フレンドリーな取り立て屋さん4 ケンカをする

「待てや、ゴラァ!」
後ろからものすごい声で怒鳴られた。
俺は全力で走りながら、待てと言われて素直に待つ奴は最初から逃げないよな、と思う。
それでも待てと言いたくなるのは、狩る側の本能なのだろうか。
そんなことを考えながらも、必死で細い路地を走る。
捕まったら確実に殴られる。それだけじゃなく、下手すれば命の危険すらある。
だって鬼の形相で俺を追いかけてくるのは、正真正銘のヤクザだ。
友人に誘われてやけに高級なマンションの一室に連れていかれたのは六カ月前。
セキュリティーのしっかりした扉をくぐり部屋に入ると、中には大きなルーレットやポーカーテーブルが置かれていた。
お酒を飲む男たちに、美しい女たち。異様な光景につばを飲み込む。
ルールもわからないまま言われた場所にコインを置き、あっという間に三十万勝った。
友人が俺の肩を叩きながら「お前すげぇじゃん!才能あるよ!」と興奮した様子で言った。
今ならわかる。完全に俺は浮足立ち冷静な判断を失っていた。
ビギナーズラックは一度では終わらなかった。二度目に行ったときは倍もうけた。
三度目に行ったとき多少負けたけれど、まぁすぐに取り戻せるだろうとまったく気にしなかった。
そこから転げ落ちるのは笑えるくらいあっという間だった。
「負けてるけど、流れはこっちに来てるよ。あと十万かけたら絶対勝てるって」
そんな友人のささやきにうなずいているうちに、みるみる借金は膨らんだ。
気が付いた時には、手も付けられないほどの金額になっていた。
そんなわけで、俺は今、借金取りのヤクザから必死で逃げている。
はぁはぁはぁと肩で息をしながら走り続けたけれど、もう体力の限界だ。頭がくらくらしはじめ、足がもつれる。
体がよろけ、道を歩いていた派手なアロハシャツを着た男の人にぶつかってしまった。
「す、すみません……っ」
反射的にあやまると、男はかけていたサングラスを下にずらし眉をひそめこちらを見る。
きっと、全身汗だくで必死で走る俺を不審に思ったんだろう。
「おい、お前……」となにか言いかける。
決して怪しいものではありません、と言い訳したかったけれど、そんなことをしていたらヤクザにおいつかれてしまう。
案の定、男たちは俺のすぐ後ろまで迫っていた。
「ごめんなさい、急いでいるのでっ!」
俺はそう謝って、また走り出す。するとおいかけてきたヤクザのひとりもアロハシャツの男にぶつかった。
「ってぇなぁ!てめぇ、邪魔なんだよ!」
さすがヤクザは傍若無人だ。自分からぶつかっておいて、あやまるどころか悪態をつく。
あんなやつに捕まったら、絶対に殺される。なんとしても逃げなくては。そう思い前を向いたけれど、決意もむなしくすぐにつかまってしまった。
「おい、人から金をかりといて、なに逃げようとしてんだよ」
首根っこを掴まれ、地面に体をおしつけられた。強面の顔が近づき、俺はひぃっと悲鳴を上げる。
「す、すみませんっ!返したい気持ちはあるんですけど、本当にお金がなくて……っ!」
借金取りがおしかけてきたせいで、仕事はクビになった。借金を返すどころか収入はゼロで日々の生活にも困っている。
「だったら内臓売れや内臓。腎臓と肝臓くらい、なくたって生きていけるだろうが」
そうすごむ男の顔がものすごく怖くて泣きそうになる。すると、背後から声が聞こえた。
「ちょっと待てや」
見れば、さっきぶつかったアロハシャツの男がこちらを見ていた。
「んだよ、邪魔すんじゃねぇ。てめぇも締められてぇのか」
すごむヤクザに男は動じず不機嫌そうに眉をよせる。
「お前、人にぶつかって謝罪もなしか」
いやいや、この状況。そんなことを言ってる場合じゃないでしょうが。思わず心の中でつっこむ。
「あぁ?んだよ、文句あんのかよ」
「文句あるに決まってるだろうが。お前らみたいに暴力振るうしか能がねぇ借金取りがいるから、俺みたいな善良な取り立て屋さんまでイメージが悪くなんだよ」
「はぁ?」
ヤクザと一緒になって俺もぽかんとしてしまった。どうやらアロハの男も取り立て屋らしい。
「そっからなぁ、臓器売買すんならちゃんと品質を保証しろよ。日本人の臓器は健康でクリーンだって信頼感があるから高く売れんだよ。こいつみたいにいかにも不健康な奴の内臓を売りつけたら、メイドインジャパンのブランドに傷がつくだろうが!わかるか?メイドインジャパン!」
え、怒ることそこ?と俺は目をまたたかせる。
「なんだよこいつ」
「お前ら、ちょっとあいつを黙らせろ」
俺を押さえつけていたヤクザが、部下らしきふたりにそう指示する。
