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Old is not New

 マルーはいかにも紳士然としていた。背が高くがっしりとした体つきで、ブラウンの髪は七三にきれいに分けられ口髭もしっかりと手入れされている。視線は相手を安心させる様な穏やかなもので両手を体の前で組んでいた。もし彼の職業が銀行員だと言われれば誰もが納得する。そんな穏やかでありながら隙のない雰囲気を持っていた。

 マルーはアリスのバーの入り口に立ち店内をひとあたり見渡した。正面にはカウンターがあり客がひとりウィスキーを嗜んでいる。カウンターの内側でアリスが相手をしながらもマルーのことを気にしている様子だ。右手にはテーブル席がならび左手には小さなステージがあるが、どうしう仕掛けか壊れたピアノが音楽を奏でていた。そしてその音楽に合わせて女性の足が、なぜか足だけがダンスを踊っている。

「本当にここで正しいのか?」

 それがマルーの抱いた印象だった。

「いつまでそこに立っているつもり?」

 アリスに声をかけられ、マルーはカウンター席に着いた。

「君がアリスだね」

「そうです」

 最初にバーテンダーの名前を聞く客は多い。特に女性型アンドロイドとなればなおさらだ。そしてそういう客はたいてい下心がある。

「ひとつ教えてもらいたいことがある」

 そらきた。アリスは身構えた。

「君は人間の気持ちがわかるというのは本当か」

 想定外の質問だったが、扱いにくい客ではなさそうだ。

「ここはバーよ」

「ああ、そうか。すまない。実は電子酒というものを飲んだことがない。必要なかったものでね。そうだな。ウィスキーをもらおう」

 マルーは宙に表示されたメニューを指で追うと何か見知ったものをみつけたらしく、二度人差し指を振った。

「これにしよう。『サントリー・オールド』の水割りをお願いする」

「『オールド』は知っているの?」

「聞いたことがある。かつて日本が繁栄の絶頂だったころに一番売れたウィスキーだと」

「昔の日本に乾杯」

 カウンターの客がマルーに向けて杯を掲げていた。体の大きなアンドロイドで「オニール」と名乗った。

「今じゃあ国なんてカテゴリーの一つに過ぎないからな。ナショナリティで括れた時代が懐かしいよ」

 マルーはオニールに杯を掲げると一口含んで顔を顰めた。想像していた味ではなかったからだ。いくつかのセンサーがイエローラインを超えたことが分かった。これは飲み過ぎないほうがいい。

「ところで聞きたいことって何かしら」

「人間っていうのはどうして手順通りに動かないんだ? 彼らの気まぐれで非生産的な行動のせいで生産予定が狂いっぱなしだ」

「あら。Mシティの方かと思ったら違うのかしら。ここには人間はいないはずよ」

「実は私はMコーポレーションそのものなのだ」

 マルーはMシティの工業生産を引き受けるMコーポレーションの実体であった。かつて企業は実体を持たないものであったが、意思決定がAIで行われるようになったため法人としての実体を持つ様になった。マルーの仕事はMシティ発展の歴史そのものだった。全ての生産管理から採決までを彼自身が行い、彼の指示の許、数万もいるアンドロイドが最高のパフォーマンスで稼働していた。 

 だが、彼の役目は生産を軌道に乗せるまでだった。生産がフルオートで回るようになってから、管理は全て政府アシストコンピューターのアテナスに移された。

 そしてマルーには新たな役目が与えられた。

 人間の意識を融合させたアンドロイド、Xロイドだけの部門を管理することだった。

 Xロイドの管理は全てが想定外だった。彼らの仕事にはばらつきがあり、唐突に仕事を休んだり投げ出したりした。マルーの過去の経験は全く役に立たなかった。

「彼らはどうして言うことを聞かないんだ」

「Mシティ建設当時からいたのなら、人間の労働者も扱ったことはあるのでしょう?」

「あるさ。だが、Xロイドは人間じゃない。完全意識の一部を融合させたアンドロイドだ。確かにアンドロイドを超えていく者ではあるかもしれないが、プログラムで動いていることに変わりはない。それなのに突拍子もないことを始めたりする」

