フレンドリーな取り立て屋さん5 物々交換をする


炎天下の街をひとり歩いていた。
喪服を着た俺の背中に日差しが容赦なく照り付ける。
なにもかも熱かった。背中を伝う汗も、吐き出した息も、目じりに浮かぶ涙も、全部。
めまいに襲われ、視界が反転した。同時に世界から色が消える。
貧血か、熱中症だろう。冷静に考えながら、仰向けに道路に倒れる。
こんなところで倒れていたら、車にひかれるかな。そう思ったけれど、それでもかまわないと目を閉じた。
生き続けたところで、もう、妻には会えない。

「おーい。死んでんのか」

がらの悪い男の声で意識が覚醒した。
目を閉じたまま眉をひそめると、ペシペシと頬を叩かれる。
「そのまま死なれたら、借金回収できなくて困るんだけど。どうせ死ぬなら、内臓をぬくか保険をかけてからにしてくんねぇ?」
怖いことをさらっと言われ、まぶたを上げる。
道路に倒れている俺を、ヤンキー座りをした男が見下ろしていた。
派手なアロハシャツにサングラスをかけた、いかにもチンピラといった風体の男だ。どうやら借金取りらしい。
妻の葬式の日くらい、そっとしておいてくれ。
そう思ったけれど、あちこちからお金を借り、借金はもう把握できないほど膨らんでいた。とても文句を言える立場じゃない。
「とりあえず道端で立ち話もなんだし、お前の家にいくぞ」
そう言うと、男は腕をつかみ俺を起き上がらせる。
普通、立ち話もなんだし、というセリフは家主が言うべきものだと思うんだけど。という突っ込みが出かかったけれど、口には出さずに飲み込んだ。
「でも、ちょっと歩けなさそうです……」
めまいはおさまったけれど、手足に力が入らない。脱水症状をおこしているようだ。
「しょうがねぇなぁ。乗せてやるよ」
男はしょうがないと言いつつ、タイヤ付きのカートを誇らしげに見せる。
おばあちゃんがお買い物に行く時に使うような、荷台の上に座って休憩できる手押し車、いわゆるシルバーカーだ。なんでチンピラがこんなものを持っているんだろう。
「ほら、これに座れ」
喪服姿の俺は強引に椅子に座らされ、アロハシャツを着た男に、からからと運ばれていく。なんだこのシュールな状況は。
「これな、すげぇ便利なんだ。タイヤ付きだから重いものも楽に運べるし、疲れたら椅子にして休憩できるし、道端で行き倒れた借金まみれの男の搬送もこのとおりだ。まぁ、人を乗せたまま押すのは正しい使い方じゃねぇけどな」
背後で上機嫌の男がしゃべり続ける。このシルバーカーがよほどお気に入りなんだろう。
男は教えてもいないのに、迷わず俺の自宅に向かった。
広い庭のある、古い平屋の一軒家。男は門から見える庭や引き戸の玄関をながめ、「いい家だな」とつぶやいた。
「もうすぐ手放すことになりますけどね」
俺がなげやりな口調で言うと、「そうなのか?」と不思議そうに問われた。
妻が死んだ今、俺ひとりで庭付きの一軒家に住むのはどう考えても無駄だ。それに、借金で首も回らない状態だから、建物は古く価値はほとんどないとはいえ、差し押さえられるのは間違いない。
アロハシャツの男は引き戸を開け家の中に入ると、俺を廊下の床に転がした。
「水でも飲むか?」
まるで家主のようなセリフだなと思いつつ、脱水気味で具合が悪い俺は床に倒れたまま「お願いします」と頭を下げる。
「あいよ」
履いていたビーチサンダルを脱ぎ捨てた男は、ぺたぺたと音をたてて居間へ向かう。
食器棚の扉を開ける音。蛇口をひねる音。水がシンクを叩いて流れていく音。
男のたてる音を聞きながら、この家に自分以外の人間の気配があるのはひさしぶりだなと思う。
少し前までは、これが当たり前だったのに。
けれど妻はもういない。この家に、妻が帰ってくることはもう二度とないんだ。
あらためて妻の死を実感すると、ものすごい喪失感と孤独におそわれる。
どこかで獣の遠吠えのような声がした。なんでこんな住宅街で、と不思議に思ってから、それは自分の泣き声だと気づいた。
俺は廊下の天井を見上げたまま、声を上げて泣く。
どうして、どうして、どうして。
こみあげるのは、激しい後悔と罪悪感。
妻の病気が発覚したときには、もう手遅れなほど進行していた。
妻は無駄な治療をするよりも、残された時間をのんびりと過ごし、俺にみとられながら死にたいと笑った。
その笑顔を見て、ふざけるなと思った。
数か月後に君を失うと知って、それをただ受け入れろというのか。
なにか方法があるはずだ。だって、大切な君がこんなに簡単にこの世から消えるわけがない。
腕のいい医者がいると聞けば、その病院を訪ねた。あらたな治療法をみつけては、手当たり次第に試した。
高額の治療費のために、あちこちからお金を借りた。そして借金を返すために、昼夜を問わずがむしゃらに働いた。
悪あがきだと言われても、それでもあがきたかった。
けれどそのせいで、妻の見舞いに行く時間の余裕はなくなった。
