見出し画像

おしゃべりは、いつもふたりで(2)

『ヒトの言葉』

テレビの中、数人の男女が早口で持論を熱く語っていた。
きなこはソファで丸くなりながらそれを見つめ、何となくわかったときには一度、全然わからなかったときには二度、まばたきをした。

「言葉、ずいぶんわかるようになったみたいだな」

すこし離れたところから道明寺が声をかけた。シルバーのラックに足を投げ出して、大して興味もなさそうに、しかし少年のように潤んで輝く瞳はしっかりときなこを捉えている。

「早口だとまだわからないこともあるけど、だいたいは」
「たいしたものだ」
「まぁね。これでも道明寺より長く生きてるから」

きなこはテレビの画面を見つめたまま、どうということもない声色で素っ気なく言い放った。ただし、口角はいつもよりすこしだけ上を向いているし、テレビへ向いていた耳の片方は賛美の言葉を拾うべく道明寺のいる方へとすこし傾いている。
実のところ、きなこはテレビの画面から言葉を学んでいるわけではなかった。
かの子がテレビをみる時はいつもソファに座っているから、そういうものだと思って自分もソファに埋もれているだけで、意識の大半は聞こえてくる音に集中している。
だからこそ、声とも思えないほど低くて小さい道明寺の「言葉」も聞こえるのだけれど。きなこの耳が小刻みに動いた。

「かの子ちゃん、お風呂から上がってくるわよ」

きなこの言葉に、道明寺は投げ出していた足をしまい、うさぎ用わら座布団の上にきちんと香箱座りをした。
きなこも、ソファの上で居住まいを正した。背筋がきれいな曲線になるように四肢を揃え、ふさふさのしっぽをきっちりと体に巻きつける。行儀よくしていれば夜食のおすそわけがあるかもしれない、などという下心はみじんも感じさせない佇まいだ。
数分後、リビングのドアが開いたかと思うと素っ頓狂な声が上がった。
入浴剤の芳香をまとったかの子がテレビをみて、目をまん丸にしている。

「また、つけっぱなしだった!」

かの子は濡れた髪をバスタオルで押さえながら、ばたばたとスリッパを鳴らして入ってきた。

「なんで? なんで私はこうやって、同じことを何度も何度も……ああもう、電気代が」

テーブルの上のリモコンを忌々しげに取り上げながら、かの子は自分に向けて呪詛を吐いた。勢いよく腰を下ろすと、肩にかかる濡れた髪から滴が落ちた。ソファの上に直径1センチほどのシミがひろがる。

「まったくもう、なんで、私は……!」

かの子はパジャマのズボンでソファをこすり、舌打ちしてチャンネルを何度か変えてみるが、興味をひかれるものはなく、ため息をついてリモコンを置いた。画面はもとの番組を映しだしている。
荒々しく髪を拭いて、ふたたび立ち上がるかの子。
沈み、傾き、揺れて、もとに戻るソファ。
せわしない。
きなこはソファからそっと飛び降りてうさぎ用ケージへと近づいた。
道明寺の目は開いたまま香箱座りの姿勢で、鼻だけが規則的に動いている。
もう寝てしまったのかと覗き込むきなこに、低く小さな声が聞こえてきた。

「かの子は、何を騒いでいる」
「テレビつけっぱなしにしてたの、後悔してるみたい」
「後悔? なぜだ」
「お金がかかるみたいよ」
「なるほど。で? それに気づいた今、なぜテレビを消さない? かの子はどこへ行ったんだ」

きなこの耳がアンテナのようにくるりと動いた。
バスルームの方から騒々しいモーター音が聞こえる。

「さあね。髪、乾かしに行ったみたいだけど」
「後悔したんだろう? なのに、なぜ」
「わからないわ」
「わからない? 言葉がわかるのに?」

道明寺が意外そうな声をあげた。ぴんと張ったヒゲが、興味深いと言いたげに前方へ向いている。
きなこは耳を澄ました。
ごうごういうドライヤーの音に紛れて、かの子の鼻歌が聞こえてくる。とても機嫌がよさそうだ。

「言葉に意味なんて、ないのかもしれないわね」

そう言い残して、きなこは本棚の上へと駆け上がっていった。

*-*-*-*

---
2018/03/09 初稿
2018/05/28 微修正、かつ改題。『3月9日(金)』から『おしゃべりは、いつもふたりで(2)』とし、本文冒頭にサブタイトルを挿入。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?