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完璧なウィスキー

 シヴァルは香りを楽しんだ後、氷をウィスキーグラスをの中で転がしながらその涼やかな音を楽しんだ。

「まさに完璧。やっぱり本物はいいわね。でもわざわざ仕入れなくてもよかったのに」

「まさかパトロンに電子ウィスキーを出すわけにいかないでしょ」

 アリスの返答に微笑むと、シヴァルはウィスキーを口に含んで再び微笑んだ。

「てっきりシヴァルはもっと個性のあるウィスキーが好きなのかと思っていたわ」

「個性ねえ」

 シヴァルはJONNIE WALKER BLACK LABELのボトルをラベルが水平になるまで傾けた。

「もちろん個性は好きよ。でもアンドロイドの個性ってすべてが完璧な状態からのプラスアルファでしょ。単純に一機能が高いだけならブルドーザーが一番ってことになる。そうでしょ?」

「私は完璧じゃないけど、ブルドーザーでもない」

「そうね。世界一完璧なウィスキーがこれだとしたら」

 シヴァルがグラスを掲げる。

「あなたはシングルモルトのGlenfiddichかしら」

「Glen...」

 シヴァルはアリスがアンドロイドの地下バトルロイヤルをやっていた頃の専属技師だった。いまでも修理や部品販売の店をやっているが、アリスが引退した時に専属契約からパトロンに変わった。壊れた時はいつでも無償で修理をする契約になっているが、バーテンになった今、アリスが壊れることはめったにない。

 シヴァルは当時から強さこそ美しさと考え、肉体美を追求して肉体改造を繰り返していた。もともとは女性であったが、肉体美を追求する上で性別の枷を外してしまい、遺伝子的にも中性になってしまった。その甲斐あってか見事な筋肉美を誇っている。

 そしてシヴァルはパトロンとしてアリスの様子を見るために、わざわざこんな辺境の海底にあるカプセルバーまでふらりとやって来るのだった。

「ところで、あなた右目でエネルギー場を見ることができるって言っていたわよね」

「ええ。その機能のおかげでバトルロイヤルでは相手の動きが予測できた。だから勝ち続けられた。今更もうどうでもいいことだけど。それがどうしたの?」

「いえ、エネルギー場が見えるっていうのは、どういう風に見えるのかしらと思って。ほら、私達人間には見えないから想像がつかないの」

「そうね。星の重力場を表すモデル図って分かるかしら」

「格子の入ったゴムマットに鉄球を置いたみたいな?」

「そう。あのモデル図を四次元時空的に表したもので、エネルギーの持ち方でもう少し形が歪んだものと言えば分かるかしら」

 シヴァルは両手を広げた。

「分からない」

「そうね。人間のエネルギー場は歪んだ形をしているわ。出っ張ったり、凹んだり。そして特徴となるような尖ったところがある。それを個性と言うのかしら。そこにうまく意識を合わせられれば恐らく納得できる人生になるし、そうでなければ納得できない人生になるかもしれないわ」

 シヴァルはアリスの右目を覗き込んだ。

「あなた占い師にでもなった方が向いてるんじゃない?」

 転送エレベータのベルが来客を知らせた。

 オークの扉を押して入ってきたのは一人の紳士だった。しっかりとした身なりをしており、幼い頃から磨き上げたのか、立ち居振る舞いに洗練されたものを感じさせた。ただ、その深い彫りの顔には憂いの表情が浮かんでいた。

 紳士はシヴァルのふたつ隣のカウンター席に座り、シヴァルの傍らにJONNIE WALKER BLACK LABELを見つけると、自分にも同じ物をと言ってを注文した。シヴァルが来る日でなければ仕入れていない代物である。運のいい紳士だ。

 それからしばらく、シヴァルとアリスはエネルギー場の見え方について話をした。そしてある時シヴァルが、あっと声を上げた。シヴァルの視線の先には紳士が座っていた席があり、今そこには濃い化粧の女性が座っていた。

 女性は胸元が大きく開いた薄手の服に、どぎつい色の口紅を引いていた。誘うような目でアリスたちを見て艶めかしい笑みを浮かべた。

「このお酒。おいしい」

「あなた、いつからそこにいるの?」

 そう尋ねるシヴァル以上にアリスは驚いていた。アリスのセンサーに人の出入りは全く記録されていない。間違いなくこの席には先程の紳士が座っていたはずだ。どれほど素早く入れ替わろうと、その気配を見逃すはずがなかった。

