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Summer has come!!


知らぬ間に夏になっていた。道端で上半身裸のおっさんが「夏が来たあああ!」と叫んでいたから夏なのだろう。おっさんはマッドサイエンティストが手当たり次第に毒物を調合したような恐ろしい色をした団扇を持って生温い空気を混ぜていた。私は、それ何色?ハード通り越してバリカタやん!超マッド!と思うと、私の純情な感情もリズミカルな手足も0.5秒戸惑ったけれど、なるべく何食わぬ顔でマッドサイエンティスト団扇おっさんの前を通り過ぎて近くにあるドラッグストアへ入った。その自動ドアからはみ出た冷たい風と一緒に大黒摩季さんの「夏が来る」が流れて来た。イントロで解った。クイズで早押しボタンを誰よりも早く押したい気分になった。私は、ええ歌やな、と思いながら入口にある買い物カゴを取ると清潔な匂いがする店内を見渡した。そして、胸の内でマッドサイエンティスト団扇おっさんの宣言した「夏」という言葉をなぞった。

「夏が来た」は現在完了形だから終焉を実感しながらその先にある淡い闇のグラデーションを眺めている気配がある。そして、線香花火の火の玉がスンっと地面へ落ちるような、どこか淋しくて空しくて詫びしい孤独が肌感覚で残る。「夏が来る。」は現在進行形だから黎明がもたらす薄らした光を感じる。花の蕾がゆっくり開くようなみずみずしい印象。これから訪れるであろう変化を愉しむような気配がある。オラ、ワクワクすっぞ!みたいな。

私は、キンキンに冷えたドラッグストアで今年初の夏を感じた。そういえば、ホットコーヒーからアイスコーヒーへ替わったし、ロンTからTシャツになったし、やたらと冷房を点けるし、寝具のシーツをNクールに替えたし、スーパーマーケットでは冷やし中華とざる蕎麦とそうめんが肩を並べているし、はま寿司では好物の茶碗蒸しを食べなくなったし、ねこが冬毛から夏毛へ換毛してスリムになったし、風呂は湯船に浸からずシャワーだけになったし、ジェラピケ擬きの安価な靴下を履かなくなったし、綿100%のパジャマが心地良いし、料理で火を使うことが億劫になったし、蚊に刺されないように虫除けスプレーをするし、脇汗防止パッド付きのブラトップを3着購入したし。

たしかに夏だった。

私は、マッドサイエンティスト団扇おっさんの夏宣言が腑に落ちた。

私は、いつもBダッシュで過ぎ去る時間だけをボーッと生きていたから夏だと気が付かなかったのだ。巡り変化する春夏秋冬をなかったことして、タフでハードに生き急いで一体どうしたいのだろうか。疲弊が減り込んで平坦になった心臓は、映えないリズムを刻みながら甘口でも辛口でもない中途半端な味のする日々を生ぬるく過ごしていくのだろうか。知らぬ間に夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、春が過ぎ、また来た夏を右から左へ受け流し、淡々と起伏のない線を辿るように継続される日々を消費して、くたばるのか。

いつもは孤独が心地良いのにこの瞬間は孤独が真冬に飲む白湯みたいにジンジンと沁みた。

夏は色即是空の味が濃ゆくなる。

ふいに哀しくなった。

足が止まった。

キンキンに冷えた空気が頸に当たった。

後方の天井を見上げるとエアコンの吹き出し口がこちらを向いていた。

すると、頭上でスコールのように降り注ぐ大黒摩季さんの「夏が来る」は熱を帯びた佳境を迎えていた。


何が足りない
どこが良くない
どんなに努力し続けても残されるのは
ah 結局
何でも知ってる女王様
それでも夏はきっと来る
私の夏はきっと来る

夏が来るより


パアッと弾けるような華やかな「夏が来る」はきちんとアウトロを踏んで終わった。

胸の内に籠った感情は熱い。その熱反応で身体は楽器となりそれをそのままバウンドさせて声にした。

「私の夏、来るわ。」

まだ遅くはないはずだ。強くそう思った。私が、夏だ、と思った瞬間から夏がスタートするのだ。

すると、私が十代の頃に定規で真っ直ぐに引いた線のように理不尽な常識を謳う母に向かい放った言葉が全身をかき混ぜた。

「私はそんなダサい常識、ぶっ壊すわ!」

そのあと母に頬を打たれて散々だったけれど、発した言葉に後悔はなかったし、気分は炭酸がシュワッと鼻を突き抜けるような痛さを伴った爽快感で満たされた。

そのときの感覚がいま光った。

私は、日本のどこにでもありそうなドラッグストアの入浴剤が並んだ商品棚の前で、そのときの感覚をもう一度、取り戻そうと思った。粗雑で刃物みたいでどこまでも美しく光る、あの野蛮な感覚。すると、いまの私は常識に囚われた大人になったことに気が付いた。そして、それをぶっ壊そうと思った。

規則正しい集団の中で品行方正なフリをするのはヤめちまえ。惰性で安定を得ようなんてヤめちまえ。悪口だけで繋がる関係なんて捨てちまえ。まんまと世の中に溶け込むことが成長というのはくだらん戯言だ。辛い現実をひとのせいにして逃げるな。己を殺してまで易い平穏にしがみつくくらいならひとりという地獄に身投げせよ。その地獄の焼け野原ではいつか美しい花が咲くかもしれない。

私は、くだらない自分の行いを脱ぎ捨てるようにアンチテーゼを胸の内に彫った。しっかりと忘れないように深く深く。

エンジンが始動して威勢が良くなった私は、目の前にある入浴剤のバブを手に取りカゴへ入れ、レジ近くにあった冷えた三ツ矢サイダーもカゴへ入れて会計を済ませ、外へ出た。

ムンッとする空気は夏らしい我の強い自己主張で冷えた身体を熱した。すると、街路樹からミンミンと蝉の声がした。マッドサイエンティスト団扇おっさんは、蝉よりも先に夏を察知して教えてくれたのだ。夏の使者なるマッドサイエンティスト団扇おっさんのいた場所を見ると、そこに姿はなかった。

私は、蝉がミンミン叫んでいる木陰で冷たい三ツ矢サイダーを飲んだ。鼻がツンッとなった。身体の芯から夏を感じた。

生きていける。

なんの根拠もないけれど、しっかりとしたシンプルな自信があった。私は青い空を見上げて「よっしゃ。」とつぶやいてから夏が焼きつける地獄みたいなアスファルトを凛とした心持ちで独歩した。






#創作大賞2024
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