![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27119064/rectangle_large_type_2_4f4c6a8604a617f29d0767e8209eb9c3.jpeg?width=1200)
短編小説:医者はいずこ
今日も客は一人きり。深海のカプセルバーは静かだった。
アリスはカウンターの内側で黙ってグラスを磨いていた。
客は時折カクテルを舐めるように味わっている。カクテルの名はオセロ。カクテルグラスの中間に氷の薄膜があり、氷を隔ててラムと黒ウォッカベースのカクテルが注がれている。静かに飲めば二種類の味を楽しめる。だが、薄氷はいつ割れるかわからず上下のお酒が混ざると一気に味が変化する。味の変化が一手でゲームの局面を塗り替えるオセロのようというのが名前の由来だ。
そしてカウンターでオセロをすすっているのはカクテルの考案者である。初老であまり上等じゃない背広に身を包み、白い山羊髭をはやしていた。名前は知らない。
時々こうしてふらりとやって来てはオセロをすすって帰ってゆく。彼以外にカクテルを頼むような客はここには来ない。
ここははみ出し者がやって来る政府管轄外の深海バーだから。
扉の外で乾いたベルの音が響いた。転送エレベーターの到着音だ。
続いて勢いよく扉が開いて一人の男が店に飛び込んできた。
「助けてくれ」
男はカウンターに張り付くとアリスに向かってそう叫んだ。
入り口脇に寝そべっていたグレイハウンドが首をもたげたが、すぐに興味を失ったのか、ふたたびごろりと横になった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
男は頭を左右に激しく振った。まるでわかっちゃいないとでも言うように。
男の名はボストンといった。身なりはよく、仕立てのいい背広を着ていた。ピアノの調律師をしているのだそうだ。調律師という仕事は今どき珍しい。音楽は無線の電波に乗ってやって来るものだ。ピアニスト自体ほとんどいなくなったこの時代で、ピアノは調度品となり調律の必要性がなくなった。それでも時折、昔を懐かしむようにピアノのキーを叩く人がいる。ボストンはそういった人たちのために仕事を続けているのだろう。
「調子がおかしいんだ。あ…あんた、その、見えるんだろう?」
もちろんボストンが言うのはアリスの右目の能力のことだ。
アリスは右目に重力場センサーが組み込まれている。重力場の変化を捉えることで、エネルギーの流れを見ることができた。エネルギーを持つものはそれぞれ独特の重力場を形成する。人には人の、そしてアンドロイドにはアンドロイド特有の重力場形式があり、アリスはそれをフィールドと呼んでいた。
特に意識転送されたアンドロイドは独特のフィールドを持つ。機械としてのフィールドと転送された意識のフィールドがミックスされ特殊な形状となる。
ごくまれに、そこにもう一つ意識のフィールドが絡みついていることがある。
それは普通人にもアンドロイドにも見ることができないなにかの意志。
なにかが取り憑いているのである。
アリスはそれを見ることができた。だから時折その手の依頼が飛び込んでくる。
「頼むよ。ちゃんと代金は払う。さあこれだ」
ボストンは調律道具を入れた大きなカバンの中から一本のウィスキーを取り出してカウンターに置いた。瓶のラベルには『glenfiddich』と書かれている。今どき貴重な『本物の』ウィスキーだ。
「あきれたわね。代金がこれだなんて言いふらしているのは誰なの」
「どうなんだ。見てくれるのか、くれないのか」
「わかったわよ。ちょっと座って」
ボストンはアリスが引き受けたことで落ち着いたのか、大きく息を吐きだした。
「客が酒を持ってくる。変わった店だなここは」
カウンターの奥で一人オセロをすすっていた男はそう言うと、掠れた声で笑った。
「診断中なの。黙っててくれる」
オセロの男は肩をすくめた。
アリスは右目にエネルギーを集中した。ボストンのフィールドが見えてくる。ごく普通の独立系アンドロイド型。特に変わったところはない。
「調子がおかしいってどんな感じなのかしら」
「そうだな。うーん。うまく言えないんだが、何か、こう、ものごとがはっきりしないというか、なんというか」
「意思決定が遅くなった?」
「そう。そうだな。遅い」
「決めたことが正しいか迷うことがある」
「ああ、ある。ここへ来るまでも随分と迷った」
「意味のない物に愛着が湧くことがある」
ボストンは斜め上を見上げた。なにかを思い浮かべているのだろう。
「そうだな。ピアノの調律にはチューニングハンマーを使うんだが、なんというのかな。なぜかあれは身体の一部のような気がするんだ」
「意識転送されたことは?」
「私は独立型アンドロイドだ。意識転送用ボディじゃない。プログラムだってピアノ調律師上級バージョン8.8.8.8だ。自己診断も正常なのになにかがおかしい。近頃調律に支障をきたすようになってきた。困るんだ」
アリスは診断を終了した。どうにもわからなかった。どこから見てもボストンのフィールドはアンドロイドのそれである。何も憑いていない。プログラムも職人系の専用品だ。対人反応は相手が不快にならない最低限の応答になる。
ところが先程からの受け答えはどうだ。とてもそうは思えない。
「なにもないわ」
アリスが悩んでいるとカウンターの端からまた掠れた笑い声がした。
