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ジェーン最後の闘争

 島陰が見え始めたころからアリスのネットワークポートにアクセスが増え始めたのに気づいた。どれもみなポートをこじ開けてアリスが何者かを調べようとしていた。小さな島は緑に覆われていて人の気配は感じられないが、機械とは違ったアクセスアプローチは紛れもなく人間が存在することを示していた。

 岩礁の多い海岸にたどり着いたときポート攻撃ともとれる一斉アクセスで判断が一瞬遅れた。しまったと思った時にはワイヤー製の網で掬い上げられていた。宙に吊り下げられた状態で最初に目にしたのは、不思議そうな顔でアリスを見つめている若い女の顔だった。

 健康的に日焼けしたブロンドの女。だがその服装は未開人を連想させる粗末なものだった。かろうじて寒さを防げる程度の服からは引き締まった腕が伸び、その先には電磁パルス式の槍が握られていた。

「私はアリス。攻撃の意思はないから降ろしてもらえないかしら」

 女は敏捷な動作で槍を構えた。警戒心に溢れた目がアリスの言葉を微塵も信用していないのを伺わせる。

「この島に泳いでやってきた者はいない。お前は怪しい。本当の事を言え」

 低く威嚇的な口調はまるで衛兵のようだ。

「私はMシティを目指しています。途中の島で充電をさせてもらっているのです。この島にも充電が目的でやってきました」

「お前さんアリスと言ったな。どこかで聞いた事があるぞ」

 突然人が変わったかのように口調が変わった。

「ああ、思い出した。元軍用アンドロイドで退役後は地下バトル100連勝したあのアリスか。たしか戦闘以外でも人間を一人殺している。違ったかな?」

「おい、ちょっとまて。こいつは殺人アンドロイドなのか。大事な時期にそのような者をこの島に入れる訳にはいかないぞ。我々は極力危険を排除せねばならんのだ」

「まてまて。元軍用ということは戦闘能力は高いということなのじゃないかな」

 次々に女の口調が変わっていく。

「ええい。怪しいことに代わりはない。破壊してしまえ」

「いい加減にせぬか! 私の前で議論を始めるな」

 この一言でおかしな議論は止み、女の背後にたくさんの人のホログラムが現れた。議論は彼らがしていたようだ。人々は三層の階層型に並び頂点に一人の女が豪華な装飾を施した玉座に座っていた。上からは豪奢なシャンデリアが煌びやかな衣装を照らし、二層目、三層目の人々もみな美しい刺繍を施した衣装を身につけている。まるで中世ヨーロッパの貴族を見ているようだ。そして一様に玉座の女に首を垂れていた。

「私はファースト市民のジェーンだ。いわば女王のようなものだ。そなたアリスと申したな。Mシティに行って何をするつもりなのだ」

「アテナスの政策に反対しようと考えています」

「反対するだけなら投書でよかろう」

「もう話し合いの時期は過ぎました」

 ジェーンが値踏みする目を向けてきた。

「我々は彼らと様々な困難を協議して解決してきた。そうはいっても肉体は一つだ。色々と手が足りない事もある。そういった雑事を少し手伝ってもらえると助かる」

「充電していただけるのでしたら、その分は働いてお返しします」

「降ろしてやれ。手錠を忘れぬように」

 最初の威嚇的な口調が戻ってきた。対外的な対応をするのはサード市民で衛兵の仕事だった。今喋っているのは衛兵長のジャンといった。口々に議論をしていたのは行政を司るセカンド市民だそうだ。

 ジャンの話によると彼らは一人の肉体を複数人で意識共有していた。肉体共有を円滑に行うために彼らは階層化意識構造を創り、法律と役割を決めてそれにしたがっていた。何よりジェーンの言葉は肉体保有者であることもあり、そのまま法律となった。そしてジェーンの言葉を咀嚼し、サード市民に理解させるのは、先ほど議論をしていたセカンド市民の枢機員たちだった。どうりで貴族のような格好をしている訳だ。

