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夢の雫

「何をしに来たの。サンダー」

 いかつい顔に色の濃いサングラス。両頬にはサンダーと呼ばれる理由の稲妻形の傷痕。デザイニングDNA特有の異常なまでに発達した筋肉。だがそれでもサンダーの面持ちは緊張で強張っていた。右手はいつでも銃を抜ける位置にあったが、それとて何の保障にもならない。なぜなら目の前でサンダーを威嚇しているのは、元軍用、地下バトルロイヤルで最強と噂された戦闘アンドロイド、アリスなのだ。もしアリスがその気になれば、銃を抜く前にサンダーの首は胴体から離れているだろう。

 だが、今日はアリスと戦うためにやってきたわけではない。過去を掘り起こせばアリスの敵方に位置していたこともある。それは組織という後ろ盾があるからこそできたことだ。たった一人の男としてこのアンドロイドの前に立つということが、どれ程勇気のいることなのかサンダーは今になって身にしみている。

「あんたに話がある。厄介事を起こすつもりはない」

 乾いて張り付きそうな喉からようやくその言葉を絞り出した。頬の傷を汗が伝った。

 アリスは左右色の違う瞳でサンダーを見詰めたまま、黙って水の入ったコップをカウンターに置いた。

 ここは政府管轄外地区の小さな無人島。辺鄙な場所にあるせいで客はあまり来ない。それでも時々、政府と関わり合いになりたくない客がやって来る。そいうった客はたいてい厄介事を連れて来る。

「私はバーテンになったの。あなた達と話をするいわれはもうないわ。飲むのなら注文を。飲まないのなら帰って頂戴」

「分かった。ビールをくれ。銘柄はなんでもいい」

 いくら相手が恐ろしくてもこのまま帰る訳にはいかない。ヘマをすればどのみち生きていけないのがアンダーグラウンドレイヤーだ。サンダーは出された電子ビールを口に含んで眉をしかめた。

「なんだ、こりゃあ。ひでえ味だ」

「サンダーボルト。インドのビールよ。お気に召さなかったかしら」

 いつしかアリスの表情から警戒の色が消えていた。信用はしないが、客としてならちゃんと接してくれるということらしい。

「いや。最高だ。ビールっていうのは苦くて酸っぱいものだ」

「それで、話っていうのは何?」

「それが…」

 サンダーは依頼人のことを話した。モディリオという少年でハイレイヤーに所属している。何一つ苦労することのないハイレイヤーにいながら、裏ではローレイヤーやアンダーグラウンドレイヤーに電子ドラッグをばらまく売人だった。それでサンダーと知り合ったということだ。

「モディリオが毎日悪夢を見るっていうんだ。夢の中で見知らぬ男に殺されると」

「殺されるような商売しているんだから、仕方がないんじゃないの」

「明晰夢で毎日殺されてみろ。どんなタフでも参っちまう。苦痛は本物と同じだからな」

 明晰夢は脳が作り出す現実と区別のつかない夢だ。人間がいかに脳で世界を見ているかが分かる。

「つまり、夢から助け出せとでもいうの? だったら、ハイレイヤーには腕のいい医者がたくさんいるでしょう」

 その腕のいい医者では埒が明かないのでアリスの元にやって来たのだ。モディリオは誰かに呪われていると信じているが、もちろん医者は呪いなどありえないと言う。同じ話しを繰り返せば行き着くところは一つしかない。そうなれば、必然的にアリスの元へやって来るしかない。アリスはその右目に組み込まれた重力場センサーでこの世のモノではないモノを見ることができるからだ。

 アリスはサンダーを再び見据えた。どうやらやっぱり厄介事が舞い込んだらしい。

「そのモディリオさんはどこにいるのかしら」

「実はもう連れてきた」

 サンダーが乗ってきたエアタクシーに合図を送ると、後部座席から細面の少年が現れた。

 サンダーに並んでカウンター席に座ったモディリオは、悪夢で眠れないせいもありひどくやつれて見えた。

「助けて下さい。怖いんです」

 利発そうだし顔立ちもはっきりしている。だが怯えているせいでひどく幼く見えた。それでも、この少年が電子ドラッグの販売に手を染めていると思うと、助けてやりたいという気持ちはあまり湧かなかった。

