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寂しい友達

 扉の向こうから転送エレベーターが到着したベルの音が聞こえた。

 深海バーの扉は一見重厚な樫の一枚板に見えるがただのフェイクだ。だから外の音を遮断することはない。アリスはやって来た客が厄介事を持ち込まないといいのにと考えていた。いつだってここに来る客は厄介事を運んでくる。それは色違いの右目が本来見えるはずがないものを見るように造られたせいであるが、そのお陰でここでの生活が成り立っているとも言えた。こんな深海の辺鄙なカプセルバーに好き好んで来る客はそういない。

 扉が開くと少々風変わりな見た目の男が立っていた。

 男は全身を黒いウェットスーツのようなボディスーツに包みヘルメットを被っていた。

 黒く特徴的なヘルメットは偏光バイザーとエアマスクが付いていて見る者に不安を感じさせた。エアマスクからは左右数本のチューブが背中に伸びていた。気密性を保つため頸部はスーツとのアタッチメントになっている。まるで宇宙服であった。

 そしてその傍らには小型犬がちょこんとおすわりしていた。色は灰色がかった茶色。黒くて垂れた耳にくりっとした目。そして愛嬌のある潰れた鼻が特徴のパグである。

 パグは男の脇をすり抜けると小刻みな足取りでアリスの前までやって来た。 

 そしてアリスと離れたところに横たわっているグレートデーンを交互に見比べた。

 グレートデーンは少し前に突然、厄介事と一緒にやって来た。厄介事は去っていったが、グレートデーンはそのままいついてしまった。

 パグは何度か首を往復させたあと、アリスに向き直り、
「私の友達はここで一杯のお酒を飲みたいと思っています」
と言った。

「ここはバーよ」

「入ってもいいとい理解しました。それでは彼を招待します」

「他に客はいないわ。どこでも好きなところに座って」

 パグが男の方を向くと、男は僅かに頷き店に入ってきた。 だが男はすぐに足を止めた。

 先程まで寝そべっていたグレートデーンが起き上がり、身体をぶるぶると震わせていた。そしてゆっくりとした足取りで男の前を通り過ぎ、温かい機械室へと入っていった。

 男はしばらくグレートデーンの消えた方を見ていたが、やがて再び歩き始めて一番端のスツールに腰掛けた。

 パグが隣のスツールに飛び乗り、座面にちょこんと腰を据えた。

「何を飲む? 本物、それとも偽物」

「友人が家を離れるのはそうあることではないのです。せっかくなので本物を差し上げてください」 

 パグが口を開くと、乾いた音を立てて銀貨が一枚飛び出してきた。

「現在の経済指数を見る限り、これくらいが妥当と考えますがどうです?」

 アリスは黙って棚の後ろからウィスキーのボトルを取り出し、ロックグラスに注ぐと男の前に置いてやった。

 男はウィスキーグラスを前にして微塵も動かない。

「そのままずっと眺めているつもり?」

「お酒を飲むためにはヘルメットを脱ぐ必要があるのですが、彼にとってそれは非常に勇気のいる決断なのです」

 表情はみえなくとも、その説明が本当であろうことは雰囲気ですぐに知れた。

 男の右手がわずかに上下を繰り返していた。

 やがて意を決したのか、男の人差し指が顎の下辺りをまさぐった。

 エアが漏れる音がして、ヘルメットが鼻のあたりを中心に上下左右に開いた。中から端正な顔たちの、それでいてひどく怯えた顔が合われた。男の視線はずっと下を見つめていた。

「待ち望んでいたお酒ですよ」

 男がわずかに頷く。

 男はグラスを両手で包むように持つと口に運び、ウィスキーを一口喉に流し込んだ。そしてふうと息をついた。

「美味しいですか。どうです来てよかったでしょう」

 男が頷く。そしてパグにほんのかすかな笑みを向けた。それはひっそりと咲き、昼にはしぼんでしまう色の薄い朝顔のような笑みだった。

 アリスは男から離れると背を向けるようにしてグラスを磨き始めた。

 それから男は少しずつなめるようにウィスキーを飲んでは、パグに朝顔のような笑みを向けることを繰り返した。

 そこにはとても静かで儚い時間が存在した。ほんの僅かな風が吹いても流されてしまうカゲロウの羽ばたきのような時間だった。

 この人はそんな時間を持ち、そして味わうことができるということがアリスには驚きであった。さざなみのような感情の起伏を共有するということがどうしてできるのか。そこにどのような意味をもつのか。アリスはまたひとつ人の心の奥深さを知った。

 パグはアリス同様機械だ。なのに男の感情を理解し共有している。それどころか男に対して感情を声を使わずに返してさえいる。機械は人のようには考えないし、プログラミングされた擬似的な感情は人の心には届かない。アリスはパグの事を少し知りたくなった。

