くためには300倍の馬が勝つまで買い続けなくてはならなくなる。何年かかるか分からない。ほぼ重賞しか買わない私のような馬券購入者だと、自分の人生が続いている間には来ないかもしれない。注意が必要だ。
② 馬券購入の際は複数レースあたりの回収期待値も意識するのが大事。自分の馬券的中率×オッズが1を超えるような馬券を選ぼう、あるいは自分の的中率とオッズのバランスがとれるような馬券の実力を目指そう。
例…単勝10倍以上の馬券を1割以上の確率で的中できる馬券力をつける。
私は適度な穴を少ない点数で買うのが馬券で勝つ秘訣だと考えている。
偶然性に相当左右されるこのゲームで、的中率そのものを上げようとするのは並大抵のことではなく、ストレスも多いと考えられる。
③ 究極の目標として、当たるレースだけ購入できるような、レースに対する眼力を養おう。
目の前のレースと同種の(距離・格・コース・天気・枠順・メンバー構成等々)レースが1万回あったときにどんな結果が最も起こりやすいかをイメージした上で、①の回収期待値の大きさと馬券の的中確率を考慮し、馬券を購入するか見送るかを的確に決定する力をつける。
最後に
合言葉は、「期待値を重視」しつつ、「生涯上振れ」である。
気付かれたかもしれないが、これはアンビヴァレントな命題なのだ。
「期待値」は回数を稼ぐことによって収束に向かうのに、回数を稼がないことで「上振れ」を狙う。部分的には矛盾している。しかし、将棋も囲碁も麻雀もAIに蹂躙されていきそうなこの時代に、人間的な楽しみ方と発想で競馬と向かい合い、収支も重視する。
AIに予想してもらうのではなく、AIにはできない予想と発想で勝つ。
私は大まじめだ。
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