「何か飲む?」

 モディリオが黙って首を振る。子鹿のような目がアリスだけが頼りだと訴えている。

「分かったわ。診断してみないと何とも言えなけど、もしうまく祓えたら、商売とは手を切りなさい。原因の一つかもしれないから。それが私が仕事を引き受ける条件」

 モディリオは目を見開いてアリスを見返したが、やがて納得したのか大きく頷いた。

 アリスはサンダーを見た。

 サンダーが分かっているとばかりに両手を上げると、乗ってきたエアタクシーに乗り込んだ。

「終わったら連絡してくれ。迎えに来る」

 言い残してサンダーは去っていった。その方がありがたい。右目にリソースを集中するとその他のセンサーが手薄になる。依頼が本物であろうとサンダーは信用できない。

 アリスは右目にリソースを集中した。モディリオのエネルギー場が重力場への僅かな影響という形で姿を現した。もし何かに取り憑かれていれば、それがエネルギー場に現れる。殺したいと思うほど強い意志であれば、間違いなくモディリオのエネルギー場に影響しているはずだ。

 だが、モディリオのエネルギー場には「死」の影は見当たらなかった。そこにあるのは、誰もが抱く欲望や煩悩程度でしかない。呪いも悪霊の姿も微塵も感じられなかった。

 診断が終わるとモディリオがすがるような目で見上げてきた。

「残念だけど分からなかった。少なくとも呪われていることはなさそう」

 モディリオががくりと首を垂れた。僅かな期待が断ち切られてしまったのだろう。

「でもまだ確認の方法があるわ。夜を待ちましょう」

「なぜ?」

「悪夢に直接乗り込む」

 モディリオが戸惑いの表情を見せた。

「あなたのバイオチップに直接リンクして意識に潜り込むわ。そうすればあなたの夢に入れるはず。あなたが、私を拒否しないでくれれば、私はあなたの夢で自由に動けるわ。そうなれば殺されるのを防げるかもしれない」

「でも毎晩リンクする訳にはいかないでしょう」

「相手が何者か分かれば対策も打てるはずよ」

 モディリオはアリスの言葉にかすかな笑顔を見せた。無理に作った笑顔とすぐに分かったが、そこに蛍の光ほどに希望が含まれているのが感じられた。

 日が落ちるとモディリオはすぐに眠りに落ちた。日頃の寝不足のせいと、アリスがいる安心感からだろう。

 そのタイミングを見計らってアリスはモディリオのバイオチップにリンクした。ガードは全て切ってもらった。これでアリスはモディリオの意識の全てを見ることができる。同時にアリスの全てがモディリオに晒される。モディリオに意識があればアリスの構造的な機密に全て触れることができるようになるが、眠りに落ちている今であれば問題ないだろう。

 こうしてモディリオの夢に入り込んだアリスはどこまでも続く荒野に立っていた。見渡す限り一本の草もない荒野を熱く乾いた風が吹き抜けた。その中を一本の列が動いていた。罪人の列なのか、手足を前後の人に鎖で繋がれた人の列だった。人の列は疲れ切り誰もが下を向いたままゆっくりと歩き続けていた。どこから来て、どこへ向かっているのか分からない。ただ、その行く先に希望があるようには見えなかった。

 そんな暗い影を背負った列の中にモディリオがいた。前後の人々と同じようにうなだれている。

「モディリオ」

 アリスが叫ぶとモディリオは顔を上げた。アリスを見つけて懇願の表情をした。

「鎖を、鎖を外して」

 アリスは駆け寄り鎖を掴んだ。だが、信じられないことに、アリスの力を持ってしても鎖は切れなかった。ここはモディリオの夢の世界だ。アリスのルールは通用しない。

 モディリオの落胆の表情が次第に恐怖のそれへ変わっていった。目は見開かれアリスの後ろを見ていた。

 振り向いたすぐ先に一人の男が立っていた。

 背が高く紳士然としている。丈の長いフロックコートにつば付き帽子という、恐ろしく古臭い装いは19世紀後半のデザインだ。髪を左右に分けて固め、堀の深い顔には彫刻刀で刻んだような笑顔皺。だが目から感情は読み取れない。そして右手にはステッキを握りしめていた。