 ところが暴力的なまでの無神経さでこの時間を台無しにする出来事が起きた。

 かすかなベルの音と同時に、乱暴に扉が開き背の高い男が飛び込んできた。

 ガサツで不誠実の代表のような素振りの男はキャメノスという常連であった。

 キャメノスは入ってくるなり、
「いつもの」
と大きな声で注文すると、どこからやって来たのか体中に土埃をまとったまま、よりによって男の近くに座った。

 男が身動ぎした。ヘルメットはすでに閉じられていた。

 キャメノスは男とグラスを見比べると言った。

「なんだいお前。そんなもの被ってどうやって酒を飲むんだ」

 もちろん男は応えない。

「それとも何か。この上物の酒は犬のために置いてあるのか? そんな勿体ないことするなら俺が頂くぜ」

「ちょっと止めて。このお客さんはあんたと違って静かに飲みたいのよ」

 アリスがヴァーチャルウィスキーをカウンターに置きながらたしなめた。

「へん。何だい。まるで俺がガキの飲み方しているみたいじゃねえか」

「みたい、じゃなくて、そのものじゃない」

「何だと」

 言うなりキャメノスは目の前に映し出されたウィスキーを一気に飲み干した。

「もう一杯だ」

「ちょっとよろしいですか?」

 パグがキャメノスを見上げていた。

 キャメノスもしばらくパグを見返していたが、視線を外すと二杯目のヴァーチャルウィスキーを口に運んだ。

「あの、ちょっとよろしいですか?」

 キャメノスの手が止まる。

「おい、俺は犬と話す趣味なんかないぞ。何なんだこのおかしな状況は」

「私は犬ではありません。犬型のアンドロイドです」

「どこから見ても犬だ。そしてめいっぱいブサイクだ」

「形式はIBO53KR775です。生物学的な犬に形式はありません」

 キャメノスは無視を決め込むと再びウィスキーを口に運んだ。

「あの、私の主人とお友達になっていただけませんか」

 キャメノスは含んだウィスキーをそのまま勢いよく吐き出した。

「ふざけんな。ここは女学園か何かか? どこの世界にバーカウンターで『お友達になる』ヤツがいるんだ」

 キャメノスは席を立つと出口に向かった。

「酒がまずくなった。帰るぜ」

 するとスツールからパグが飛び降り素早くキャメノスの前に立ちふさがった。

「どけ。じゃまだ」

 パグはお尻を下ろすと前足を伸ばしその間に顔を埋めた。一見すると伏せともヨガの猫のポーズともとれる形であるが、顎を引き鼻を床に擦りつけていた。

「何してるんだ」

「土下座というやつです。昔この地域では誠心誠意のお願いをする時はこうしたと聞いています。お願いします。ご主人のお友達になって頂きたい」

「お前はとんだ勘違い野郎だ。友達が欲しけりゃ自分で話をつけるもんだ。機械にやらせるなんて他人を馬鹿にしてる」

「違うのです。そうではないのです」

「いいからどけ。蹴飛ばすぞ」

 キャメノスはパグをゆうゆうと跨ぎ越すとドアノブを握った。ところがロックがかかっていてドアはぴくりともうごかない。

「おい、どういうつもりだ。客を帰さないつもりか」

「飲み逃げしようとする客を帰すわけないじゃない」

 キャメノスの目が泳ぐ。あわよくばどさくさに紛れて逃げようとしていたのがバレた。

「いや、俺はただ……」

「話だけでも聞いてあげたら。それとも私とやり合う?」

 アリスは元戦闘アンドロイドで、退役後は地下バトルロイヤルで無敵を誇ったDロイド。つまり戦闘を専門としたアンドロイドである。今は訳あってバーテンをしているが、アリスとやりあって勝てる人間はいない。

 キャメノスは両手を掲げてカウンターに戻った。男に向き合うと、

「お友達ね。いいだろう。じゃあさっきの二杯と、次の一杯はお友達のおごりだ。それでいいよな」

 男はぴくりとも動かない。

 かわりにパグが言った。

「もちろんです。この方にも同じものを」

 アリスがもったいないとばかりに肩をすくめた。

 男が再びヘルメットを開き、ウィスキーを舐めるように飲む傍らで、パグは二人の通信モジュールに接続をして男が住む世界を見せてくれた。

 男には名前がなかった。なぜならば必要ないからだ。男は生まれてこの方一人で生きてきた。男の世話をしてきたのはこのパグである。男とパグは主従の関係であり、親子の関係であり、そして唯一の友達同士であった。男には声帯がなく、そして通信モジュールはもつが、厳重にセキュリティロックが掛けられ、本人も開け方を知らなかった。

