異種ゲーム間におけるインスピレーションの交換について ~麻雀からの示唆・1~

 以下は、将棋、競馬、麻雀ともに中途半端な技術しか持ち合わせない人物の戯れ言として聞いて下さい。

一、全ての技術を等しく高める

私はこの4年ほど麻雀に熱中し、主にオンライン麻雀「天鳳」に貴重なはずの人生の相当な時間を費やして参りました。とは言っても仕事も家族もあります、恐らく1万半荘に届くか届かないかくらいだと。しかもあまり強くなれてません、鳳凰卓にもタッチできていない、しがない特南民です。

 このように書きますといかにも私が以前から長く麻雀に親しんできたかのように思われるかもしれませんが、全くそんなことはなく、幼少期に赤塚不二夫氏の名著「ニャロメのおもしろ麻雀入門」を愛読して「大体のルール」と「役」だけは覚えている状態で数年前まで生きていたのです。なぜそんなことになったかと言うと、クリスマスか何かのプレゼントとして「ドンジャラ」を欲しがった私に対して、両親が「そんなもの大きくなったらすぐに飽きてしまうからどうせなら麻雀を覚えてみては?」ということで麻雀牌のセットが買い与えられたというところに端を発しているのです。「ニャロメのおもしろ麻雀入門」はその時期に母が私に買ってくれた本なのです。
 
 これが名著「ニャロメのおもしろ麻雀入門」だ!

 「だけは」と申しましたのは肝心のゲームで勝ち負けするための技術は全く持ち合わせないままこの歳(4年前の時点)になったからで、その意味ではほぼ知識0のまま天鳳の世界に足を踏み入れたと言えるでしょう。何せ私の幼少期の家族麻雀は全ての牌を用いて行われる3人麻雀。純チャンと決めたら純チャンばかり狙い続ける母や国士を一度上がったら調子に乗ってそればかり狙い続ける私を今となってはどれくらい強かったのか知るよしもない父が蹂躙するという、今から思えば亡き父にとっては随分かかわいそうな(相手が弱すぎて全く面白くなかっただろう)家族麻雀だったから、強くなりようがなかったのです。

 そんな私に麻雀で勝つために必要な技術やマインドを少しずつたたき込んでくれたのは日本プロ麻雀協会所属で同協会の最高峰タイトルの雀王獲得経験もある木原浩一氏のYouTubeライブやブログマガジンである。そもそも特上卓(天鳳で上から2番目のレベルのステージ)に上がり安定するまでが途方もなく長い時間のように感じられたが、何とかそれを達成し、今なお鳳凰卓(天鳳で一番上のレベルのステージ)を目指して日々楽しんで麻雀ライフを送れているのは木原氏のおかげであると言いきれる。氏はそのようなことなど微塵も知られないだろうが、今ここで深く感謝する次第である。

 氏はおっしゃる。
 「すぐに強くならなくなんていいじゃないですか。麻雀なんて趣味の一つじゃないですか。昨日の自分、1ヶ月前の自分、1年前の自分より少しずつ強くなっていけば」と。
 こうもおっしゃる。
 「僕は麻雀のことに関しては嘘はつきたくないからはっきり言いますけど、そんな、これとこれとこれを身につけたらすぐに強くなります、なんて魔法みたいな方法はありません。というか僕は口が裂けてもそんなことは言えません。地道にやるしかないんです」と。
 
 これは別にどこかで言われたことをそのまま文字起こししたわけではないのだが、様々な場面で何度も何度も聞いた内容を氏のしゃべっているイメージで再生するとこんな感じ、と理解してほしい。木原氏も恐らく「YouTubeでもブロマガでもオレはそんなこと言った覚えないぞ」とはおっしゃらないのではないかと思います。

 私がそんな氏から度々聞いた言葉で、麻雀を勉強するとき・プレイするときに常に心にとめているのが、

「麻雀を強くなるためには全てのスキルを少しずつレベルアップさせていく必要がある」

という金言である。
 麻雀には、たとえば一例を挙げると、
1、牌効率(上がりの形に向かうための最も効率よい手順の理解)
2、押し引き(状況に応じて上がりに向かうか下りるか…を判断する力)
3、リーチ判断(状況に応じてリーチするか、ダマか、テンパイを外すか…を判断する力)
4、手組・構想力(与えられた手牌からどのような方針でその局を進めるかイメージし、そのためにどのように手牌を組んでいくかを構想する力)
5、読み(見えている情報に基づいて、見えていない情報ー主に相手の手牌の内容や山に眠っている牌の種類ーを推測する力)

などなど(他にも色々ある)、強者(Mリーグなら多井さんや堀さんや渡辺さんや仲林さんなど?)ならば皆が持ち合わせている一定の技術があり、どれかが(ましてやいくつかが)極端に劣る強者は存在しない、というのが氏の教えである。だから、麻雀を強くなるためには、自分の弱点の部分を把握しつつ、必要な全てのスキルをレベルアップさせていかなければならない、というのが氏からよく教えられていることである(これもご本人から「そんなこと言ってない」と文句は言われないはず)。

 ↓ 木原浩一氏のブログマガジン(超オススメです、毎日麻雀についての思考の機会を強制的に与えてもらえるというのが素晴らしい、毎日更新する氏の仕事ぶりに感謝です)

二、羽生九段の哲学
 さて、プロ将棋界は現在藤井聡太竜王名人が強者として君臨しているが、羽生善治九段が以前に複数タイトルを所持し続ける状態が続いていた時期、大きなタイトル戦で「相手の得意戦法を拒否しない」という姿勢で戦っていたと思う。