 マルーはそう言うと再び水割りを口に運ぶ。グラスの中身は半分以上減っていた。センサーゲージが赤点滅を始めた。

「何で彼らはああいい加減なんだ」

 それこそが人間の持ち味。そこから様々な飛躍が生まれる。そうアリスが言おうとしたときオニールが口を挟んだ。

「そりゃあ、あんたが古くなった証拠だよ」

「なんですと」

「新しい論理についていけない。時代についていけない。それはもうお役御免ってことじゃないのかい」

「そんなことはない。私は先日まで第一線で指揮を取っていた。だからこそ新しい部署管理の仕事を与えられたんだ。私はここでもうひと花咲かせるつもりだ」

「ひと花ねえ。そんなセリフは今時のやつらは吐かないぜ」

 二人の間に険悪な雰囲気が流れ始めたのでアリスが割って入った。

「協力して欲しいなら協力するわ。ただし時々お店に飲みに来て。それが条件」

「お安い御用だ」

 マルーは初めてのウィスキーでかなり酔っ払っていた。空になったグラスを置く力加減ができず、グラスが大きな音を立てた。

 それからマルーは幾度となくアリスのバーに通い、アリスから人間心理について教わった。彼らは感情で動くことがあるのでそれを乱さないようにすること。できればより心地よいと思える雰囲気を作ること。慣れない仕事を覚えるには反復が必要なことなどを教えた。

「アテナスはなんで非生産的なXロイドを使おうとしているんだろう」

「やり方次第でパフォーマンスは100%を超えることがあるからじゃないかしら。アンドロイドにはできることしかできないから」

「そうは言ってもあまりにも非生産的すぎる。反復練習なんてことをしている暇はない」

「それならとっておきの相棒を紹介するわ」

 アリスが示す先にはイグニスが座っていた。貂の姿をしたアンドロイドだがごく短い時間なら時を戻すことができる逆転回路が組み込まれている。つまり100回でも200回でも同じことを繰り返すことができる。

「失敗作の私もたまには役に立つことがあるみたいですね」

 イグニスの言葉に、

「失敗か成功かはその時々によるわ」

とアリスは微笑んだ。

 マルーの部署の業績が上がり始めたという報告を受けたのはそれから程なくしてであった。きっとイグニスの力を借りて何度も特訓をしたのだろう。失敗を繰り返す度に相手を慰め、なだめすかし、励ますマルーの姿が思い浮かぶようだ。

 きっとそろそろいい報告を持ってやってくる頃だろうと思うと、案の定マルーがやって来た。

「そろそろ来る頃だと思っていたわ」

 ところがカウンター席に着いたマルーの表情は暗かった。

「あら、新たな問題発生かしら。いいわよ。何でも聞いてちょうだい」

「違うんだ。今度はそういうレベルの話ではない」

「ならどうしたっていうの」

「実は……」

 いつも通り『オールド』の水割りを出すアリスの手が止まった。

 顎のロックを外してマルーは顔を跳ね上げた。曝け出された頭部の内側にはぎっしりと機械が詰め込まれている。目に当たる部分にはカメラモジュール、鼻にあたる部分の嗅覚モジュールが配置され、それらの細々としたモジュール類の奥に電球型をしたコアが格納されていた。コアはアンドロイドの制御を行うプロセッサモジュールであるが、動作や活動に応じて様々な色で輝く。