ゴリラみたいにごついヤクザふたり対アロハシャツにビーチサンダルの浮かれた恰好の男ひとり。どう考えたってゴリラが勝つ。
俺がぶつかりさえしなければ、アロハの男を巻き込んだりしなかったのに。そう思いながらハラハラしていると、ヤクザのひとりがなぐりかかった。
けれどアロハの男は冷静だった。近づいてきたこぶしをすれすれでかわすと、バランスを崩したヤクザの後頭部の髪を鷲掴みにする。そして、顔面に容赦なく膝蹴りを入れた。
男の顔から鼻血がふきでる。
「きったねぇな!お気に入りのシャツが汚れるだろうがっ!」
言葉さえ発せず痛みにもだえるヤクザを地面に転がし、がんがんとビーチサンダルで蹴った。
自分の膝蹴りのせいなのにひどい。思わずヤクザに同情しそうになる。
「お前、ふざけんなよ……っ!」
そう叫び殴り掛かるもうひとりのヤクザの襟をつかむと、今度は鮮やかな背負い投げをしてみせた。
固いアスファルトに背中を打ち付け、男は痛みに悲鳴をあげる。
その圧倒的な強さに、俺を地面におさえつけていた三人目のヤクザが青ざめ震えだした。
アロハの男はヤクザを無視して俺を見下ろす。
「お前、どうして借金なんかした」
「ゆ、友人に裏カジノに連れていかれて……」
戸惑いながら事情を話すと、はぁーっとため息をついて俺の前でヤンキー座りをする。
「ふつう一時間で三十万勝ったら、その逆もあるってわかるだろ。それに、その友人は最初からお前をカモにしようとしてたんだって気付けよ」
あきれた口調で言われ、思わずうつむき唇を噛んだ。
「……うれしかったんです」
「あん?」
俺の言葉にアロハの男はサングラスを下にずらし眉根をよせる。
「就職したのはいいけど、知り合いのいない場所でずっと孤独だったんです。そんな俺にはじめて声をかけてくれた友人だったんです。こんな俺でも仲良くしてくれる人がいるんだってうれしくて、うすうすカモにされてるって気付いていたけど、騙されてるなんて思いたくなかった」
話しているうちに、目頭が熱くなった。あふれた涙が頬を伝いアスファルトに落ちる。
するとアロハの男がうなだれて大きくため息をついた。
「お前なぁ。そうやって同情をひけば、俺がほいほい借金をたてかえるとでも思ってんのか」
「へ……?」
一体なんのことだろうと思って見上げると、男はヤクザに視線を移す。
「こいつの借金はいくらだ」
「は、八百万です」
いつのまにかヤクザがアロハの男に敬語をつかっている。でもその気持ちはわかる。この男、得体がしれなすぎて、ヤクザよりやばい気がする。
「金利は?」
「に、二十パーセントです」
「年利、なわけねぇよなぁ?」
「月利です、すみませんっ」
「ずいぶんたけぇな。ってことは、元金は三百五十万ってとこか」
男は話を聞くと、ふーっと息を吐きだした。そして邪魔くさそうに髪をかきあげながらヤクザを見据える。
「五百万、俺が現金で払ってやる。だから、こいつから手を引け」
そう言って、胸のポケットから名刺を取り出しヤクザに渡す。
「へ?」
予想外の展開に、俺はまぬけな声を出した。それに対してヤクザは名刺を受け取ると「わかりました」と言って俺を押さえつけていた手を離す。そして地面にのびたふたりのヤクザを叩き起こし、逃げるように去っていった。
自由になった俺は状況が把握できないまま、ぽかんとアロハの男を見上げる。
「言っとくけどなぁ、いくら俺がフレンドリーな取り立て屋さんだからって、慈善事業をしてるわけじゃねぇんだ。五百万はしっかり返してもらうからな」
「は、はい」
「とりあえずお前、リシリに行け」
「り、リシリ……?」
なんだそれは。中東のやばい国かなんかだろうか。三人のヤクザに追われるよりも怖い状況に涙目になる。
「利尻島だよ、利尻島。北海道の」
よかった、国内だった。俺はほっと胸をなでおろす。
「早朝から昆布干しと民宿の手伝い。宿舎完備で三食つき。島にはギャンブルどころか金を使う場所もない。びっしり働けばいやでも金がたまるだろうし、島の人間はうっとおしいくらい友好的で孤独を感じるひまがない。お前にぴったりだろ」
「あ、ありがとうございますっ!」
やばい人だと思ったら、ものすごくいい人だった……!
俺が感激してお礼を言うと、男はにやりと黒い笑みを浮かべる。
「北海道の食いもんはうまいから、一、二年もいれば、やつれたお前も健康的になるだろ。お前がまじめに借金を返さなかったら、一年後、内臓をもらうからな」
その言葉に、俺は「ひぃ」っと震え上がった。


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