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サクラは隠す

 カウンターテーブルの上にはちょこんとクロネコが座っていた。くりっとした目でアリスを見上げながら、小さな舌でグラスのウィスキーを舐めている。時々アリスの所に居付いてしまったグレイハウンドを気にするが、当の犬はいつでもゆったりと寝そべっている。バーの裏手で食料コンテナを下ろしていたドローンが戻ってきて、催促でもするように頭上をぐるぐると回った。

「そう急かすなよ。電子ウィスキーだって下民にとってはめったにないごちそうなんだから。いつかはあの棚の上にある、本物を飲みたいものだよ」

 配達人のクロネコがひとりごちた。

 ここは政府管理外地区の小さな無人島。アンドロイドのアリスが営むビーチバーだ。政府管理外地区にあるせいで客はあまり来ない。たまにやって来る客は政府とは関わり合いたくない連中ばかりで、そういった客はたいてい厄介事を連れて来た。

 クロネコは店の出入り業者で、サーバに意識転送していて普段はアバターの黒い猫を表示させている。本人の身体はどこかの小さな安アパートにでもあって、冬眠状態にでもしてあるのだろう。彼と取引をしている者で実態を見たものはいない。

「それで相談事って何なの?」

 アリスはピーナッツの皿を表示させた。ウィスキーもピーナッツも安い電子データだ。

「それだよ、それ。サクラシティって聞いたことあるだろう。なんでもローレイヤーでくすぶってる下民を無償で受け入れてくれるっていうミドルレイヤーシティさ。まるで慈善団体みたいじゃないか。そこからお誘いを受けたんだ」

「あら良かったじゃない。随分と多くの人が移住したみたいだし、評判も悪くないわ。ゴミ溜めから脱出ってことかしら」

「だがね」

 クロネコはピーナッツをカリカリとかじる。

「ヤバい噂もあるんだ。住人が時々消えるっていう噂さ。それに、俺の知り合いに地下活動してるレプのメンバーがいるんだが、サクラシティをハッキングしたらえらい物を見ちまった」

 アリスはカウンターに両肘をついてクロネコの目を覗き込んだ。エメラルドのように美しいグリーンの瞳が光った。よほどこの話題を話したかったのだろう。もったいぶった間を置いてからクロネコが続けた。

「サクラシティの地下農場で生きた人間を何かの材料にしている現場を見たらしいんだ。その話をしてくれたレプとは今連絡が取れなくなっている。どうだい。ヤバいだろ。だから俺は誘いに対してこう言ってやったんだ。クソ喰らえってな」

 クロネコが自慢げに鼻をひくつかせた。

 話し終わって満足したのか、クロネコはウィスキーグラスを隅々までなめ尽くしてからドローンと共に帰っていった。クロネコは帰りがけに新製品のサンプルといって、乾燥ワームスナックを一袋置いていった。袋にはチリペッパー風味と書かれていた。

 それからしばらくしてバーに一匹の犬がやって来た。背が茶色で腹は白。顔はこれでもかというほど真っ黒なボクサーだ。スツールに腰掛けるなり、注文もせずに、

「クロネコが姿を消しちまった。あんた、知り合いだろ。探してくれないか」

と真っ黒な顔を歪めて言った。クロネコから金を返してもらわないと、自分の借金を払えないのだそうだ。

 ボクサーの借金などどうでもよかったが、クロネコがいないと食料調達が止まってしまう。ふと、サクラシティの誘いを断った自慢話を思い出した。アリスは先ずそこから当たってみることにした。

 サクラシティは無償で住人の受け入れをしているだけあり、入場の審査は実に簡単なものであった。実際に住むのであればもう少し細かな審査をするのかもしれないが、観光レベルの訪問ならほぼノーチェックといえた。

 町並みはヨーロッパの田舎のようで素朴で温かみを感じさせた。商店街は活気にあふれ、人々は誰もが笑顔を見せていた。

 だが、すぐにおかしな点に気がついた。実際の人々の姿を確認しようと、物理レイヤーまでレイヤーを落とすと、まるで人の姿が見えなくなった。レンガを敷き詰めた歩道を歩くのはアリスただ一人で、先程までいた笑顔の人々は全てこのサクラシティが提供しているレイヤー上の、実体のない意識データということになる。ここには多くの人が移住してきているはずなのに、実体はどこでどうしているのだろうか。アリスはサクラシティと物理の両レイヤー映像を重ね合わせて見ることにした。サクラシティレイヤーの人々が透けて見えるため、まるで幽霊のようで気味の悪い映像となった。