そして、俺にみとられながら死にたいと願った妻は、俺の仕事中に病院でひとりで死んだ。
仕事を終えスマホを見ると、病院から何件も着信が残っていた。俺が病院にかけつけた時には、すでに彼女の体は冷たくなっていた。
俺のもとに残ったのは、多額の借金と、吐き気がするほどの罪悪感だけだった。
きっと妻は俺を恨んでいるだろう。ひとりきりの病室で死の恐怖と戦い、俺を恨みながら死んだんだろう。
「ごめ、……っ。ごめん……。ひとりで死なせて……っ、うぅぅ……」
獣のような嗚咽にまじって、謝罪の言葉がこぼれる。どんなに謝ろうが、許されることなんてないのに。
「あんまり泣くと、干からびるぞ」
あきれたように言われ見上げると、アロハシャツの男がいた。
「ほら、水」
号泣する俺に、男は平然と水が入ったグラスを差し出す。
自分とのあまりの温度差に、思わず涙がひっこんだ。呆然としていると、男は俺の背中を支え、水を飲ませてくれた。
冷たい水が喉を通りすぎていく。
おいしいと思った。
見下ろすと、グラスの中に緑の葉が浮かんでいた。妻が育てていた、ミントの葉だった。
「本当に、いい家だな」
男は門の前で言った言葉を、もう一度繰り返す。
「俺はさぁ、仕事柄自殺した奴の部屋に入ることも多いんだけどよ、死を覚悟した人間の家は空気が違うんだよな」
一体なにが言いたいんだろう。俺がグラスをにぎったまま黙っていると、男はひとりごとをつぶやくように続けた。
「この家。居間に入ったら、所かまわずメモが張ってあんのな。観賞植物の水のやり方だとか、庭のブルーベリーの収穫時期だとか。家のあちこちの手入れの仕方が丁寧に書いてあった。いつか、自分がここに戻ってきたときにまた同じ生活をはじめられるよう、お前に託したんだろうな」
「え……?」
俺は思わず目をまたたかせた。
妻が残したいくつものメモ。それは、いつか自分がここに戻ってきたときのために……?
「でも、妻は余命を受け入れ治療はしなくていいって言ったんです。もうここに戻ることはないと、死を覚悟して入院したんです」
俺がそういうと、男はため息をついた。
「そりゃ、治療すれば金はかかるし、長引けば長引くほど夫の負担になる。お前に気を遣って強がって余命を受け入れたふりをしていたんだろ」
「そう、なんですか……?」
「そりゃそうだろ。だって」
男は一度言葉を区切り、静かに息を吸い込む。
「……誰だって、死ぬのは怖い」
そっけない口調だったけれど、その言葉には痛いほどの切実さが滲んでいた。
この男も、大切な人を失った過去があるんだろうか。
「俺にはここが、死を受け入れた人間の住処だとは思えない。本当は、少しでも長く生きたかったんだろうよ。嫁を失いたくないとがむしゃらにあがくお前をみて、嫁はきっとよろこんでいたと思うよ」
本当に、妻は俺を恨んでいなかったのだろうか。俺の身勝手な愛は、彼女に届いていたんだろうか。
溢れた涙が頬をつたい、グラスの水面に落ちた。そのせいで、浮かんだミントがゆらゆらと揺れた。
俺が声を殺して泣いていると、「あ、そうだ」と男がなにかを差し出した。
見ると、つやつやと光る立派ななすびだった。
「野菜やるよ。野菜」
男は俺の答えも聞かず、シルバーカーの荷台から次々に野菜を取り出す。
なぜシルバーカーを押して歩いていたんだろうと不思議に思っていたけれど、大量の野菜を運んでいたらしい。
「ハワイに沈める予定の女にくわえて、会社に洗脳されていた男まで野菜を送り付けてくるようになってよ。こんなに野菜ばっか食べられるかよ。俺はスズムシじゃねぇっつうの。なぁ?」
よくわからない問いかけに「はぁ」と曖昧な相槌をうつ。いつの間にか俺の周りは、新鮮な野菜でいっぱいになった。
シルバーカーの荷台がからっぽになると、男は満足げに息を吐き、「で」とこちらを見た。
「野菜をやったかわりに、お前の持ってる借用書を出せ」
「は?」
意味が分からず瞬きをする。
「だから、物々交換だよ、物々交換。野菜の代わりに借用書をもらう。シンプルだろ? あちこちから借金してるお前の借用書を、全部俺が引き取る」
「いや、でも……」
この男は俺が作った多額の借金を全て肩代わりをしようというのだろうか。でも、どうして。
「あぁ。そういえば名乗るのを忘れていたな」
アロハシャツの男はそう言って胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。そこには、フレンドリー・パートナーズと書いてあった。
「うちは社名の通り、フレンドリーな取り立て屋さんなんだよ。今にも死にそうな顔で道路に倒れてる男を見捨てたら、天国にいる嫁さんに殴られるだろうが」
アロハシャツの男はぶっきらぼうに言う。
「うちの妻は優しいので、人を殴ったりしません」
俺が思わず反論すると、「テメェ! のろけんじゃねぇ!」と全力で殴られた。


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