ライダーズ

 「呪いはある」

 アリスは静かにそう言った。

 キャメノスはカウンターに頬杖をついてウィスキーグラスを傾けていたが、アリスのその一言にグラスを落としそうになった。

「おいおい、バーテンがグラスを拭きながら何を言いだすかと思えば、呪いだって? 冗談じゃない」

 アリスが唐突にそんな事を言い出したのには訳があった。キャメノスが、妹であり仕事の相棒でもあるリサの愚痴を始めたからである。

 なんでアイツはああヘマばかりやるんだ。事故は起こすわ、エアシューターは故障するわ。あの運の悪さは国宝ものだ。

 エアシューターというのは、キャメノスとリサが仕事の後、逃走用に使う一人乗りの高速移動機である。エアコンプレサーで下方と後方に空気を吹き出して移動する。高速かつ小回りが効くのが特徴だ。

 そもそも、逃がし屋という仕事をしていて、あの運の悪さは死活問題だ。このままじゃあ、いつかきっと警察に捕まるか事故で死ぬかのどっちかだ。

 といった具合だ。

「その前に、引いてもらってる俺が殺されちまうかもな」

 それにアリスが答えた形だ。

「じゃあ、何かい? 妹のリサは誰かの呪いにかかってるって事かよ」

 キャメノスはグラスのウィスキーを煽るとグラスをカウンターに叩きつけるように置いた。勢いでグラスの中の氷が飛び出した。氷はカウンターを転がってから、すっと消えた。

「だいたいなあ。呪いなんて世界最強のDロイドが使う言葉じゃねえよ」

「元Dロイド。今はただのバーテンダー」

 アリスは拭いたグラスを棚に置くと、短めの髪をかき上げた。そのせいで右頬から眉毛にかけてのあざが露わになる。

「地下コロシアムの100戦目だって、わざと負けたって話じゃねえか。こんな海底近くで低レイヤー客相手しなくたって、いくらでも仕事はあるだろ。Dランクのアンドロイドなんてそうざらにはいないんだ。デス・ライセンスを持つアンドロイドがバーテンなんて……」

 キャメノスは自分を見つめる冷たい目の迫力に言葉を飲み込んだ。

 あざの奥から見つめる蒼い右目、そして機械的な銀の左目。アリスはオッドアイであった。

 右目に特殊な能力を持つため色が違うと、キャメノスはかつて聞いたことがあった。その能力が何なのか詳しくはしらないが、お陰で軍にいた時も、地下コロシアムに下った時も負け知らずだったのだ。多くの事を見て来たであろう蒼い目の放つ光は重く、畏怖を感じさせた。そして自然と相手を萎縮させた。

 キャメノスは目をそらしてアリスの店を見回した。小さなバーはカウンター席が八と、四人がけのテーブル席が四つあるだけ。全体的にシックな内装で落ち着いていると言えば聞こえはいいが、手をかけていないというのが本当だ。

 どこにでもあるような暗めの店内には、キャメノスの他にいかにも訳ありといった客が一人、なけなしの小遣いでちびちびとやっている。店全体を覆うカプセルがそのまま壁となっていて、外には海底が見えた。

 ただ、光射す明るい海とは違い、色鮮やかな熱帯魚もいないし、壮観な魚群も見えない。ただどこまでも、暗く無味乾燥な海底が続いていた。

 人気の店であれば、海上マンションの近くに居を構え、美しく癒される海を見ながら本物のウィスキーを嗜むことができるが、この界隈にあるような店には本物の酒すらない。大抵は電気的に脳を酔わせる電子酒である。

「だいたい、ここは見つけるのだって大変なんだ。もう少し見つけやすくしてくんなきゃ、来ることだってできやしない」

「そんな事したら、政府アシストコンピューターのアテナスに見つかる。アテナスに見られていたら、あんたみたいな札付きは来ることができないだろう」

「ちっ。どうせ俺はアンダーグランドレイヤーの人間だよ。お高くとまったハイレイヤーのやつらどもには見えもしないもんな。そいつらとぶつからないように、歩行ルートまでコンピューターに操作されるなんて嫌なこった」

「だから、ハイレイヤー連中の仮面をひっぺがして回ってるのか?」

「そうよ。人間は本心で喋らなきゃ嘘だ。人工知能が作り出した人格同士が、あたかも本人のようにしゃべるなんておかしいじゃねえか。しかも、お互いに相手がコンピューターだってわかっているのにだぜ。だから俺はそいつらの頭に埋め込まれている通信モジュールを破壊する。人工知能に繋げないようにして、そいつらが本心を喋れるよう手助けしてやってるって訳さ」

「手助けか。響きだけはいいな」

「そう、響きだけはな」

 キャメノスがふんと鼻を鳴らした。

 二人の会話が途切れたちょうどその時、バーの入り口で来客を知らせる鐘がカランと鳴った。

 燻んだ木製の扉が開き、黒い皮のライダースーツをまとった男が入って来た。扉の向こうはどこに接続されているのか、乳白色の霧で全く見通しがきかない。

 だが、アリスの目にはその男の後ろに車輪が二つついた機械が置かれているのが見えた。赤い半円形のタンクにはHONDAのエンブレム。別の場所に400FOURと描かれている。データベースから直ぐにそれがオートバイという昔の乗り物と分かった。

