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お金は大昔から数字と認識され続けてきた

そこにあるものはそこにあるだけで、本当は誰が使っても良いよね。自然界では全てそうなっている。所有というのは全て人間同士の取り決めやルールだよね。お金をつかうと、所有は変化する。お金とはお互い所有という認識を、他者から自己へ、変化させるだけの数字。お金が変えるのは人間同士の認識だけ。

お金はその時最も回りやすい構造を持ったものがお金になる。様々なモノがお金となり得るが、少なくともお金になったモノはその時、商品では無くなる。商品の尺度としての一次元の数字になるのだ。

取引者の同士の間で比較作業が出来なければ、他の商品や労力などを比較できない。比較できなければ、自己の所有から他者の所有へと変化させても良いのかを考えることは出来ない。歴史上の全ての貨幣は取引の時、取引者同士の認識は、数字へと変化しているのだ。

だから、かつてお金だった金貨も現在は円という単位の数字で比較できるように価格がついている。いわば比較基準の数字で無くなった時かつての貨幣でも商品へと変化する。貨幣という存在は所有の認識を、自己から他者への変化を引き起こす道具である以上、比較基準そのものの数字として認識され、それ以外の全ての商品を比較させる。

いわば商品と貨幣は完全に人の認識上で全く別のものになり、基準としての数字になる。貨幣は商品では無くなる事によって数字になることができるのだ。貨幣とは最も需要が多い(最も回る構造)存在が、人々の認識上の比較基準の数字に変化することによって成立している。


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