色んな人がいるということ。


高校生の時、片道一時間ほど揺られて学校に行っていた。
朝の電車はいつも満員でサラリーマンやOL、主婦や学生、子供からご老人まで
様々な人たちが四角い鉄の箱に押し込まれている。
僕は満員電車が苦手て、いつも人の多さと圧迫感に気持ち悪くなってしまう。
反対側のホームは空いていて、羨ましく思いながら吊革に必死に掴まっていた。

とある日、いつものように人の熱気が充満する電車に乗り込んだ僕は、
少し離れた位置にいた中学の時のクラスメイト・A君を見つけた。
あまり話したことがなく、どんな奴か、わからぬまま卒業し、
それっきりだったのA君が近くにいる。
しかし、話しかけようにも、向こうは忘れているかもしれないし、話題も浮かばない。
考えている間にも駅は過ぎて行き、あと数駅で降りなくてはならない。

悩んでいるとA君の近くにいた大学生くらいの青年が狭い車内をウロウロし始めた。緑色のキーホールダーを付けたリュックサックを抱え、何かを探しているようにも見えたが、狭い車内での行動は多くの乗客の反感を買い、皆、迷惑そうに視線をぶつけていた。
しかし、誰も手を貸そうともせず、自分もまた、気になりつつ、動けないでいた。

その青年に気づいたA君はそっと駆け寄り、スマホの画面を見せ始めた。
すると、その青年もスマホの画面をA君に見せた。
何かを理解したA君はもう一度画面を見せると青年は安堵した顔になり、
ようやく落ち着きを取り戻した。

自分が降りる駅に着き、様子が気になり、   振り返ると
A君が青年を誘導しながら粛々と降りてきた。
青年はA君に深々としたお辞儀をした後、安心したように去っていった。
A君は見送った後、駅のホームのベンチに座った。
A君の制服は二つ先の駅の高校のだった。
僕はなぜそんなことをしたのか気になり、声をかけてみた。

するとA君は

「耳マークが付いていたから、車掌のアナウンスが聞こえなかったみたい。人が多くて外の様子も見れなかったみたいだし」
と答えた。

この世には「耳マーク」と呼ばれる耳の不自由な人を周知させるマークがある。
今は「ヘルプマーク」や「おなかに赤ちゃんがいます」など、様々なマークが
知られるようになったが、当時は「耳マーク」のことをどれだけの人が知っていたのかわからないし、なぜA君が知っていたかを聞けなかった。

それでも僕はいまだにあのA君の勇気と行動を忘れることができない。
大人もたくさんいた状況でただ一人、行動に移したA君を。
それとともに「耳マーク」というものがあることも忘れないだろう。

電車には色んな人が乗ってくる。スマホばかりでなく、
色んな人に目を向けてみる。
そしていつかA君のような行動を取れる人になりたい。

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