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日記。〜おおきなかぶ〜


眩暈がするほどの青。いつの間にか秋の空になっていた。青の下で車窓を軽く開けて走ると、新鮮な風がジャージャーと車内へ入ってきて、とても気持ちがいい。

先日、母の定期検診へ付き添いした。付き添いというよりも、同行したと言った方がしっくりくるかもしれない。なぜならば私は待合室のベンチで座るだけだから。

母は問診票を書いて看護師さんと質疑応答したあとに「じゃあ、行ってくるわ。」と私へ手提げ鞄を渡して診察室へ向かった。荷物預かりの私は母の荷物と自分の荷物を太腿に載せて、小説でも持ってくれば良かった、と思いながら周囲をぐるっと眺めた。

すると、幼い子どもと母親がいて、その子どもは小さな声で絵本を読んでいた。

「うんとこしょ。どっこいしょ。」

小さな小さな消え入りそうな声で口遊んでいた。

あ、おおきなかぶや。




私はそう思うと、胸の奥へグッと熱い塊が現れた。それは憎しみと慈しみが混ざった不思議な感覚だった。そして、耳の奥へぽとりと落ちた「うんとこしょ。どっこいしょ。」がコロコロ転がってあの記憶の断片をなぞる。

幼い頃、私は『おおきなかぶ』が大好きだった。みんなで力を合わせておおきなかぶを土から引き抜く作業は、収穫の喜びや共感を味わうことができて、私は夢中になっていた。まだひらがなしか書けなかったけれど、絵本の裏へ自分の名前を書いた。それは、「これは私の所有物。」という小さな自己主張だった。

ある日、家へ帰ると『おおきなかぶ』が無くなっていた。棚、箪笥、家具の隙間、机の下など、どこ探しても無かった。祖父母に訊いても「知らない。」と言うし。私は泣きそうになりながら家中を探していたら、帰宅した母に恐る恐る

「おおきなかぶ、知らん?」

と、訊ねた。すると、母は

「ああ、あの絵本、もうボロボロやし、捨てた。」

と、言って台所へ姿を消した。私は放心したまま部屋へ戻ると、胸の奥では怒りと憎しみがごちゃごちゃと渦巻いた。そして、ただ泣くことしかできなかった。

そのあとのことは憶えていないけれど、なぜ捨てたのか、と執拗に問うことも出来ずにただ泣いていたと思うし、母を赦さない、という気持ちがあったことは確かだ。

私は、ふう、とマスクの中へため息を落として『おおきなかぶ』を大切そうに持った子どもと母親を見た。そして、目を逸らすと、母が目の前に立っていて「案外、早く終わったわ。」と言いながら私の横へ腰掛けた。

今の母はあの頃とは違う。もう私を叱ったり叩いたりすることはできない。正直、一緒にいることを、面倒だ、と思うこともある。けれど、少しずつ母を赦していけたらいいな。そして、一緒に暮らしていけたらいいな。

そう思った。すると、母が

「あれやね、帰りは、はま寿司食べて行こうか。あの、天ぷらさん美味しいから、食べたいし。」

そう言って病院で会計を済ませた。そして、私たちは秋の青の下、はま寿司へ向かった。






透過するこころとこころ混ざりあう
愛とか知らんけどあたたかい

短歌









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