 ステッキの男はアリスを認めると予想でもしていたのか頷いた。

「あなた、何者?」

「おや、他人の夢に入ってきて不躾ですね。そういう時は先に名乗るのが礼儀でしょう」

「私はアリス」

 ステッキの男は再び頷いた。

「私の名前は夢郎。アリス。あなた、その子のために私を止めに来たんでしょう。でも止めらますか」

「止めるわ」

 夢郎はステッキを持ち上げると左右に引いた。するとステッキの中から仕込みの剣が現れた。

「私は毎日この剣で彼を切り裂いているんです。さぞかし痛いでしょうね。何故そんなことをするのかって? それは彼が罪人だからですよ」

「罪人にも権利はあるわ」

「たくさんの被害者にもね」

 夢郎は剣を振り上げるとアリスに向かって踊りかかってきた。

 アリスは右手を前に突き出した。表面に使われるガードスキンに刃物は効かない。

 ところが、夢郎の剣はアリスの右掌をバターのように突き抜けた。

 驚いたアリスが身を引くと次は胸を突いてきた。

 剣は先程と同じように何の抵抗もなく、アリスの身体を突き抜けた。

 いや、同じではなかった。先程と違ってわずかに剣が突き抜ける抵抗があった。アリスのコアプロセッサーが瞬時に作戦を組み立てる。

 いけるかもしれない。

 夢郎は剣をアリスの胸に深々と突き刺したまま、力任せにアリスを押し下げた。背中に突き抜けた剣先の行く手にはモディリオがいた。このまま二人ともども串刺しにするつもりだった。

 あわや剣がモディリオを貫くという直前、アリスは身体を力強くひねった。するとひねりに合わせて剣の進路がずれた。ずれた先には鎖があった。アリスを簡単に突き刺した剣は、いとも簡単に鎖を断ち切ってしまった。

「鎖が切れた!」

 誰かが叫んだ。それがモディリオの声だったのか、別の誰かの声だったのか分からない。だが、その声は荒野に響き渡った。人々の歩みが止まった。

「鎖が切れた。鎖が切れたぞ」

 やがて声は声を呼び人々は顔を上げて叫び始めた。その声は大合唱になり、荒野を埋め尽くした。人々は声を張り上げ腕を振り足を踏み鳴らした。すると、人々をつないでいた鎖がぼろぼろと崩れるように消えていった。人々もまた、現実に覚醒していくように消えていった。モディリオも消えた。

 初めて夢郎の目に驚きの感情が湧き上がった。

 「驚きましたね」

 夢郎は剣をアリスから引き抜くと、その刃を不思議そうに眺めた。そしてステッキに収めた。

「なるほど、なるほど。まあ、こういうこともあるのですね。仕方ありません」

 今やアリスも消え始めていた。モディリオが目を覚ましかけているのだろう。

「また、会いましょう」

 ステッキの男は消え、アリスは浜辺に戻っていた。傍らで眠っていたモディリオが静かに目を開いた。

 モディリオは再びサンダーがやって来て連れて帰った。その後悪夢は見なくなったと連絡が来た。

 だがしかし、アリスはあれから毎晩夢を見るようになった。荒野を鎖に繋がれて歩く夢だ。夢郎が現れてあの剣で串刺しにされる。痛みも苦しみもない。だが理解できない。アンドロイドは夢を見るのだろうか。これは夢かバグか。アンドロイドだから眠ることはない。だが、スリープモードに入ると必ずこの夢を見た。診断結果は問題ない。だとすれば、プログラム外の、本来機械が持つはずがないと言われている意識に何かが作用しているとしか言いようがない。それは右目で見ることすらできない。

 それから一月ほど経った頃夢郎がバーにやって来た。気がつくと夢郎はビーチに立っていた。砂浜をゆったりと歩いてきてカウンター席に座ると『BRUICHLADDICH』をロックで注文した。

