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風の時代に入って、自然とアバターコース(心を管理するツール)をやりたいと思う人が増えてくるのだろうなと考えた。

私がアバターコースに出会った17年前は、まだ、宗教と間違えられたり、理解されないことが多かった。今日本でアバタコースをやっていて一番古そうな人が25年くらい前と言っていた気がしたから、まだ人の意識が理解できると思う人も少なかったのではないかと思う。

人の脳は概念をカテゴライズして物事を整理して理解したり、記憶するようになっていて、それでいうとアバターコースは新しすぎてどこにも入れなかった。なので経験して理解するしかないのだが、どんなものかを説明してしまうと、カテゴライズされる分野は宗教になってしまっていたから、皆、説明できないと言って困ってきた。なのでここまでは本当に感覚的に必要だと感じる人しか惹きつけられずに来たのではないかと思う。気づきは言葉で説明した段階で別のものになってしまうからだと思う。けれど経験した人は全員が、自分の源を経験する。昔は特別な人間しか経験する事ができなかったそれは、今や全員が経験できるものとなった。

けれども、アバターコースを説明するのはなかなか困難で、経験してもらうしかないのだけれど、何をするかと言えば、自分の生きてきた人生を旅して、意識を使って無意識の中にまでどんどん深く入っていき、本来の源というつまりおそらく言葉で言うところの自分の魂に出会い、そこから必要なものとそうでないものを書き換えるという作業を繰り返す。つまり少しずつ、自分が持ってきただろう青写真を書き換える作業をして行く。アバターツールはその為の道具で、数えたことはないが、それが200個とか?それ以上あって、状況に合わせてそれを組み合わせて自分で好きなようにワークをする。私たちが普段眠っていて気づかないそこを目覚めさせて行く道具である。

最近は目覚める為の色々な方法があるけれど、色々な事をやった人でアバターにたどり着く人は多い。私はまだ見ていないが、鬼滅の刃の映画で、目覚める事、全集中のやり方がアバターそのものだと皆が話していた。先日昔アバターをやって、一旦使わなくなり、他を試してまた最近復習に来た人は、某大手出版社の編集長で、ご自身で色々な方法を試してまたそういった気づきの団体もやっていたが、それらはデザートでアバターはフルコースだったと言っていたそうだ。

例えばそんな風に、色んなスピリチュアルな方法を試した人がアバターにたどり着き、そして皆それを伝えたいが、説明できずに困っている。

でもやっと、きっと私の孫の孫位の時代には、学校などでも教えるのは当たり前になってくるのではないかなとリアルに感じるようになって来た。17年前は話すことも難しかった。

私は30年前にヒプノセラピーや気功、レイキ、中医学、完全菜食、自然療法、夢分析、占い、パワーストーン、動物との対話その他さまざまなヒーリング、時にリーディングまがいなことも自然にやったが、今は当たり前になったそれも当時は特殊能力だった。けれど何より自分がそれをおもしろいと感じられずに全く続かなかった。なぜかと言えば、それは一時的に効果は出るが、結局それでもなぜか人は本当に癒すことができない、結局真に人は癒されないのはなぜだろうと感じたからだ。自分でも試して、人にも試して見て、癒しは確実に起こるが、完全には癒されない、それはなんだろうと思っていた。皆の中に感じる孤独…

もっと遡って、最初の明確な記憶がある小四の時、遊園地でふと、私の見ているこの色。青色は他の人には私の見えている何色に見えているのだろう?と考えてから、それ以外の事が全く面白く感じなくなった。それを周りに言って回るのだけれど、誰もが面白くないと思うらしく、いつしか人に話さなくなった。けれどアバターを始めて、最上級コースに行った時、アバターツールを発見したハリーが、解説で、私たちは一つのものを見ているけれど、皆自分のフィルター(信念)を通して見ていて、相手とは同じものを見ていても、その人が信じた通りにしか見えないというような話を聞いたとき。あぁやっぱりそうかと腑に落ちた。とにかく疑り深くて、経験しないと絶対に信じない自分が、あぁそうかこれは本当にそうだと気づいて泣けた。

だから人のことは本当にはわからないんだと。

注意点として、経験として理解するので、教えを学ぶ必要がないので、これは教えでは無く理論であることだけはわかって頂きたい。記憶する必要もない。当の考え出したハリーが、答えなどないと言っているのだから。

むしろ教えは今まで数限りなく存在した。けれどそれを経験する方法(やり方)は存在しなかった。アバターコースはそれを自分の人生を遡り、今までは私たちが必要で(守っているともいうし、役に立っていたともいう)持っていた信念を見つけ出し、気づいて消去して行くことで、本来の自分に戻って行ったり、書き換えて、経験する事(現実)を変えて行く道具(ツール)である。

自分の注意を使って自分の無意識の中に入っていき、書き換える事で集合意識を一粒づつ変えて行く。それを意識的にやる方法とも言えるだろう。

例えば私が子供の学校の先生と話していて、理解してもらえなくて、この人はこういう人だという考えになり壁を感じる。そうすると本当に理解し合うというところから遠ざかる。その場で使える道具は使うけど、ダメだった場合家に帰ってから一人でか又は仲間に頼んでそこの部分を見に行く。先生との間に自分の中にある信じている事を探し出す。相手の前で自分が着ているアイデンティティ、相手に着せているアイデンティティをみる。又は相手につけている信念。こんな人。大体過去に似たような人に会った時につけた📛名札だったりする。それを見つけて理解して味わって消去する。そしてもう一度先生と向き合うと、先生が別人に感じる。

ということは当たり前に起こる。そして違う考え方であっても、お互い理解し合える。

私たちは自分が信じている通りの事を経験する。そして「絶対本当」だと思っているそのことが、実は自分が過去や遺伝子から信じているだけで、実はその信念は作ったり消したりできるという事を発見する。そして感情はその信念からできているので、その消滅とともに感情も変化する。そこで深い癒しが起きる。つまり逆に、いくら感情を癒しても、その感情が発生している元の信念を発見しない限り、又その感情は繰り返し形を変えて、相手を変えて浮上するということにもなる。

アバターはヒーリングではないけれど、気づきと共にヒーリングよりも深い癒しが起こることが多い。それを自分で自分に起こし続けることができる。

次回はその本当に経験する癒しについて、目から鱗の経験を話せたらなと思う。17年目に本当に椅子からずれ落ちるほどの(←例えね)経験をし、自分だけでなくその相手も別人の様に癒された話である。

注※
これはあくまでも私から見た視点で、アバターコースは受けた人それぞれが違う視点で理解すると思います。そこがまた魅力✨


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