ナショナリスト対共産主義の誤解

ナショナリスト(民族主義者)、伝統保守派、右翼、などなどいろいろ名前があるが、これらの人多く「共産主義はやばい」など漠然としている認識を保持しているが、共産主義に対して理解はかなり雑、不正確の部分がある。

まず、普遍的に「共産主義は考え方/出発点/動機として悪くない、実行する人が悪いだけだ」という共産主義の最終目標へ共感を抱いているのは一番の問題点、共産主義が目指すのは単に経済が国で管理するだけではなく、国民の私生活、思想まで全般的に管理、コントロールする。それは果たして「良い考え」「良い出発点」と言えるか?彼らの多くは、共産主義は根からある種の「悪」を主張する思想であるという可能性を最初から考えていなかった。


このように、そもそも共産主義の核心的な主張に対する誤解があり、少しも疑ったことがないので、共産主義の核心観点に対して批判はなく、逆に共産主義が宣伝過程中で使う「民主」や「人権」(普遍的価値観)など他の実は関係ない/核心ではない価値観を否定し始める、表現としては「絶対な人権/自由/民主がない」など、一見正しい内容だが、「絶対の自由」などを求めている人がそもそも存在しない。実はこれはまさに共産主義のマルクス哲学の内容(弁証法)で、西側のイディオロギーを批判に多用する理論でもある 。多くの人はこのような誤った認識を解いていないまま、反民主主義、反自由主義的な「負の資産」を持ち始めた。


たとえば「人権」、「人権」の意味は尊厳がある生活方式を求めたい、尊厳がある生活を主張すると共産主義成り立たないから(共産主義は個人は集団のため犠牲を強調)。現代共産主義国もほとんど「人権より主権が上位」を国是としている。また「民主」につていも同じて手口使って、「絶対な民主はない(国が決めたことに従え)」「西側の民主は真の民主ではない」など話術使って国民を洗脳する。


日本の場合、日本共産党の天皇制反対が民族主義右翼との争点になっているが、日本共産党は天皇制を反対する原因についてもよく誤解される:「国家を消滅したかったから」、確かに初期の共産主義者は国際主義という主張がある(無産階級は祖国がない)これは実はソ連だけのイディオロギー、ソ連傘下はたくさんの加盟共和国がある、市民を共産主義運動に献身してもらうため、そういう主張していた、その特殊の時代背景(世界で共産主義が優勢)があるだから。


しかし、現代の共産党は国を消滅する動機が全くない、むしろ共産主義が世界において劣勢の中、国家権力は絶好な統治ツール、民族国家と偽装してひたすら「内政干涉反対」で生き伸びる。