持てる者 持たざる者
いつからか格差社会という言葉を耳にすることが増えた。
初めの頃、その言葉は主に経済面での格差を意味することが多かったような気がする。
幸いにして俺はギリギリ中流階級の家に生まれ育ってきたので、あまり格差というものを実感することはなかったけど、それでもガキの頃にはデカイ一軒家に住んで白い毛がフサフサの犬を飼ってるヤツはファミコンのソフトをたくさん持ってたし、うちの親は気にしてなかったけど、友達の中には親から団地の子とはあまり遊ぶなと言われていたヤツもいた。
そんな格差社会が更に拡大し、近頃では分断の時代なんて言葉が使われるようになったらしい。
経済的な面だけではなく、情報、教育、健康などあらゆる面で富裕層と貧困層の格差が拡大し、個人間だけでなく地域間、国家間でも分断が進んでいるそうだ。
まさに「持てる者はより裕福に、持たざる者はより貧しく」という時代だ。
当然、そういった格差を無くす努力は必要だけど、個人という単位ではなかなか難しい気がする。
俺は仕事柄、マンションを何棟も所有しているような金持ちの相手もするし、逆にその金持ちが所有している築40年3DK家賃58,000円の部屋に親子4人で住んでいるような人の相手もする。
前者は家賃収入を元手に新しいマンションを購入して更に資産を増やす。
かたや後者は子供が成長するにつれ生活費も増し、ますます家計は苦しくなる。
病気なんかで急な出費があると、たちまち家賃が払えなくなり家賃を滞納する。
俺の経験上、そういう人間はかなり多い。
そういう家庭に育った子供は、もちろん全員じゃないけど、高校を卒業して一度は就職したものの、すぐに辞めてしまいフリーターになる。
だらだらとフリーターをしてるうちに20歳になったけど、経済的に一人暮らしすることも出来ずに両親と同居して、バイトが休みの日にはパチンコに行く。
パチンコで負けて帰ってきたら、マンションの入り口にある自販機でコーラを買う。
負のスパイラルだ。
貧乏人はコーラも飲んだらダメなのかと思う人もいるだろうが、金持ちは自販機でコーラを買ったりしない。たぶん。
ドラッグストアかAmazonで箱買いだ。
自販機で1本180円のコーラが、Amazonなら85円だ。
金融リテラシーというほどのことではないけど、大事なことだと思う。
少し脱線したけど、個人で格差を解決する難しさはなんとなく伝わったんじゃないかな。
じゃあ、どうしたら良いか。
その為に昔の人はよく革命を起こした。
支配階級を追放し、皆が平等なパラダイスみたいな国を作ろう!と。
その結果は歴史を見れば一目瞭然だ。
俺は個人間の格差、特に経済的格差を解消することは不可能だと思っている。
誰でも心当たりがあると思うけど、まじめに働く奴が居ればすぐにサボる奴も居る。
収入に格差が生まれるのは当たり前だ。
商売には運も絡んでくる。
時流が良くて大儲けすることも有れば、良いもの作ってもタイミングによっては売れないこともある。
教育や福祉政策と言った社会システムでその格差を緩和することはできるだろう。
だけど、それも限界があると思う。
近年、ミニマリストという言葉をよく耳にするようになった。
所有物を可能な限り減らし、必要最小限の物だけを所有する。
自分に本当に必要な物だけを持つことで、逆に豊かに生きられるという考えだ。
俺は個人的にはミニマリストの考え方をある程度は理解できる。
世の中には物が溢れてる。
誰かが歌ってたけど、あれも欲しいこれも欲しい、じゃキリがない。
あの娘はどこそこのブランドのバッグをいっぱい持っている、あいつは良い車に乗って良い服を着ている。
俺はこんなに高級腕時計を持ってるぞ、すごいだろ。
私は毎日のようにこんなにお洒落なランチを食べに行ってるのよ、羨ましいでしょ。
すべて他人と比べてどうか、という判断基準だ。
あいつより金持ちと思われたい、すごいと思われたい。
そういう価値観はSNSの発達でより加速したと思う。
個人が手軽に世界に向けて発信、マウントを取って承認欲求を満たせる。
そんな世界で勝負できるのは「持てる者」だけだ。
「持たざる者」はその競争にはついていけない。
いくらセブンのおにぎりとサラダチキンだけでランチ代を節約してブランド品を買っても、クレカのキャッシング枠をいっぱいまで使って高級クラブでクリュッグやクリスタルを開けても、いずれは限界が来てそのレースから脱落する。
脱落しないように頑張ると、本来、必要のないことで心身ともに疲弊してしまう。
キラキラする為に疲れてしまう。本末転倒だ。
じゃあ、この格差社会、分断の時代に「持たざる者」は如何に生きれば良いのか。
俺は人と比べる事を止めて、判断基準を自分に置くと良いと思う。
自分に本当に必要な事かどうか、必要な物かどうかという基準で判断すれば、ずっと楽に生きられるんじゃないかな。
そう、ミニマリストの考え方だ。
ただ、ミニマリストのように持ち物を極限まで減らして、修行僧のような生活を送る必要はない。
金や時間を必要とするシチュエーションで、一度立ち止まってそれは本当に自分に必要なことなのか考えるクセをつけるだけで充分だと思う。
それが本当に必要なのか、承認欲求や所有欲を満たす為だけに欲しいのか、
その見極めが大事だ。
自分に本当に必要だ、価値があると思ったものには金や時間を使ったら良い。
俺は普段着はユニクロやGUだけど、その服を洗う洗濯機は30万円以上する洗剤自動投入の全自動温水洗浄洗濯機を買った。
洗濯は毎日のルーティーンだから洗剤を量ったり洗濯物を干す手間を省略したかった。
おかげで洗濯に関するストレスがかなり減った。
電気代は増えたけど。
腰痛持ちの俺は、人生の1/4以上をその上で過ごすベッドも高級と言われるベッドを選んだ。
そのおかげで腰痛もだいぶ良くなった。
そんな具合に、その基本的な機能だけを求めるならもっと安い物がある場合でも、自分にはより付加価値があると思う物に対しては投資を惜しまない。
そういう生活をしていると、家がいらない物で溢れ返ることもないし、無駄な出費が減ったおかげで、たまにはカミさんに美味いものでも食わせてやれば、機嫌が良くなって旦那の株も上がるかもしれない。
俺はそれが豊かな暮らしだと思う。
iPhoneの新機種が出る度に買おうかどうか迷ってるあなた、それ本当に必要ですか?
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