「随分と過去からの客だな」

 アリスがひとりごちた。

 男はカウンターに座るとやや俯いたまま、

「ウィスキー。ロック」

 とだけ言った。後ろに撫で付けられた髪が艶やかに光っていた。

「本物? それとも偽物にする?」

 男は一瞬だけ、馬鹿にされたのかとアリスを剣のある目で睨みつけた。だが、すぐに肩の力を抜いた。

「本物をくれ」

 アリスは棚の後ろに手を回すと、一本のやや汚れた瓶を取り出した。指の間からJac kとだけ読める。

「本物はこれだけ。高いけどいい?」

 男はポケットに手を突っ込むとしわくちゃの紙幣を取り出し、カウンターに置いた。

「足りるか?」

 時代の違う紙幣。使えるはずもないが、アリスは黙って頷いた。

 男は注がれたウィスキーを一息で飲み干すと立ち上がった。

「もう行くの?」

「ああ、喉が渇いただけだからな。早く出口を見つけなきゃならないんだ。どこまで行っても、霧、霧、霧。反吐がでそうだ」

 男は扉を開けると、再び乳白色の海へと出て行った。扉が閉まる瞬間、和音を奏でるようなガソリンエンジンの咆哮が聞こえた。だが、扉が閉まって接続が解除されるとその音も完全に聞こえなくなった。

「気味の悪い野郎だ。それに全く通信応答が来なかった。プロフィールなしなんてやつがこの世にいるのか?」

「古のライダーよ」

 すぐに入り口の鐘の音がした。

 キャメノスが慌てて振り向く。

 また、先ほどの男が戻って来たのかと思えば、真っ赤なライダージャケットをまとった小柄な女性が入り口に立っていた。

 キャメノスはほっと息をついた。

「あんたのところのライダーが来たみたいね」

「遅えじゃねえか。待ちくたびれたぞ」

「エアコンプレッサーの調子が悪くてさ」

「なんだ、また壊したのか、間抜け。そんなんで、逃げ切れると思ってるのか。今度のアーマードポリスのシューターはG2チップが装備されて速度が20パーセントも上がったって話なんだぞ」

「ああ、うるさい、うるさい。いざとなったら兄貴のエアシューターを切り離してあたしだけ逃げる」

 リサは投げつけられる言葉を避けるように、手を左右に振りながらスツールに腰掛けた。

「ビールちょうだい」

 一息ついたところで、リサは目の前にしわくちゃの紙幣が置かれているのに気が付いた。

「何これ?」

「触るな!」

 アリスが弾くように言ったがもう遅かった。

 リサはすでに紙幣を広げていた。

 途端にリサはぎゃっと悲鳴をあげ、巨大な拳で殴られたかのように、猛烈な勢いで後ろに弾き飛ばされた。テーブルが薙ぎ倒され大きな音が響いた。

「おい、大丈夫か」

 キャメノスが慌てて駆け寄り、抱き起こそうと手を伸ばしたが、その手をリサは薙ぎ払った。そしてゆっくりと立ち上がるとキャメノスを睨みつけた。

「おい、どうしたんだお前」

 キャメノスは目の前にいる妹が別人のように見えた。リサは先ほど霧の中からやって来た男と同じ目をしていた。

「どういうことなんだよこれは」

 カウンターの中でアリスが静かに言った。

「あのライダーの残した呪いよ」

「何でリサが呪われるんだ」

「呪われたのかどうかは分からない。呪いは場でしかないから。強い思いが場を作る。そして似たような場を持つ者が運悪くそこに踏み込めば、場が融合する。元の場の方が強ければ、場を残した者に呪われ、踏み込んだ者の場が強ければ、何も起きないかもしれないし、残された場から何かを得るかもしれない。どうなるかは融合の仕方次第」

「リサはどうなったんだ。呪われちまったのか?」

「さあ、分からない」

「畜生、なんであんなヤツを店に入れたんだ。あいつさえいなきゃこんな事にはならなかった」

「ここはああいう連中ばかり来る店さ。だからあんたたちもここにいる。それに、もしかしたらあんたの妹自身が呼び寄せたのかもしれないよ」

「リサのせいだって言うのか?」

 唐突にリサがキャメノスの胸ぐらを掴んだ。

「止めな。それにもう二度と間抜けなんて言わせない。次の走りを見てな」

 リサは何事もなかったかのようにスツールに座った。

 キャメノスが後ろで立ち尽くしていた。

 アリスはリサの前に本物のウィスキーが入ったグラスを置いた。

 リサが探るようにアリスを見詰める。

「おごりだよ。こいつはあんたみたいなライダーが飲む酒だからね」

 リサはアリスを真正面に見据えると不敵に笑った。

「ライダーズに」

 そう言ってウィスキーを飲み干した。

    終

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