「ふふふ。私は来たい時に来るのよ。それよりもう一杯頂戴。これ」

 悪いが先程の紳士ほど信用が置けそうに見えない。アリスはIDを読み取った。ところが女性のIDには先程の紳士が登録されていた。超管理社会でIDをすり替えることは簡単ではない。ということはこの女性はさっきの紳士と同一人物ということになる。

 アリスが半信半疑ながらウィスキーグラスを新しいものと交換すると、そのグラスを掴んだ手がみるみるくすみ、しわだらけに変化していった。顔を上げたアリスは驚きの声を上げた。目の前には白髪の老人がいた。もちろんIDは同じままだ。

「ちょっと、どうなっているの?」

 そう言っている間にも老人の髪は黒くつややかに変貌し、しわが消え頬の血色がよくなった。数秒後に老人は消えそこには青年が座っていた。老人はアリスが見ている眼の前で美しい青年に変化した。

「ねえ、一体何が起きているの? 彼は誰? さっきの女はどこに行ったの?」

 戸惑うシヴァル。目の前で人間が回り灯籠のように変化したら誰だって驚く。

 アリスはエネルギー場を見ることができる右目にエネルギーリソースを集中し、青年のエネルギー場を読み始めた。その右目はシヴァルに説明した通り、人の持つエネルギー場を見ることができた。エネルギー場はその人が持つエネルギーによって一つとして同じものはない。ただ、思想が同じ人は似通った形になるし、性別や人種によっても似通った特徴が出ることはある。そして人と人でないモノのエネルギー場は全くと言っていい程違った。

 今アリスが見ているエネルギー場は人間のものでアンドロイドではない。だがどこかがおかしい。ふつう人間ならその人物にあった特徴的な形、尖ったところが現れる。だがこのエネルギー場にはそういった特徴がなかった。あらゆる個性を混ぜて平均化した形とでもいえばいいのか。言ってみればブレンド人間だ。やがて青年は一番最初にやってきた紳士に戻った。

「あなた何者?」

 驚くアリスに紳士は頷き、憂いのある目を向けた。

「実はそのことで困っているのです」

 紳士の話ではある時を境に突然他人に変貌するようになったということである。そうなる日の前の晩には必ず何かに引っ張られるような強い力を感じたそうだ。そして翌日には別の人間になっていてその間の記憶がなくなっていた。

 そんなことが何回かあり自分が何者か分からなくなった。医者にも行ったが精神性疾患で外見が変わることなどありえない。お手上げだと言われた。そしてここを紹介された。アリスの右目なら何か分かるかもしれないと。お酒を飲むと入れ替わりが激しくなるため、今日はウィスキーを飲んでアリスに変貌する様を見せたということだ。

「そうは仰られても、私にできることはなさそうです。確かに私の右目には、あなたのエネルギー場が見えます。少し変わった形をしているのは、何人かのエネルギー場が混じり合っているのかもしれないです。でもそれを治す方法を私は知りません」

 シヴァルを見ると、彼女もまた両手を持ち上げてみせた。

「そんなこと言わずにお願いします。私の人生が誰かに勝手に使われているなんてあまりにひどい。紹介してくれた人によれば、あなたはエンジニアリングとかいう方法で、その『エネルギー場』とかいうやつを操れるそうじゃないですか」

 紳士も必死である。

 アリスは譲り受けた斬霊剣のことを考えた。たしかに斬霊剣はエネルギー場を斬ることができた。だがそれは人に取り憑いたもう人では無いものの意志を根こそぎ切り落とすということで、深く融合してしまっている場合弊害が出ることもある。ましてや尖ったところが無いものを斬るのは不可能だ。それは足し算や引き算ではないのだ。アリスは紳士の前で両手の指を組んで見せた。

「いいですか。仮にそういう事ができたとしても、それはこの組んだ指ごと真二つに左右を切り離すのと同じです。すべての指を失ってしまったあなたは、本当に元のあなたですか?」

 紳士の顔から血の気が失せていった。

「そうですか。そうですよね」

 そう言っている紳士は消え、今は艶容な女性に変わっている。

「実はもっと困ったことがあるのよ」

 女性はウィスキーを飲み、おいしいと言って笑った。

「もっと困ったこと?」

「昨日の晩、またいつものアレがあったのじゃ」

 老人が言う。

「アレって引っ張られるような夢のことですか?」

 美青年が恥ずかしそうに頷く。彼はしゃべるのは苦手のようだ。

 やがて美青年の風貌が少しずつ変化し始めた。身体が膨らみ始め背もぐんぐんと伸びた。顎ががっしりとし髭がもうもうと伸びて顎を覆っていった。若者らしいポップなシャツは消え失せ、筋骨たくましい胸を覆うのは汚れ傷ついたバトルスーツだった。そして何よりの特徴は口元から左頬を一直線に走る大きな傷痕だった。男は最近政府関係者を暗殺して逃げ回っているテロリストに違いなかった。確か非常線が張られているはずだ。