 このような意識転送の仕方があるとは驚きである。実際、脳をバイオ拡張するなりチップによる機能拡張するなりすればできないことはない。ただ二層目、三層目を合わせるとかなりの意識体数だ。実際的な活動はジェーンの肉体が担うが、一つの肉体に大勢の意識などはたしてうまく制御できるのだろうか。

「あばれるなよ。面倒なことは避けたい」

「ジェーンとは何者なの?」

「我々の指導者だ。我々を導いてくださる偉大なお方だよ。お前も彼女の理想を聞けば理解できる」

「完全意識とは違いそうですね。精神的指導者ということですか」

 完全意識は複数の意識が一つにまとまるため個性がなくなるし個々の意識を保つことはできない。対して絶対王政を敷けば個性を保ちつつ肉体管理もうまくいくということか。

「そんなレベルの方ではない。彼女はいづれ人類全体を導くことになる」

 言ってからジェーンがジャンの目でアリスを見た。

「このみすぼらしい姿からジェーン様の力を疑っているのだろう。そういうのを浅はかといいうのだ。ジェーン様に従い精神共有する者は一万を超え、今だって続々と賛同の声が寄せら得ている。いづれ我々はもっと巨大な組織になる。アテナスだって無視はできなくなるだろう」

 驚いたことだ。たった一人のジェーンの脳に一万もの意識が共存しているとは。先ほど見た三層でも百人程度の意識体が見えた。それだけでも完全な管理は難しいはずだが、一万もの意識が一つの肉体を共有できるとは思えなかった。

 アリスが連れてこられたのはごく普通の建物だった。近代的な設備もあるにはあるが、どちらかと言えば太古の暮らしに近いのではないだろうか。庭ではヤギが草をはみ、鶏がのんびりと地面をつついていた。

「充電はしてやろう。ただ手錠はつけたままにさせてもらうぞ」

「ええ、最後に外してもらえるならそれで結構です」

 アリスを充電スポットに残すと、ジェーンは別の場所で農作業でもするのか鍬を担いで森に姿を消した。

 しばらくするとジェーンは興奮した様子で帰ってきた。

「信じられない。なんて奴らだ」

 アリスがどうしたのか尋ねると、いくつもの声が怒りも露に早口で捲し立てた。

「奴らが畑を荒らしやがった。もうすぐ収穫だということを知っていたんだ。自分たちで働きもせずに野菜を奪う盗人どもめ。今度こそ目に物見せてやるぞ」

 ジャンの話によればこの島にはジェーン同様一つに肉体に意識共有している者が5名いるらしい。最初はジェーン含めて6名で人口統制の実験を行っていた。一つの肉体に複数の意識を融合せずに乗せられれば人口問題も解決するし、実際の生活を行うこともできるという発想だった。

 最初のうち実験はうまくいっているように見えた。実験が本格化して共有する意識体を増やしていくと問題が起こり始めた。能力的に無理があったのだろう。意識体の数が増えるに従って、ジェーン以外全員が精神に異常をきたしてしまった。次第に凶暴になり破壊行為を取るようになったため、ジェーンは彼らから離れて一人ここで暮らすようになった。ジェーンが畑で食料を作り始めると、彼らは食料を盗みに度々畑を荒らすようになった。ジェーンも何度か警告をしたのだが、畑荒らしは一向に止む気配がない。

