優しさについてー闇の中を一緒に歩こう

※1この記事は、1年以上前に書いた記事です。現在は、状況も変化しました。次の記事を公表しようと思って、読み返した時にこの記事を公開しないと理解できないと思い、公開します。
※2副題と追記は1年前ではなく、今付けました。これについて書こうと思って見返して、色々考えて、これに付け足すことにしました。

これまでの記事を振り替えって、「謙虚」という言葉を多く使ってきた。だから、誤解のないように言っておきたい。結局、僕は自分に言い聞かせないといけない傲慢な人間だ。時に言い聞かせている自分に満足したりするような傲慢な人間だ。誰に対しても同じ態度でいたいと考えているけど、女の子の前ではカッコつけようとするし、後輩の前では先輩ぶる。

だから、ああしとけば、こんなことしなければ、言わなければと後悔することが多い。いろんな後悔がある、そんな中で考えた優しさについて書きたい。これを形にしないとこの後悔に向き合えないし、自分に言い聞かせることで行動に移せると思えるから。

元カノと消えた友達ー優しさの意味

この二人が僕が今でも後悔している。留学先で孤独を感じるときに、この後悔が疼く。そこから、優しさについて考えることになった。これは留学に行く前からあったけど、こうしておけばよかったと日本を離れてから強く感じるようになった。

自分で書くことは恥ずかしいけど、「優しい人だね」と言われることが多い。でも違うと毎回心の中で思う。ただ人から嫌われたくないだけだ。僕は人の悪意に弱い。たとえ、多くの人に好意をもらっても、一つのネガティブな感情を受けると、その好意を素直に受け取れない。だから、とにかく人に嫌われたくない。だから、表面的に優しくする。でも、そんな態度だから二人と距離ができてしまった。ある意味で、拗らせ系ナルシストなんだと思う。自分のことしか、考えることができていないんだと思う。

新聞のコラムに書いてあったこと。「優」って「憂」の横に人がいるって。本当に優しいひとってきっと人が憂いているときに横にいれる人だ。横にいてほしい人なんだ。そんなことを記事から学んだ。読んだ時に衝撃を受けた。

元カノと消えた友達は就活に悩んでいた。元カノは自己分析。友達はそもそも生きる意味や自立の意味という就活していると考える哲学的な問いに悩んでいた。(元カノに関しては色々とあるから別に書きます。これ以外にもいろんな後悔があるから。たくさんのことを教わったから。)

消えた友達

友達(以下kとする)とは、ゼミで出会った。ゼミの先生の別の授業で、同じグループで同じ調べる担当になったことをきっかけで仲良くなった。kののんびりしながらも知的で鋭い突っ込みが大好きだった。kにとって僕の何が合ったのかわからないけど、授業の関係でちょっと電話するとか言って7時間電話したこともある。自分の部屋で朝まで呑んだことも何度もある。

就活の時期が近づくにつれて将来のことや就活の話をするようになった。でも、彼女は周りと一味違っていた。何のために生きるのかみたいな就活の背景にある哲学的問いを考えていた。そして自立することについて真剣に考えていた。哲学を勉強する僕にとってkのそんな視点が面白くて、哲学的議論をしてしまった。まさか、本気で悩んでいたとは気が付かないで。(k本人から聞いたわけではないから本当のことはわからないですが。)僕はあれだけ、話を聞いていたのに、kの憂いの横にいることができなかった。悩んだときに相談したいと思える人になれなかった。kに一度「話していて結構心が落ち着く」と言われたことがある。自分はこの言葉に浮き足だった。それからkに真摯に向き合うことができなかった。一度、連絡が取れなくなったことがあったけど再会できた。ちょっとメンタルが落ちていたんだんと教えてくれた。その時にもっと真摯な姿勢を示すことができたはず。でも、再会して安易に前みたいになれると思ってしまった。結局kは僕のもとから離れて行った。Lineで彼女に誕プレを渡したくて「いつ暇?」と送ったが既読がつかないまま離れて行った。

