大切なお皿の話と忘れられないハグの話

今、一番大切にしているお皿の話をしたい。


どんなお皿か


キタは料理が好きで、そこそこのスキルを持っていると自覚している。留学先で、このスキルに何度も助けられた。料理が好きだから、結構お皿とかにもこだわりたいとか考えている。特に人をもてなすように、一人暮らしだけど、3人分の食器を揃えるようにしている。

留学が始まったばかりの時、まだ出会ったばかりのルームメイトと近所のスーパーに買いに行ったお皿が、今の自分にとって大切なお皿だ。白いお皿で、シェアするために全く同じお皿を2枚購入した。

そう書くと、さぞ立派なお皿かと思われるが、本当にIKEAとかで売っているような普通の、何の変哲もないお皿だ。因みに、ポーランドはポーランド陶器が有名で、わざわざ、その生産が有名な町に行って買いにいった。値段も入手するまでの大変さもそのお皿の方がある。もちろんそれも大切で、思い出の一つだけど、その普通のお皿の方が大切なんだ。こっちは、想い出という感じ。ポーランド陶器のお皿は全部で5枚くらいあるけれど、それらと普通のお皿のどちらかを割らないといけないとなれば、何のためらいもなく、ポーランド陶器を割る。


なんで大切かー日常だから

ポーランド陶器は、わざわざ買いに行った。特別感がある。使うのも、なんだかだで人に料理をする時とか、ちょっと特別感がある時に登場する傾向がある。

一方で、その白いお皿は、普段使い。特別感は、0。でも、今になっては、ポーランドでの日常という、特別が詰まっている。

留学体験談では、ルームメートと喧嘩しましたという話はあるある話だ。しかも、僕の場合は、プライベート空間のない部屋で、二人でシェアハウスをする寮だった。だから、うまくいかなくてルームメートを変えるとか、険悪な部屋なんて結構ある。不満があっても、タームが変われば、ルームメートも変わるから、短い間の我慢という感じもあった。

そんな寮で、私とルームメート(以下Tとする)は、喧嘩をすることもなく、2ターム一緒に生活した。タームが変わり、部屋を変える時期にも、二人で一緒に居たいと、恋人みたいなことを言いあって、二人同じ部屋で生活できるようにした。寮全体でも、2ターム仲良く生活したのは、もう一部屋しかしらない。

朝起きれば、Tが居て、寝る時は自然におやすみといい。それぞれ、飯を食っているのを後ろから観察して(※文化の違いで、食事の時間が違う)、時に一緒に酒を飲み、出かけて。海外にいること、お互いが母語ではない言語で話していること以外、日本と変わらない日常だった。

そんな日常が白いお皿には詰まっている。


忘れられないハグ

ヨーロッパというか、欧米だと挨拶で男女関係なくハグをすることが多い。最初は、女の子とハグをすることに、勝手にドキドキして、慣れなかったが、そんな生活も慣れるとなんも感じずに、ハグができるようになる。

でも、忘れられなハグがある。今でも、その抱きしめられた感を思い出せる。Tとのハグだ。僕とTは、留学が終わって、別れの日が来た。10か月間一緒に生活した、戦友との別れ。10か月間、文字通り一緒にいると、友達という以上の存在になる。親友とも違う。個人的には、お互いにとって異国で、良い感情も悪い感情も様々な感情を共有した人。だから、戦友が一番近い感じがする。

最後の日、最後の瞬間。寮の前で、Tがタクシーに乗る直前。ハグをした。その時、Tが僕を強くハグした。再会を誓いながらした、ハグ。いつもの挨拶とは違うハグ。その瞬間の温かい気持ちも、心が触れ合った感触を僕は一生忘れない。


意味になる、作るー当たり前のことだから、難しい

お皿が大切なのも、ハグが特別なのも、そこに意味があるからだ。
ハグは、10か月間の特別な時間をくれたことへの感謝と再会を誓ったハグ。こんな体験ができたこと自体が、留学よりも貴重だ。そんな意味のある人に出会えたことが重要だ。

でも、お皿は別の意味がある。そんな人との日常だ。正直に言うと、お皿を持って帰ろうとは考えていなかった。退寮にあたり、部屋を掃除している時に、トーマスがお皿を持って帰ったことに気が付いた。その時に、このお皿を持って帰ることを決意した。それが、Tと同じ日常を共有した物的な証になるように思われたからだ。

前にも書いたが、日常って難しい。当たり前すぎて、その中にある大切なものをわからなくさせてしまう。空気みたいな感じ。日常って、意味の積み重ねで、ちょっとずつ意味が更新されて、大切でかけがえのないモノになっていく。徐々に変わるから、身長みたいにその変化に気がつかない。

白いお皿は、そんなポーランドでの日常が詰まっている。かけがえのない意味が詰まっている。Tとの日常が詰まっている。それを使うと、日常の大切さをふと感じさせてくれる。

今後、僕はどれだけの人と日常を作れるだろうか。誰かの日常になれるだろうか。きっと数なんか大切じゃない。そんな意味のある、意味を作っていくという過程が大切で、そんな日常を大切にすることが重要なんだ。

そうだ、だから毎日を、大切にしよう。もしかしたら、変哲もない一日も誰かの日常なのかもしれないから。


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