 しばらくクロネコの姿を探して回ったが、そもそも猫の姿でうろついているかどうかも分からない。情報を得ようとクロネコが立ち寄りそうなバーを見つけて入ってみた。広くはないが落ち着いた雰囲気のバーで、入り口を入るとすぐ横長のカウンターに行き当たる。スローテンポなジャズが気にならない程度に流れており、口ひげを生やした男性マスターが黙々とグラスを磨いている。

 カウンターの一番端に老女が一人座っていた。ほっそりとして短く刈り上げた白髪がよく似合っていた。アリスが今日初めて見る物理レイヤーの人間だった。

 アリスは一つ空けてカウンター席に着くと、フォアローゼスをロックで注文した。さり気なく老女を見ると、彼女は薄いゴールド色のウィスキーをストレートで味わっていた。横に置かれたボトルには『松井』と流れるような漢字で描かれている。『松井・サクラカクス』である。希少な桜材の樽で熟成されたウィスキーでノンカラーの薄いゴールド色が美しい。僅かな甘みの中に流れるようなマイルドな味わいがある。その甘さの後ろでほんのりと桜が香る。老女のグラスの中で光を受けた『松井・サクラカクス』は夜桜を連想させた。

「あの。私アリスといいます。失礼ですが、ここへはよくいらっしゃるのですか? ちょっと人を探しているので、もし何か知っていたらと思いまして」

 老女は黙ってアリスを見詰めた。人の痛みを背負ったような目をしていた。

「すみません。お邪魔してしまったようですね。初めて見かけてた実体を持つ人だったので、もしかしたらこの街のことを何かご存知なのかと思ったものですから。失礼しました」

「それで私に話しかけたのかい。普通ならそういうことはマスターに聞くものだからね」

 それきり老女は黙ってしまった。

 マスターにクロネコのことを訪ねていると、入り口が開いて二人の男が入ってきた。一人は背が高く、一人は背が低い。そろって黒いツバ付き帽子に黒いコート姿だ。ふたりは同時に渦を巻くような気分の悪くなる視線をアリスに向けた。

 何者か分からないが歓迎する相手ではなさそうだ。アリスが出方を探っていると唐突に肘を掴まれた。老女だった。

「さあ、行こうか。マスター。支払いは付けておいて。この人の分も一緒に」

 老女はマスターの返事も待たずにアリスを外に連れ出した。入り口で二人とすれ違うとき、彼等はずっとアリスに視線を向けていた。アリスに用があるのは明らかだった。

「どこへ行くの?」

「いいから歩いて。やつら付いて来ている?」

 振り向くと二十メートルほど後ろを黒いコートの二人が付いて来ていた。

「彼等は何者なの?」

 老女はアリスの右目を覗き込んだ。オッドアイで右目だけ青い。

「あんた、その右目は何が見えるんだい?」

 アリスの右めには重力場センサーが組み込まれている。重力場の僅かな違いでエネルギーの流れや、人の持つエネルギー場を見ることができた。右目のセンサーを起動して二人を見るとそこには渦を巻くような、とても人とは思えない形のエネルギー場が見えた。その場が何なのかアリスは知っていた。渦を巻くエネルギー場は人のエネルギー場を吸収しながら崩していく。人が死ぬ直前に現れるエネルギー場だった。

「彼等は人の死と関わりがある連中みたいね」

「そりゃそうさ。あいつらはサクラシティに移住してきた連中を、片っ端から攫っている悪党さ」

 老女は裏路地に入り込み黒いコートの二人をうまく巻くと、とある小さな扉の前にやって来た。何の変哲もない小さな扉を開くと地下に続く階段があった。老女は扉を潜り階段を降り始めた。

