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ボディチェンジ

 アンドロイドのトーマスは波打ち際にボトルが浮いているのを見つけた。もともと船を寄せ集めて作られた島なので、海面までは切り立っているが、幸にしてボトルはボートを引き込めるドッグゲートの凹みに引っかかっている。慎重に梯子を降りてボトルを拾った。もしウィスキーが入っていれば、ドリームシティの酒場に売りつけるつもりだった。ボトルのラベルはあらかた剥がれていたが、かろうじて横を向いた七面鳥と『8』の文字が見て取れた。

「ワイルドターキーか。しっかり飲み尽くしやがって」

 ボトルは空だった。代わりに入っているのは長細い木片。四角柱の各面には見たことのない文字が刻まれている。インドの文字だろうと想像はできたが意味は分からなかった。何にしても金にはなりそうもない。トーマスはボトルをゴミの山に放り投げた。ボトルは派手な音を立てて砕け散った。ガスでも入っていたのか一瞬黒いもやが広がったがすぐに消えた。

 ここはゴミ処理島のドリームシティ。政府に管理されるのを嫌った人やアンドロイドが住み着いてゴミを再資源化している。だが時々ゴミの中には厄介事を引き連れてくるモノがある。それもひどい厄介事をだ。

 トーマスは希少金属が含まれていそうな機械部品をいくつか拾うと工場に戻った。プラズマ粉砕機で微粒子まで粉砕するつもりだった。ところが夜中まで黙々と仕事をこなして出来上がったのは、どういった訳か機械部品を寄せ集めた人形だった。酒瓶ほどの大きさの人形を持ち上げると、トーマスはなぜこんなものを作ってしまったのだろうと考えた。もしかしたらバッテリーが低下していて思考回路が乱れたのかもしれない。早速バッテリーチャージ椅子に座ると、思考を停止してスタンバイモードに入った。

 ところがすぐにトーマスは目を覚ました。そして工場を出て街の繁華街に向かった。手頃に小さいバーをみつけるとそこに入った。アリスのバーだった。

「いらっしゃい」

 店には誰もいなかったのでカウンターで獲物を待つことにした。

「ご注文は?」

 言いながらトーマスを見るアリスはどこか警戒した表情をしている。

「ワイルドターキー。8年ものはあるか」

「もちろん電子ウィスキーでよければ何だってあるわよ」

「ロックでくれ」

 電子ウィスキーを飲みながら待つと一人客がやって来た。街の顔役であるゲン爺だった。こいつはだめだ。年寄りすぎる。

 ゲン爺はアリスととりとめもない話をしながら一杯だけ飲むと帰っていった。トーマスは『ワイルドターキー8年』をもう一杯頼み次の獲物を待った。

 三杯目を飲み終えた頃、若い男がやって来た。マッキーという名の若者で頑健そうな肉体をしていた。トーマスはアンドロイドらしからぬ笑みを口元に浮かべた。

「勘定してくれ」

 立ち上がると足元がいい塩梅にふらついた。ふらついた拍子にマッキーにぶつかり詫びを言った。そのまま店を出る。背後でマッキーの舌打ちが聞こえた。出ていくトーマスをアリスが注視しているのには気が付かなかった。

 深夜トーマスは町外れにある寺院に向かった。寺院といってもゴミ山から拾った小さな仏像が一つ、手作りの小さな社に収められているだけだ。それでも信仰を持つ者が時々拝みにやって来て蝋燭を灯したり供物をしたりするため、そこだけゴミ処理島とはかけ離れた雰囲気の特殊な空間が出来上がっていた。

 だが今は深夜なので誰もいない。トーマスは持って来た不恰好な人形を仏像の社の裏壁に当てがうとハンマーと釘で壁に打ちつけた。

 不恰好な人形の中にはアリスの店でぶつかった時にむしり取ったマッキーの髪の毛が収められていた。

「マッキー。お前の体をよこせ。お前はそこから出ていくんだ」

 トーマスの表情は目がつり上がり鬼神のようであった。荒い息遣いで肩を大きく上下させている。それは最早アンドロイドの佇まいではなかった。本来のトーマスの意識は未だスタンバイに沈んだままだ。トーマスのボディを動かしているのは『ワイルドターキー8年』のボトルに封じ込められていた黒いもや、何者かの思念であった。

 トーマスを操る思念はその後、呪詛を唱えながら釘を十本も人形に打ち込んだ。

 翌日、マッキーは体の調子を崩して仕事を休んだ。仲間にはタチの悪い風邪を引いたみたいだと語っていた。実際熱がでてひどく体がだるかったのでベッドに伏せっていた。

 マッキーの工場でその噂を聞いたトーマスはマッキーの家に向かった。マッキーの家はひどいボロアパートだった。扉のロックも誰でも開けられるようなちゃちな暗証で、トーマスは簡単にロックを解除して扉を開いた。部屋は狭く暗かった。いたる所に生活のゴミが散らかっている。