 将棋を知らない方に付け加えておくと、将棋にはある程度の序盤の戦法、型というものがあり、プロでもアマチュアでも将棋を指す人は自分の得意戦法、型を大抵持っている。その戦法を相手にぶつけて戦うのであるが、将棋は2人の対局者が交互に駒を動かし合う共同作業といった側面があるため、「自分はAの戦法・型で指したい」と思っても相手がそれを拒否するような指し方をすればゲームの流れはBの方に向かっていく、というようなことも当然多く起こるものである。

 それが、羽生九段は相手の得意戦法を拒否するのではなくそれに乗っていくような形で戦っていた、と言われる。相手の得意戦法で戦うことを受け入れるのだから、これは一見すると不利、勝率を下げる行為であるように見える。しかし羽生九段は確かこのように言っていたはずだ。「目の前のリスクを引き受けることが、将来のリスクを下げることにつながる」と。

 AIを用いた研究が盛んになった最近の将棋界においては序盤の戦法・型について以前とは比較にならないくらい細かい局面での損・得というのがはっきりしてきており、プロ棋士もそれを無視しては勝てない状況になっていると思われる。悠然と様々な戦法を試す余地は小さくなっているかもしれない。細かいことはわからないが、藤井竜王名人も後手番での2手目は必ず「8四歩」だと聞く。だが、羽生九段が相手の得意戦法を拒否せずに戦っていた(いる?)ことはそれはそれで学びの多い事象と言えるのではないかと思う。羽生九段の将棋センスや技術がなせる業、と言えばそれまでであるが、この姿勢のおかげかどうか、羽生九段は将棋界きってのオールラウンドプレイヤー(どのような戦法でも指しこなす)と言われ、ーしかも並のオールラウンダーではない。ある戦法の専門家的な棋士が、たまにその戦法を用いる羽生九段の指し方を見て教えられる、新たな指し方の可能性を知るといったこともあったというほどであるー、数々の記録を打ち立ててきた。限定的な戦法・型だけに頼るのではなく、プロになってからも幅広い戦型を吸収し続けたことが、新陳代謝がますます激しくなるプロ棋界にあって五十歳を過ぎた今も羽生九段が活躍を続けていられることにつながっているのかもしれない。
 つまり、「多くの戦法に習熟したことが衰えない羽生九段の強さの要因になっているのではないか」という仮説である。
 
 三、競馬予想のスキル

 翻って、競馬である。競馬はレースの勝ち負けに及ぼす要素の数では麻雀にも全く負けていない。展開・格・得意距離・得意コースに始まって、枠順・馬場差・ローテーション・血統・調教・パドック・返し馬…さらに馬券を当てるという観点まで考えるとレース選び・券種・買い方・資金配分…と。競馬というゲームを「レースの勝ち馬(や2着3着に入る馬)を予想して馬券を当てるゲーム」と定義するならば、またその上手下手を「一定期間における回収率」で測るならば、競馬を上手くなるために身につけなければならないスキルはあまりにも多岐にわたっていると言わねばならない。
 競馬愛好者の中にも今あげた要素の全てに自信を持つ者は少ないだろう。勝ち馬予想、という観点だけから言っても、予想力の各々の項目が例えば20項目に分けられているならば、各人の予想力を示す20角形はいびつなものとなっているに違いない。血統の項目が突出している者、過去戦績をあぶり出すのが得意な者、パドックでの当日診断に絶対の自信を持っている者…。面白いのは、牌効率だけに全振りして麻雀を打つことが可能なように、競馬もある予想項目一点に全振りして予想を展開しても十分に楽しむことができるということである。自分の誕生日の数字と同じ馬券を買い続けていつか来る大当たりを待ち望むことが一つの楽しみ方となりうるように。

 しかし、競馬というゲームを長年にわたって奥深く楽しもうとするならば、20項目ならば20項目ある要素のできるだけ多くの知識に習熟した方が楽しく、また予想力そのものも高まっていくだろうというのが私の見解である。麻雀強者が麻雀を勝つのに必要な様々なスキルに秀で、それらを自由に使って深い思考を楽しむように、競馬の強者になりたいならば競馬予想の各要素を真摯に学び身につけていく姿勢がやはり重要であろう。思考を簡略化・短絡化して少数の要素だけに絞り、それでただ偶然にでも「馬券が当たる」(=儲ける)ということだけを期待するのは言わば思考停止の姿勢であり、強者への道から遠ざかるものとなるだろう。

 競馬から少し離れ、麻雀というゲームに熱中する中で、今述べたようなことをぼんやり考えていた。そしてまた今、競馬に戻って来ようとしている。

 考えてみれば、国語の大学受験の指導をしていく過程であれほど、「共通テスト(センター試験)では複数の要素を勘案して答えを導け」と言い続けてきた。「単語だけ覚えておけば何とかなりますか?」とか「文脈的にこの答えしかなさそうだと思ったから」とか、単純な一側面から正解に迫ろうとする生徒に対してその危険性を指摘してきた。
 ゲームが人間の思考を土台にしていると考えれば、異なるゲームの間にも共通する考え方の技術がある、というのが私の実感である。今回述べてきたことは、麻雀を勉強するうちに見えてきた、そのような技術の代表例である。

「オーバーに言えば無数にあるパラメータをどのような比率で参考にするかを、局面によってベストバランスで決定する力」

 とまとめておきたいと思います。

 麻雀はこれ以外にもいくつかの示唆を私に与えてくれた。
 また機会あれば書いてみたい。

 






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