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2023年のごあいさつ。


淡い大地へ朝陽が差します。朝陽は「差す」よりも「刺す」が正しい気さえするほどに頑丈で、余すことなくきらきらしていました。そして、そのうちにたっぷりと横溢して地面や建物や草木に色をつけていきます。

私は、朝になれば映画が始まるときみたいに小さな期待で起き上がり、夜になれば暗い帳に「The End」と書かれたような気がして素直に眠りに就く──を繰り返しているような気分です。そして、昨日の自分からバトンを受け取りしっかりと握り走ります。それはまるで、リピートアフターミー、みたいに繰り返し継続されていて、日々はあっけらかんと単調ながらもなんとか生き続けています。

愉しいことも、辛いことも、好いことも、厭なことも、色々なことが満遍なく訪れるけれど、そのときの感情を無かったことにはせずに受け入れることにしました。プラスもマイナスも、そのときどきの感情をあちこちに振り切りながら味わうことにして、その膨大な感情をエッセイや小説に昇華できるようになりました。そのことは私にとっての革命でした。

私は、書くことに対して戸惑うことはありません。つらつらとつれづれに書いています。投稿する直前は戸惑いますが。書いているときは、やわらかくなったり、とげとげしたり、そのときどきの私という器の中で起きている化学変化を愉しみながら、ああでもない、こうでもない、と言葉を絞り出します。

書くときの視点と支点は私なのだけれど、書いた後に読むと自分を俯瞰することができます。追憶することが下手な私でも言葉になる前の感情を絞り出して書くことにより、新しい気付きを得ることができるのです。それはある種のカタルシスとなり、そのあとの空っぽになった心で見る世界はとてもユーモアで溢れています。

私は、物心ついたときからユーモアによく出会すのですが、それは神さまが

「ちょっとそこのきみ、きみやがな。あの、特別にやな、産まれる前に特技を授けようと思う。ほら。これや。」

と、ユーモアを引き寄せる力を手渡されたような気がします。

たとえば、ウコンの力を手に持った酔っ払いに全力で「こにゃにゃちわ〜!」と挨拶されたり、道端で迷彩服を着た見知らぬ人に敬礼をされて敬礼を仕返したり、電話の電波が悪いみたいで言葉が断線して途切れたらそれが非常にセンシティブな内容(男性器)になってしまい最後には「ブリッ」と言って電話が切れたり、言い出せばキリがありません。

それは、強いとか弱いとかそういう軸を外れるほどのくだらないユーモアとどうしようもなさがいいのです。私は、せっかくユーモアを引き寄せる特技があるのならそれを面白がって平気に生きてみようと思います。


朝陽。



今年も残すところあと数時間となりましたね。

大掃除は終わりましたか?
鏡餅としめ縄は飾りましたか?
お蕎麦はいただきましたか?

今年最後の質問三本締めです。ふふふ。

ありがたいことにうちは、なんとか新年を迎える準備を終えました。あとは新年をどおおおんと待つのみです。

みなさん、いつも私のマイペースな投稿にお付き合いいただき、そして、スキやコメントをいただきまして、ありがとうございます。ほんとうに感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

簡単なごあいさつになりましたが、これで今年の投稿は最後となります。また来年からマイペースに投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

みなさまどうぞよいお年をお迎えくださいませ。





大晦日
橙載せた鏡餅
朝日の色に似て暖かい

短歌



北野赤いトマト🍅




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