無機か有機なら有機が好きだ

無機か有機かなら有機が好きだ。
直線か曲線かなら曲線が好きだ。
静的か動的かなら動的が好きだ。
装飾的かシンプルならシンプルが好きだ。
きっちりかざっくりかならざっくりが好きだ。
アールヌーヴォーかアール・デコならアール・デコが好きだ。流線型はもっと好きだ。

ノスタルジックな雰囲気のある静かな絵が好きだ。
動的といっても激しすぎるのはちょっとしんどい。音楽で言うならロックは好きだけど、メタルはしんどい、みたいな。

ちょうどいいポイント

色々相反しているようにも見えるけれど、たぶん僕の中でちょうどいいあんばいのポイントがあるんだと思う。
僕の作品のテーマは"動的なエネルギー"なのだが、かといってむっちゃくちゃ動的な訳ではない。
だから、人によってはそんなに動的じゃないと言う人もいると思う。
繰り返すが、僕の中でちょうどいいポイントがあるのだ。

赤は特別な色

まったく意識はしていないのだが、自然と赤の作品が増えてきているのも、何かあるんだろうな、と思う。
幼稚園の頃一番好きな色は赤だった。プールの時間に赤の海水パンツを履いていたら、友達に赤のパンツは女の子みたいだ、と馬鹿にされ(今から考えるとしょうもないと思うが)それから青に鞍替えした。
陶芸を始めて一番最初に好きになった釉薬は辰砂だった。
直感というのは大事だ。たぶん赤というのは僕の中で特別な色なんだと思う。

永遠なんて存在しない

10代の頃とかは、お年寄りに対して正直ちょっとめんどくさいな、と思っているところがあった。
でも、30代になり、永遠なんてものは存在しなくて、自分もいつか死ぬという事を実感として持つようになり、尊敬というか敬愛というか親愛というか、そういう類の気持ちを持つようになった。
やはり大事なのは"その人"だ。どう生きるのか、ひたすらそれに向き合いながら素敵な年のとり方をしていきたい。
年を重ねるというのは、それだけで大変なことだ。仏教にも生老病死という言葉がある。
僕の場合、どう生きるかはどんな物を作るのか、に直結しているところがある。自分を深く見つめ、その奥底から出てくるものを作りたい。

陶器市にて

ちょっと話はズレるかもしれないが、先日、陶器市に出店した時、車椅子に乗ったおばあさんが娘さんたちに連れられて来られていて、うちの商品を買ってくださった。身体を少し悪くしてらっしゃるのだろうが、陶器が好きで来られたような感じだった。もしかしたら何年か後にはこうやって買いには来れなくなっていらっしゃるかもしれない。でも、買ってくださった時のその笑顔が陶器市3日間の中で、誰よりも輝いていたのが、すごく印象的だった。その時、うちの商品はこれでいいんだ、と初めて強く実感出来たように思う。きっとそのお皿を彼女は誰よりも可愛いがってくれるだろう。