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真夜中にフォレスト



なかなか眠れなかったので、カラダに従って寝るという行為をあきらめた。
けれど、夜中の一時を過ぎているし、することもなかったから、映画を観ようと思って。
レコーダーの中を彷徨っていたら、なかなか決められなかったから、それで、目をつむってみる。
リモコンの↓ボタンを押しながらひとりでドラムロールを口にする。
「ドゥルルルルルルル。(結構リアル)」
そして「ジャンッ」と言いながら、リモコンの決定ボタンを押すと、『フォレスト・ガンプ/一期一会』だった。




「あぁ、フォレスト何回も観てるから、他のが良かったのに。」と思いながら、再生されているそれを眺める。
はじめは眺めているのに、だんだんと物語に吸収されて、あっという間にフォレストを応援する会の一員になったような心持ちになるのはいつもそうで。


フォレストがいじめっ子から逃げるときには、「走れーっ!」と心の中で叫んでいるし、

フォレストのママは名言ばかり言うからその度に私のココロは真綿のようにやわらかくなるし、

ジェニーの若さゆえの危うさにヒヤヒヤしたり、

バッバが永遠にエビの料理名を言っているのを聞いて笑ってしまうし、

ダン中尉は神様とケンカしたあと仲直りするし、

ナイキのシューズをはいて、走ることをやめなくなったフォレストのココロのキズに気付いてしまったりしながら、その人生を見守る。



いつからだろうか。
映画をひとりの人の人生を短縮した、素晴らしいものと感じるようになったのは。 



それから物語は、静かな湖畔を歩いているような静けさがやってくる。
ジェニーが亡くなって、お墓の前で話し出すフォレスト。


ママはいつも言ってた。死も人生の一部だって。そうじゃなきゃいいのに。(中略)僕には、ママが正しいのか、ダン中尉が正しいのかわからないよ。ぼくらにはみんな運命があるのか、ただ風に吹かれてただよっているだけなのか、分からない。でも、多分その両方なんだろう。多分、同時に両方が起こっているんだろう。…さみしいよ、ジェニー。何か必要なものがあったら、ぼくは近くにいるからね。



それでフォレストの人生は続くけれど、映画は終わる。


私は、観終わったあとに感じる余韻を白湯で流し込んだ。



そうだ、人生は映画のように順風満帆にいかなくて、つまずくことが多い。
特に大人になった方がうまくいかないことが多くて。
そんなときに、人って映画を観るのかもしれない。
不明瞭な日常を生きていると、支離滅裂な事象やはっきりとした回答の出ないことが多くて、生きているのに疲れるときがある。
だから、ときに人は、起承転結がしっかりとついた映画の世界へ、のめり込みたいのかもしれない。



時刻は三時を少し回っている。
映画を観ると決めてから、最初からこうなるってわかっていたのに。



「もうしらん。」



自分にそう言って、泣きはらした顔のまま、肌寒い空気を感じたくて、窓を開ける。
冬のはじめの夜風って、ただ冷たいだけじゃなくて、ほんの少しのぬるさもあって。そのままかるく空を見上げると、色の白い月が顔をだしていた。




ミシェル・ベロフ/ドビュッシー/月の光


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