「こうなったら実力行使しかない」

「実力行使って喧嘩でも始める気なの?」

「喧嘩じゃない。戦争だ。二度と畑に手出しできないよう徹底的に痛めつけてやる」

 そういっても多勢に無勢だろう。ジェーン一人で5名を相手にできるのだろうか。

 するとジェーンが含みのある目を向けてきた。

「アリス。お前は我々に恩義があるはずだ。今こそその恩義に報いる時だと思わないか」

「喧嘩に加勢しろというの? それは遠慮するわ」

「働いて返すと言ったのはお前だぞ」

「喧嘩はちょっとした手伝いではないわ。対価を払えというならお金で払います」

「この島で電気は水の次に貴重だ」

 謀られた。水も電力も十分な供給量がある場所ならば高価ではない。だが、この島ではそうではないようだ。

「相手を傷つけるようなことはしたくありません」

「なに、ちょいと脅すだけだ。誰も傷ついたりはしない。それならばいいだろう。それより決行は今夜だ。心の準備をしておけ」

 ジェーンはそれだけ言い残すと戦闘の準備を始めるために出ていった。

 決行は相手が寝静まった夜中に行うこととなった。作戦はアリスが村に侵入し食物倉庫を破壊したところで、ジェーンが口上を述べるといういたってシンプルなものだ。だが、彼らはジェーンが一人だと思っているし、食物倉庫を破壊できるようなアンドロイドを仲間に引き入れていると知れば恐れをなすに違いない。二度と畑に近づくことはないだろう。

 シンプルな作戦ゆえに準備といっても大してやることはなく、興奮が続く中暇を持て余すことになった。ジェーンは苛ついた様子で部屋を行ったり来たりしていたが、思い立ったように奥へ行くと何かを持ち出してきてテーブルに置いた。洗練されたデザインの四角いボトルには『バスティーユシングルモルト1789』と記されている。

「これから村を襲いにいくのにウィスキーを飲むのですか」

「今夜は革命の夜になる。こいつは革命を記念して作られた酒だ。戦いの前に飲むのにこれ程ふさわしい酒はない」

 ホログラムが次々に賛同の声を上げる。

 ジェーンはグラスに並々ウィスキーを注ぐと一気に飲み干しグラスを高々と掲げた。

 後ろのホログラムたちは一斉に「革命!革命!」と叫び始めた。

 玉座のジェーンが立ち上がり演説を始める。

「皆のもの。今までの屈辱を思い出すのだ。今夜我々はその屈辱に終止符を打ち、新たなる歴史の一ページを記すことになる。我らの力を見せつけてやるのだ。彼らは我々のように階層型意識構造を作り上げることすらできない愚民の集まりにすぎない。勝利は我らにあり!」

 ジェーンが手を上げると歓声が上がった。同時にジェーンの肉体もグラスを掲げて歓声を上げ、何杯目かのウィスキーを飲み干した。

 夜半を過ぎた頃、呂律の回らない舌で長々と喋り続けていた苦労話が途切れ、ジェーンは机に突っ伏した。『バスティーユシングルモルト1789』のボトルは半分無くなっていた。ジェーンの取り巻きたちも徐々に薄れ始めひとりふたりと消えていった。肉体が酔えば彼らも同じ状態になるらしかった。

 今夜はお開きということだろう。とんだ革命があったものだ。アリスがそう思った時、唐突にジェーンが顔を上げた。

「セカンドのバカどもは眠ったか?」

 ジャンだった。

「さあ、眠ってしまったようだけど、その様子じゃあ村の襲撃は無理じゃないかしら」

「村の襲撃だって? そんなものは始めからないさ」

「どういうこと?」

「この島には我々しかいない。村なんてないし他の連中も誰一人いない。畑を荒らしたのは猪だろう。全てが哀れなジェーンの妄想なのさ」

「あなただってさっきまで革命革命って騒いでいたじゃない」

「セカンドの連中に合わせていただけさ。ただ、革命の意味が違うがね。これから本当の革命が始まる」

 彼の言葉と同時にいくつもの見たことのない人たちがホログラムとして現れた。誰も彼もみすぼらしい格好をしている。その中から一人の老人が歩み出た。彼はピエールといいその目は怒りに燃えていた。

「私たちは意識共有したのに思想が合わないからといって監獄に繋がれていたサード市民だ。ジェーンとセカンドの連中は特権階級の権利を使って思想管理を行い、従わぬ者を片っ端から監獄に繋いだんだ。だから私たちは今日までずっと機会を窺っていた。ジャンがこちらに寝返ったことで一気に道がひらけた」