 アリスの右目もまた男の特徴を捉えていた。自己顕示欲が強く、所有欲も際立っている。そして残忍。だが、それすら全体の形としてはフラットになってしまう。これこそが人間の本来の姿なのかもしれない。完璧な姿。

「あなたの顔は見たことがあるわ」

「そうかい。俺も有名になったもんだ」

 テロリストは左手でウィスキーグラスを掴むと、残りを一気に飲み干した。本物のウィスキーに舌鼓を打つ間、不自然に右手はカウンターの下に隠している。厄介事はゴメンだ。アリスが声をかけようとしたその時、テロリストが右手を持ち上げた。そこには電子パルス銃が握られていた。

「ばいば〜い」

 テロリストは躊躇なく引き金を引いた。

 だがアリスのスピードの方が早かった。アリスは銃弾を避けながらテロリストの右手を掴んだ。後ろでパルス弾が酒瓶を打ち砕きウィスキーが一面に飛び散った。そのままテロリストを引き倒すつもりだったが想定外の仕掛けがなされていた。バトルスーツに高圧電流が仕込まれていて触った相手が感電するようになっている。そのため、掴んだ右手から流れた電流がアリスの右腕回路をすべて焼き切ってしまった。瞬時にサンダーカット回路が主回路への通電をカットしたため、電子頭脳が焼かれることはなかったがテロリストを右手で掴んだまま、身体はまったく動かなくなってしまった。

「がはははは。機械の分際で俺に触ろうなんて千年早えんだよ。じゃあな。あした割れた酒瓶と一緒にゴミに出してやるよ」

 テロリストが銃をアリスに向けた。身体が動かないので逃げられない。

 テロリストが引き金を引くのと同時に、彼の首が後ろに引っ張られた。おかげで弾は逸れた。テロリストの髪の毛をシヴァルが掴んでいた。

「友達に手え出すんじゃないわよ」

 シヴァルはその鍛え抜かれた肉体でテロリストの首を折らんばかりだった。だが相手は武装テロリストだ。歩が悪い。

「てめえ」

 テロリストがシヴァルの胸を突いた。するとシヴァルの胸で火花が散り、彼女は後ろに吹き飛ばされてしまった。胸が焼け焦げていた。

「てめえから先に血祭りにあげてやるぜ」

 テロリストがシヴァルに銃を向けた時、テロリストの背中で何かが光った。

 その光は一瞬まばゆいばかりに光ると、すぐに一点に収束しそこに光を全く反射しない黒い穴を開けた。それは警察が放った自動追尾監獄だ。犯人にたどり着くとそこで半径5メートルのあらゆる物を直径10センチの球に封じ込めてしまう疑似ブラックホールだ。このままではテロリストと一緒に吸い込まれてしまう。

 テロリストがよろけ吸い込まれ始めた。

「ふざけんな。助けてくれ。いやだ。助けて」

 次々に姿が変貌していく。紳士たちも一緒だがもうどうしてやることもできない。

 アリスは瞬時に判断し動力回路を組み替えた。力は出ないがこれで両足が動くはずだ。テロリストを掴んだまま店を飛び出すと転送エレベータに右手から先を押し込めた。行き先を百メートル先の海底に設定して転送ボタンを押した。軽快なベルの音がして右肘から先が軽くなった。百メートル先の海底から半径5メートル分の海水が消えた衝撃が伝わってきた。

「大丈夫?」

 アリスが店に戻るとシヴァルはなんとか起き上がっていた。

「鍛え方が違うからね」

「まったく。無茶しないでよ。あの人達どうなるのかしら」

「さあ。後は警察がなんとかするんじゃない」

 シヴァルは黒く焦げ、肘から先にないアリスの右手を取った。

「おかしいわね。こういった職業なら修理は不要だと思っていたんだけど。右腕交換に全身チェックが必要ね。右腕はハイパフォーマンスキットだから高く着くけど、JONNIE WALKER並に完璧に仕上げてあげるわ」

「完璧はこりごり。Glenfiddichにして」 

 シヴァルは嬉しそうに微笑んだ。

          終

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