「どうだい。俺にみせてみないか?」
「あんた何者だ?」
男はボストンに右手を差し出した。
ボストンが右手を持ち上げたところで男は言った。
「俺はドクトル。医者だよ」
ドクトルはボストンの右手をさっとつかんだ。
「ちょっと待ってよ。あなた医者だったの? 他人の店で勝手に客引きしないで」
「違法とでも言いたいのか?」
ドクトルは掴んだ右手を持ち上げた。
「それに彼はもう契約している。おまえの出る幕じゃない」
ボストンが当惑した顔をしている。
「医者って一体どういうことだ」
「どうもこうも。この時代にもまだ医者はいるってことだ。そしておまえさんの病気は俺じゃないと治せないってことさ」
ボストンの顔色が変わった。
「まさか、回路に物理的な修正を加えようってつもりか」
ドクトルは背広の前を開いた。背広の内側いは電子メスやピンセットがずらりと並んでいた。
「冗談じゃない。頭の中をいじられてたまるか。契約はなしだ」
ボストンはカバンを引っ掴むと、ついでにカウンターのウィスキーも引っ掴んだ。
「なにもできなかったんだから、代金は払わないぞ」
そして肩を怒らせて店を出ていこうとした。
その背にドクトルが声をかけた。
「そうやって人間らしく生きていくつもりかい?」
ボストンの足がぴたりと止まった。正確無比の調律師が人間らしく生きていくことなんてできるはずがなかった。調律する度にピアノの音色が変わってしまう。1/10000Hzのずれもなく調律するのが彼の仕事だ。それが気分によって音色が変わるなんてありえない。ボストンは機械なのだ。
「治るのか」
「治るさ。おまえさんの保有クレジット半分くれればね」
「半分だって?」
「なに、半年油を注さなくったって問題はないだろ」
ボストンはため息をつくとドクトルの前のスツールに腰を掛けた。
ドクトルはボストンの顎の下に指を押し込んだ。するとボストンの顔が蓋を開くように上に跳ね上がり、頭部の内側があらわになった。眼球モジュール、嗅覚モジュールなどの奥に、アンドロイドの電子頭脳にあたるコアが格納されている。
コアは電球ほどの大きさで液体ヘリウムで満たされた容器の内側に3Dプロセッサが格納されている。そしてコア自体が内部の思考活動に反応して様々な幾何学模様を描き出してほのかに輝いていた。
時にそれは薄紫色の楕円を幾重にも描き、それらは歪んで潰れ、二つのひし形へと変貌する。薄紫は青から緑へと移り変わりやがてまた薄紫へと立ち返った。
「そう不安になるな。すぐに病巣をみつけてやる」
ドクトルはルーペを目にはめ込み細かな点を一つ一つ観察していった。そしてなにも見つけられなかったのか、跳ね上げた顔を閉じた。
次に胸を開いてみたがやはりそこでも何も見つけられなかった。
「ふーむ」
「おい、本当に治るんだろうな」
ドクトルは電子メスをボストンの首に突きつけた。
「患者は黙って医者の言うことを聞くものだ」
ドクトルは思いついたようにボストンの喉仏を押してみた。それから首筋をいくつかさすっていたと思うと、電子メスで喉仏の脇を縦に切り裂いた。
その乱暴なやり方にアリスが声を上げようとしたとき、
「いたぞ」
ドクトルが叫んた。
「見てみろこいつを。こいつはコアから伸びる個別信号線だ。そこに食らいついていやがった」
入り乱れたとりどりのファイバーの一箇所に、小指の先程の大きさの白いしっとりとした繭がはりついていた。電子メスで繭を切り開くと中から弾力のある透明なゼリー状のものが姿を表した。ゼリーは中心にいくほど黒い色をしていた。
ドクトルは用意しておいた小瓶の蓋を開くと、ピンセットで慎重にゼリーをつまみあげた。
ピンセットの先でゼリーは身悶えするように震えていた。
「こいつをその右目で見てみな」
ドクトルがアリスの前にピンセットを突き出す。
アリスの右目には何の反応も見て取れない。
「どうだ。何も見えまい」
ドクトルはそう言うと掠れた声で笑った。
「なんなの、それ?」
アリスが覗き込んでくる。
「こいつは意志じゃなくて思いだよ」
ドクトルは黒い液体に満たされた小瓶にそれを沈めた。蓋を締める時に一瞬だけ青く流れる線のような光が走って消えた。
「思い」
「この液は磁性反転液だ。どんな微弱な地場も反転させて跳ね返す。だからここから思いが漏れ出ることもないってこった。ひっひっひ。おまえさん調子はどうだ」
ボストンが機械的に応じた。
「はい。すこぶる快調です。ありがとうございました。首の傷は元に戻せるのでしょうか」
先程までの曖昧な言葉づかいはどこにもなかった。
ドクトルが電子メスの別のボタンを押すと、ボストンの首の傷は綺麗に融合していった。
ボストンは満足げに頷いた。
「それではごきげんよう」
ボストンは来たときと打って変わってきびきびした動作で帰っていった。
ドクトルはしばらく小瓶を灯りに透かして眺めていたが、飽きたのか内ポケットにしまった。
「さて、俺も消えるとするかな。アンドロイドを人間がいじるのは違法だからな」
カウンターの端で、ドクトルのグラスが小さな音を立てた。薄膜の氷が割れた音だ。機械を機械が作り、人の身体すら新しい培養臓器に入れ替えてしまう時代で消えゆく医者は何を思うのか。
そしてアリスはカクテルグラスを手に意志と思いの違いに考えを巡らせた。
終わり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?