「あんたの探しているクロネコとやらもきっとこれから行く場所にいる。案内してあげるから付いて来な」

 迷路のような地下通路を抜けると機械の唸りが響く通路に出た。そこはサクラシティとは雰囲気がかなり違っていた。真っ白で清潔感あふれる通路はいかにも食品工場と感じさせた。通路を進み角を曲がると眼の前に巨大なホールが現れた。ホールはガラスで囲われ、アリスたちはホールを上階から見下ろす形で立っていた。

 ホールの真ん中を横切るようにベルトコンベアが動いていて、そのベルトの上を何かが移動していた。不格好な楕円形のような肌色の何か。目を凝らしてみるとそれは膝を抱えた形の人間だった。虚ろな目付きをした彼等は夢でも見ているのか、ベルトコンベアの上を黙って運ばれていた。そして途中でベルトコンベアから左右に放り落とされた。数メートル下にはクリーム色の海が揺らめいている。落ちた人間はしばらく波間で力なくもがいているが、やがて覆いかぶさってきた波に飲まれて消えた。人間が落ちた場所では波が渦巻き、激しくぶつかり合い、まるで波自体が生きているように自在に動いた。やがて波間に赤い色が広がっていった。そして赤い波の中心から真っ白な球体が浮かび上がってきた。それはさっき波間に落ちた人間の頭蓋骨であった。そんなことが、ベルトコンベアの左右で幾度も繰り返された。

「あれは一体何?」

「ここはワーム農場だよ。サクラシティに移住してきた人はこうして虫の餌にされているのさ。ローレイヤーの人間が何人いなくなろうと、誰も気にもしない。こうして肥え太ったワームは優良なタンパク源として世界中に出荷されている。あんたが見たかったのはこれだろ」

 アリスはクロネコが持ってきたワームスナックを思い出した。

「これは犯罪じゃない」

「犯罪? 残念ながら違う。彼等はサクラシティレイヤーに意識だけ残して、身体を売ってしまったんだよ。自ら契約したのさ。でもさ、身体がない人間なんて人間じゃないよ。私は彼等が、彼等の身体が不憫でならないんだ。だから時々こうしてここへやってきては、彼等の身体ために祈っているのさ」

 老女は床に座り込むと懐からスキットルとショットグラスを二つ取り出した。ガラスの前にショットグラスを並べてスキットルからウィスキーをなみなみと注いだ。薄いゴールドのウィスキーは『松井・サクラカクス』だろう。

「迷わず逝けよ」

 老女はショットグラスの一つを持ち上げて一気に飲み干した。

「アリスさんですよね」

 振り向くと黒いコートの二人が立っていた。背の高い方が言う。

「その人の話を聞いたのですね。我々の事業にやましいことがないと分かってもらえたでしょう」

「あれが悪事でなくてなんなんだい」

 老女がつぶやく。

 二人は老女を無視した。身体の死を悼むだけの人を前に言うことは何もない。

「あなた達は何者なの?」

 背の低い方が答える。

「我々は農場のガードマンです。あなたのような、農場にふさわしくない人、いやアンドロイドを見つけて出ていってもらうのが仕事です」

 背の高い方が言う。

「それと、身体を売ってくれる人と契約するのも仕事です。法律的に問題は何もない。でもこの光景を世間に知らせるとちょっとした混乱が起きます。それはあなたのその高速で動く電子頭脳で考えればすぐ分かることでしょう。ですから」

「口外しないでほしいと言うことね」

「その通り」

 二人が声を揃えて言った。

「帰ってもらえませんか」

「そうすれば我々の間にも何も問題は起きない」

 アリスは黙って頷いた。老女はひたすら悲しみに濡れた目でベルトコンベアから落ちていく人の抜け殻を見詰めていた。ほんの少し、老女がなぜ悲しい目をしているのか分かった気がした。

 その後、サクラシティのからバーに戻ったアリスは一本のウィスキーを入荷した。薄いゴールドの色をしたサクラが香るウィスキー。そしてクロネコのためにグラスに一杯注ぎカウンターの隅においた。クロネコがグレイハウンドを気にしながら、ちょこんと座って舐めているように感じた。つまみはピーナッツ。新作のワームスナックは燃やしてしまった。

          終

 

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