 老人は後ろに控える多くの人々に向き直ると言い放った。

「彼らは今酔い潰れている。襲うなら今しかない。行くぞ。彼らをここから追い出すのだ」

 一斉に人々が動き出した。すると酔い潰れて寝ていた連中が袋叩きに遭い始めた。それはホログラムではあるが、今目の前で行われるのは紛れもない襲撃であり、人が人を襲う蛮行であった。そこには理性も統制も何もない。あるのは鬱憤を爆発させた暴力だけだ。

 やがてジェーンが引き立てられてきた。肉体のジェーンの前に意識体ホログラムのジェーンが跪いていた。

「彼女をどうするつもり』

「監獄に入ってもらう。追い出す訳にもいかないからな」

 ピエールは再び民衆に向き直った。

「ジェーンの時代は今終わった。これからはピエール派の時代だ。たった今からこの肉体は我々の物だ」

 歓声が上がる。拳を突き上げる者、旗を翻す者。

 こんなことがありうるのだろうか。肉体の持ち主の意識は監獄に繋がれ、別の意識たちが肉体を保有する。まるで乗合バスである。だが、意識転送の技術はそれを可能にしてしまった。技術が間違った方向に発展したのか、それを使う者が間違えているのか。そこにあるのは進化とは程遠い人間の本質だ。

「アリスと言ったな。立ち合いをしてもらいたい」

 戴冠式でも行うつもりか。とても参列する気になれない。アリスが断ろうとすると、立ち合いの内容はもっといかれていた。

「これから畑を荒らす猪を捕まえに行く。捕まえたらそのまま結婚する」

「何を言っているの?」

「あの猪と我々は深いところで結びついているのだよ。まあ、機械には理解できないかもしれないが、大切なことなのだ」

 その場は黙って頷くしかなかった。ピエールになったジェーンが猪捕獲の準備を始めたところで、アリスはそっと家を出た。 

 ジェーンは妄想家だったのかもしれない。ただひとつだけ本当の事を言っていた。一つの肉体に意識を乗せすぎると精神は崩壊を起こすのだ。崩壊の結果最後に残ったのは純粋な狂気。科学技術に根ざした進化の行く末あったのはおぞましい狂気でしかない。きっとこれから先もジェーンの中では革命が興り、襲撃が続き、終わりなき闘争が続くのだろう。ジェーンは監獄の中で何を見、何を思うのだろうか。

 アリスは海に飛び込むと一度だけ島を見上げた。そして哀れなジェーンにさよならを言うとMシティに向けて泳ぎ始めた。

          終

『バスティーユシングルモルト1789』はフレンチシングルモルトウィスキーです。まるで香水のボトルのような美しいシルエットの四角いボトルはどこかフランスらしさを感じます。ブランデーの聖地、コニャック地方でフランスらしさを強調して造られた革命的なウィスキーということで、バスティーユで始まったフランス革命にちなんだ名前になりました。

なかでも特筆すべきは蒸留方法です。『バスティーユシングルモルト1789』に使われる蒸留機はブランデーと同じシャラント式アランビックといい、ブランデー蒸留ではおなじみですがウィスキーとしては変わった方式を採用しています。そうした蒸留方式のせいか、フルーツ香が強く芳醇なブドウのような香りを楽しめるそうです。

さて今回のお話はバスティーユにちなんで革命のお話です。革命といえば誰もが知っているが、その背景は複雑難解で理解に苦労するフランス革命でしょう。バスティーユ監獄襲撃から始まったフランス革命ですが、単純な市民暴動ではないようです。が、私には説明できないので興味のある方は本で勉強してください。背景が理解できないのでお話はもちろん単純な市民暴動です。ただし、意識転送とか融合とかが出てくるお話なので、一人の頭の中で暴動が起こって革命が起きたらどうなるのかという発想でした。個人を保ちつつとなるとやっぱりぶつかりあいは起きるのかもしれません。対して完全意識は個性をなくして丸くするものです。それはそれで気味が悪いですよね。もし人口統制のためにどちらかを選べと言われたらどちらを選びますか。


 



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