「やあ、マッキー。いるんだろ」

「誰だ」

 窓辺に置かれたベッドでマッキーが首だけ持ち上げた。目の下の隈が目立つ。

「見舞いに来た。プレゼントだ」

 トーマスはマッキーの枕元にあった治療タグを払い落とすと、そこに不恰好な人形を置いた。この人形にはトーマスのボディから抜いたネジが収められている。トーマスとマッキーをつなぐ依代とするためだった。

 トーマスはマッキーの髪を鷲掴みにして言った。

「治療タグは使うな。身体に悪い」

「離せ。お前は何なんだ」

 だがマッキーは血走った目をしたトーマスの顔を見て息を呑んだ。こいつはいかれている。

「身体を大事にしろ。俺のために」

 トーマスはそう言い残して部屋を出た。

 それから数日間、トーマスは寺院に通った。いつもその手にはマッキーの髪の毛を納めた不恰好な人形とハンマーが握られていた。寺院の裏手には数個の人形が打ち付けられている。全てトーマスがやったことだ。その効果がありマッキーはかなり弱っていた。おそらく今日の一体を打ちつければ彼は死ぬだろう。死んだことは依代が教えてくれる。知らせが来たらすぐに依代を通ってマッキーの身体に乗り移ろう。

 もうすぐだ。もうすぐ人間の肉体が手に入る。この世に戻ってこられる。

 そう思うとトーマスは全身が打ち震えるのを感じた。全身を駆け巡るエネルギーが沸き立った。感情を抑えきれずに吠えた。そして最後となるであろう人形を壁に押し付けた。

「やめなさい」

 トーマスは驚いて人形を取り落とした。アリスがこちらを睨みつけていた。

「お前。見たな」

「強い負の思念がここまでつながっていたわよ」

 アリスの右目は重力の僅かな変化を捉えることができた。その僅かな変化で相手のエネルギー場を読み取ることができる。アンドロイドでありながら人間のそれと同じ形。しかしそれはどす黒い異常な執着のようなもの。それがアリスの店から点々と痕跡を残してここまで続いていた。

「見たな。見たな。見たな!」

 黒い執着の思念は暗黒の穴となって壁に打ち付けられた人形たちにつながっていた。それは呪いの人形。トーマスがやっているのは丑の刻参りだった。

「殺してやる」

「哀れね」

 どうやってトーマスのボディにたどり着いたのか分からない。ただ、その哀れな思念は取り除いてやらねばならない。アリスは斬霊剣を抜いた。

「死ねえ」

 トーマスがハンマーを振り上げて飛びかかって来た。

 それを横にかわしながらトーマスのボディを掠めるように剣を切り上げる。さらに振り向きざまに頭の上を掠めながら横に薙ぎ、脇を切り下げる。そして切り離された黒い思念に『ワイルドターキー8年』のボトルを突き出す。ボトルには般若心経を刻んだ木片が収められていてそれが黒い思念を吸い取る。栓を閉めると黒いもやがボトルの中で竜巻の如く渦巻いたがやがて静かになった。

「いい加減に悪酔いから目覚めなさい。あなたは死んだのよ」

 黒い思念を切り落とされたトーマスは両腕を前に突き出したまま突っ立っていたが、やがてゆらゆらと揺れてその場に崩れ落ちた。一分ほど静かだったが、やがてスタンバイモードからようやく解放され、本来のトーマスが戻って来た。

「あの、私はなぜここにいるのでしょうか。行動記録では工場でチャージしていたはずなのですが」

「ふふふ。お酒には気を付けることね。特にフルボディのお酒にはね」

 アリスが簡単に説明した後、詳しい話を教えるからお店で一杯飲まないか誘ったが、トーマスは丁寧に礼を言ってから断った。本当にお酒には気を付けるつもりのようだ。アンドロイドにとって記憶がないというのは存在しないも同然だ。気を付けるというのはいい心がけだとアリスは思った。『ワイルドターキー8年』のボトルはまた誰かが悪酔いすることがないよう、棚の奥で厳重に保管しようと思った。

          終

おまけのティスティングノート

『ワイルドターキー8年』はアメリカのケンタッキー州で生産されるバーボンウィスキーです。バーボンといえばトウモロコシの比率が高いのが特徴ですが『ワイルドターキー』の割合は非公開です。それが荒々しくトゲがあるとも言われるフルボディの味わいを作っているのでしょう。

 ワイルドターキー蒸溜所は実に5回もオーナーが変わっています。その度に経営に関しては大きな変化があったのでしょうが、その味わいは60年以上も同じ製法を守り続けることで変わっていないようです。『ワイルドターキー』という名前は三代目オーナーが雉撃ちの時に持ち込んだウィスキーが好評でそこで名付けられたそうです。

 今回のお話ではオーナーがたびたび変わるという逸話から思いつきました。人間にとって入れ替わりというと『君の名は』のような意識の入れ替わりが思いつきますが、もっとホラー要素を盛り込むのなら体を奪い取る話にして、さらに丑の刻参りのような奇行と組み合わせてみようということで今回のお話が出来上がりました。もし将来意識の入れ替えが簡単にできるようになったとしても、入れ替えるかどうかは本人の意思でなくてはならないでしょう。それが他人の意思で行われたら恐ろしいですよね。

 ところで扉の写真、中央の光が両手を上げた人の形に見えませんか?

 


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