「電子しかないけど、いいかしら。それよりあなた、何者?」

「客ですよ。ご存知でしょうが、『BRUICHLADDICH』はウィスキーのレジェンドと言われた、ジム・マッキュワンが創業当時の大麦を復活させて作ったシングルモルト・ウィスキーです。ジム・マッキュワンはこのウィスキーを復活させるという夢を追い続けて見事に果たした。このライトシーグリーンというウィスキーらしからぬ鮮やかな色のボトルには、爽やかな大麦の香りの液体と一緒に、大きな夢が詰め込まれている。私の大好きなウィスキーなんですよ」

「薀蓄を言いに来たとは思えないのだけど」

 夢郎は一口ウィスキーを一口味わってからグラスをカウンターに置いた。

「こんな風に思うことはないですか? このウィスキーは実はジム・マッキュワンが思い焦がれた夢を私たちが見ているだけで、目が覚めたら何もないんじゃないかって」

「あるいは、ジム.・マッキュワンが私たちの夢をみているのかしら」

 夢郎が微笑んだ。相変わらず目に感情はない。

「さすが、お察しがいい。ここにある全てがジム・マッキュワンの夢かもしれないし、あなたの夢かもしれない」

 夢郎が人差し指を立てた。

「もしくは、私の夢かも」

 次の瞬間、夢郎はビーチに立っていた。始めからそこにいたかのように。カウンターに置かれたグラスから水滴が流れ落ちた。

「あなたの夢に出てくる私は私が見る夢のあなたの中の私かもしれない」

「この間知り合いにこんな話を聞いたわ。Mシティで超指向性の電磁波銃が開発されたって」

「特定の周波数を浴びせ続けることで脳幹を揺さぶって非現実を現実のように見せる技術のことですか」

「あなた、本当は今Mシティにいるんじゃないの?」

 その時一頭の蝶がグラスに止まった。優雅に羽を開いたり閉じたりしている。

「でもそれはありえないことはあなたが一番知っているはず。だって、短波ガードの対策を打ったんでしょう」

 そう。その通りだ。アリスはその可能性に気づき短波ガードを入れてある。だが夢は続いている。

 夢郎は歩いてカウンターまで戻ると、ウィスキーグラスに人指指を浸した。その指先に付いたウィスキーの雫を興味深げに眺めている。

「このウィスキーの雫って一体何だと思いますか」

「純粋な『BRUICHLADDICH』よ」

「そう。純粋な『BRUICHLADDICH』です。でもこの一滴の雫の中には夢が含まれている。その夢の量ってグラスの中と同じなんですよ。そして雫をグラスに戻しても、夢の量は倍にはならない。何故だと思いますか」

 指先の雫はグラスではなくカウンターに落ちてしみを作った。熱を持った空気がそのしみを蒸発させてゆく。

「わからないわ。教えて?」

 夢郎はグラスを口に運んだ。

「ウィスキーの中の夢は喉に流し込まれた時に初めて夢になるからですよ。この、喉を焼く刺激こそがその証拠なのです」

 いつの間にかカウンターの上には蝶が群れていた。

 夢郎が蝶を指差す。

「その蝶も、私も、マザーの雫なんですよ。もちろんあなたもね」

 ウィスキーのグラスは空になっていた。

「私たちはみんなマザーの雫で、自身の行動や存在について疑問を持った時初めて、マザーの夢になるのです。私はほんの少しそのお手伝いをしているのです」

「マザーって誰なの? 私もあなたもマザーの雫っていうのはどういう意味?」

 アリスの問に夢郎は微笑みで返した。いづれ分かるということなのか。

「おいしいウィスキーをごちそうさまでした。今のあなたにもう夢は必要ないでしょう。またいつかどこかでお会いしましょう」

 夢郎は宙に溶けるように消えていった。

 蝶たちは一斉に飛び上がると空の彼方に飛んでいった。

 アリスはただ一人取り残された。

 カウンターの雫はすっかり乾いていた。

          終

 

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