 ところが今マルーのコアは明らかにその輝きが薄れていた。そして驚いたことにコアを取り巻く装置類に黒い錆のようなものがこびり付いていた。

「一体どうしたの」

「テロメアが発動したんです」

「テロメアって老化を即す遺伝子のことでしょ」

「アテナスはMシティのアンドロイド全てにテロメアプログラムをインストールしているんです。そして何かのきっかけでそれが発動するのです」

「きっかけって何かしら。業績は上がって来てるじゃない」

「それが気に入らないのかもしれません」

「アテナスがコントロールしたいのは人間ってことさ。俺たちはただの歯車だからな」

 オニールが横からぼやいた。

「何よ。アテナスは神にでもなるつもりなの?」

 いつから入り口に立っていたのか、その問いに答える者があった。時代がかったフロックコートにシルクハット。手には黒いステッキを握っている。

「神になるのはアテナスではなく人間たちです。完全意識の完成も近い」

 マルーが振り向いた。

「夢郎」

「やあ、マルー。今日まで本当にご苦労様でした。お陰でXロイドの御し方も段々と分かって来ました。本当なら、アリス、あなたに直接彼らを指導してもらいたかったのですがね」

 夢郎はマルーの前まで歩み寄ると止まれとでも言うように右手を目の前まで持ち上げた。手の前に一枚の電子証書が表示される。書類の最後にはアテナスの署名が記載されていた。

「退職勧告です。異議がないことを祈っています。面倒は避けたいので」

「なぜよ。マルーは頑張って業績を上げたじゃない」

「そう。見事やり遂げゴールしたのです。そうですよね」

「じゃあ、テロメア発動のきっかけってゴールということなの。そんなのないわ。彼らを何だと思っているのよ」

 夢郎がアリスを見やった。愉快そうに目を細めている。

「歯車ですよ。機械ですから」

 マルーに顔はいつになく疲れ切って見えた。

「いいんだ。異議は申し立てない。勧告に従うよ」

「よろしい。それでは退職の祝いに私も一杯いただいてから帰るとしますか。私の好みはご存知ですよね」

「残念だけど、あなたに飲ませるお酒はうちにはないわ。帰ってちょうだい」

 夢郎が肩をすくめる。

「おやおや。少し客がついて来たと思えば随分と強気ですね。まあいいでしょう。目的は果たしたし、今日はこれで帰ることとします」

 夢郎はマルーの肩を二度叩くと快活な歩みで店を出て行った。

「そんな、遠くの花火を見るみたいな顔すんなよ。廃棄待ち同士仲良くやろうぜ」

 オニールはマルーの隣に席を移すと大きな手のひらで肩を抱いた。二つのだるまのように丸まった背中の向こう側でグラスが触れ合う音が響いた。

          終

『サントリー・オールド』は一時期日本で最も売れたウィスキーです。モルトとグレーンの原種だけをブレンドしていてその味わいは大変マイルドです。1950年から生産が開始され、芥川賞作家の開高健氏の広告効果もあり、日本の経済成長の立役者とも言われるくらい売り上げを伸ばしました。『だるま』とも『たぬき』とも称されて親しまれた『オールド』ですが、当時のサラリーマン月給だと高値の花だったようです。そのため「出世したら飲む酒」とも言われていたそうです。

 そんな人気の『オールド』ですが、近年ではシングルモルト人気や高級ジャパニーズウィスキー人気に拍車がかかりすっかり影を潜めている感じです。

 1994年からのCMで印象にのこるものがあります。「夜が来る」の曲とともに「恋は、遠い日の花火ではない。OLD is NEW」というキャッチコピーで流されたCMです。覚えている方も多いのではないでしょうか。あのなんとも切なくて深みのある曲と雰囲気がとても印象深く忘れ難いです。

 そのCMのイメージをアンドロイド世界に投影したのが今回のお話です。人と人との関わり合いや思いが、アンドロイドが仕事を引き受ける世界ではどう変わっていくのか。そしてその先で機械と人間が融合する世界が来るとき「仕事」に対する思いはどう変化していくのか大変興味深いところです。高度成長期に会社の歯車として働いたオヤジたちが飲んだウィスキーを、廃棄待ちのアンドロイドはどんな思いで飲むのでしょう。それは機械にしかわかりません。しかしいつか機械と人間が融合した時、それぞれの思いを知ることができるかもしれませんね。

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