浮足立たずに彼女に対して、もっと真剣に向き合っていたら今も彼女とやりとりをできていたかもしれない。自分がもっと話を聴くことが上手なら彼女のSOSに気が付くことができたかもしれない。もちろん、他人だし、どうすることが正しいかわからない。こんなことを考えることも馬鹿らしいかもしれない。こうしておけばと考えていること自体が見当違いかもしれない。

kとの時間は楽しかった。彼女が再び僕にあってくれるかわからない。

Kが教えてくれたこと

kとの失敗から優しいについて考えた。僕はkの何にもなれなかった。自分は結構、いい関係だと信じていた。最初から自分の片思いだったかもしれない。真実がどうであれ、僕の姿勢に問題があった。もしかしたらほかにも自分に問題があったかもしれない。kが離れた理由は色々あるはずだ。僕が色々考えること自体、馬鹿かもしれない。去る人は追わずを大切にしている。自分だけが原因だとも思わない。でも考えるとなんとも言えない気持ちになる。

だから、もっと本当の意味で優しい人になりたい。相手に本当の意味で優しい人になりたい。もっと自分に向き合いたい。そうすれば、ふとした時に自分の態度に気づいて、態度を改めることができるから。それを積み重ねるしかできない。今、kに対して出来ることは自分が変わることしかない。

いつか、kと会える日が来ることを願いたい。もし、再会してくれた時に、変わったなと思ってもらえるようになりたい。少なくともこんな失敗を二度としたくない。(2022年の始め方に執筆)


追記ー闇の中を一緒に歩こう(2023年2月追記)

Kとどうなったかは、次の記事で読んでほしい。

私自身、Kや周りの人と様々な話を少しづつではあるが、できるようになった。そんな中で思ったことをちょっと書きたい。これは、Kの友人で、「自分関数」の話で出てきた友人の相談を聞きながら、感じたことにも通じる。趣旨としては、後者の方が重要で、頭の中ではその友達を想いながら書く。

人生という闇

唐突だけど、人生ってきっと本質的に、残酷で、辛くて、暗いモノなんだと思う。希望もそんなないんだと思う。少なくとも、僕はそう思う。

悩みなんか尽きないし、解決の方法もないものばかりだ。そのくせしてずっと痛み続ける。不安で寝れないこともたくさんあるし、どんなに好きでも叶わない恋の方が多いし、夢なんか99%叶わない。努力しても報われないことの方が多い。スポーツのニュースを見ながら毎回思うことだけど、努力が報われれ、夢が叶うと全国放送のニュースになるほどレアなことなんだと感じる。

そんな現実から、目を背けることはできる。今ある現実を幸せなんだと思い込み、何も感じなくすることもできるし、世の中のほとんどに人がそうやって生きている。これは悪いことじゃいないし、むしろ賢い妥当な生き方なんだと思う。

僕は、中途半端な人間だから、人生そんなもんだと考えている。でも、そくな闇の中を歩く方法はないかとも考えている。人生は本質的には、闇だけど、それの中でましに生きることを考えている気がする。

闇を生きる

僕が好きなドラマに「クリミナルマインド」というサスペンスドラマがある。このドラマは、毎回、最初と最後に話に関係する格言を言うシーンがある。話が面白いこともさることながら、そのシーンと、チームの人間関係に魅力を感じて、昔から見ている。その中で、次の格言が紹介されて、ハッとした。ほんとうにハッとしたから、どの話か思い出せないけど、言葉は覚えている。それは次だ。

「闇の中を仲間と歩むことは、光の中を一人で歩くことよりもよっぽど良いことだ」

僕に必要なのは、闇を一緒に歩いてくれる仲間だと感じた誰かにとって、一緒に歩きたいと思える人間になることが目標になった。一番最悪は、闇を一人で歩くこと、最高は光の中を仲間とあること。現実的な意味での最高はきっと、闇の中を誰かと一緒に歩くこと。

人生それ自体が、明るいものとして、捉えることができるようになれるにこしたことはない。でも、現状だけど、自分がそうなれるかは、わからない。でも、それでいい。半分は諦めで、半分は納得して。闇の中で、生きればいいと思う。一緒に歩く仲間、友が近くにいてくれれば、闇の中でも生きていけると思う。どうせ、光の中でも、一人なら生きていけなし。なら、闇を光に変えることを考えるより、仲間を作ることの方が重要だ。

そうだ、方法は摸索中だけど、憂いという闇の時に横にいてもらいたいと思われる優しい人間になろう。


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