 男は雪に閉ざされた山脈の尾根に小さなカプセルハウスを建てて住んでいた。隣の家まではきっかり2km離れている。そしてその隣もまたその隣も、全ての人類のカプセルハウスは2km離れて建てられている。なぜならば人同士が接触しないようにするためであった。

 そしてそれはアリスたちの百年先の光景。男は未来から転送されてきたのだった。

「なぜ、人々は離れて暮らさなければならないの?」

「それはあらゆる通信にウィルスが混入してしまったからです。人同士が接触することで、ウィルス感染が拡大しました。そのウィルスはあっという間に全世界に広まり、そして人間の通信モジュールを破壊してしまったのです。その結果誰もが相手の心の中を覗けるようになってしまった。それ以来人間たちは意思疎通することを恐れて距離を置くようになった。無線通信が届かない距離が2kmです。私たちの世界にアンテナは存在しません」

「なんてこった。誰もが一人で暮らしているっていうのか。なんてつまんねえ世界だ」

「だから私たちのような友達がいるのです」

「友達ねえ」

 アリスはパグが見せてくれる世界、2kmの等間隔にカプセルハウスが並ぶ世界を興味深く眺めた。

 人間は無人の科学アカデミーで製造され、様々な動物型アンドロイドが胎児をカプセルハウスで育てる。そして2km隣に同じような人がいるにも関わらず、誰とも接触せずに歳を取り死んでゆく。

 死んだカプセルハウスは洗浄され、やがて新たな乳児がやって来る。

 人々は一生をカプセルの中で過ごし誰とも交流しない。都市はなく地上には限りなく美しい自然が広がる。

「一体お前らは何の為に生きてるんだ。俺だったら耐えられねえ」

 キャメノスがウィスキーを煽った。

 しかし、だったらキャメノスの人生は素晴らしいのだろうか。無軌道に日々適当に生きている。金が必要になったらアンダーグラウンドレイヤーの闇仕事で稼ぐ。稼いだらまた無軌道な日々に戻る。それは楽しく意味深い人生なのだろうか。

 アリスの人生はどうなのか?

 もちろんアリスは人間ではない。機械に人生という言葉を当てはめるのは意味がないが、毎日カプセル酒場でキャメノスのような客を相手に酒を出す毎日に意味はあるのか。

 だが、この男ほど無味乾燥な時の過ごし方ではないのではないか。生まれて死ぬまで誰とも接しない。それは生命としての意義すら見いだせない。

「だから私たちは旅に出ることにしたのです」

「時間旅行か。さすが未来人だ」

「いえ、そういう事ではありません。やはり孤独というのは辛いものなのです。時々人は耐えられなくなる。そんな時は」

「そんな時は?」

「どうしても耐えられなくなった時、一度だけ選択できるのです」

「何を」

「星になるかどうかです」

「星?」

「はい。地球のまわりにはいくつもの星が飛んでいます。それは選択の結果地上を捨てた人々のカプセルハウスなのです。地上から見上げると衛星軌道をめぐる星はとても美しい」

 アリスとキャメノスは顔を見合わせた。

「星になった後はどうなる?」

「永遠に青い地球を眺めます」

「気分が悪くなった。吐きそうだぜ」

 キャメノスは顔を背けた。

「おかしいわ。星になって永遠に衛星軌道を回っているはずのあなたたちはどうしてここにいるの?」

「それは酸素が切れたからです」

 アリスは右目にリソースを集中した。アリスの右目はエネルギー場を見ることができ、エネルギー場の形状によって光学レンズでは見えないものを見ることができた。

「あなたたち……」

「そう。私の友達はついさっき亡くなったのです。友達ですから私も連れて行ってもらうことにしました。でも、その前に彼は一度でいいから人間のお友達を作りたいと願っていたし、私も一人会いたい人物、というかアンドロイドがいたので寄り道をすることにしたのです」

「それは私のこと?」

「ええ、そうです。世界一有名なアンドロイド。アリス。あなたです」

「世界一って、私は何様でもない」

 アリスは顔を伏せた。私はただの殺人アンドロイド。

 パグはそうでは無いとばかりに大きな目をくりくりっと回した。

 男がキャメノスの方を向いた。若く美しく屈託のない笑顔が見つめていた。気持ちが落ち着いたのかもう怯えの色はなかった。晴れやかですらあった。

「時間が来ました」

 男が右手を差し出した。

 キャメノスはただ黙ってその右手を見つめた。

 やがて右手がゆらぎ始め色が抜けるようにして消えていった。

 キャメノスは慌てて右手を突き出したが、そこにもう男はいなかった。

 パグも消えていた。

 男が消えるとき一瞬であったが「ありがとう」と聞こえた気がした。

「行っちまいやがった」

 キャメノスは半端に差し出した自分の手を見つめた。

「あばよ。ダチ公」

 男のロックグラスで氷がカランと子気味のいい音をたてた。

終わり



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