未来予測とこれからのイノベーション
SNSに続く新たな巨大プラットフォームの出現を予測する意見は多いです。それはどんなものになり、その世界はどこに向かおうとしているのか?
その答えは、
物理的な全世界をデジタル化したミラーワールドの出現
です。物理的なものと、空間、歴史の全てがデジタル化される社会がやってきます。
既にポケモンGOでその片鱗を我々は見ています。
インターネットの世界で、情報がデジタル化されて、人々は情報を検索をできるようになりました。それが、SNSになり、人々の行動がデジタル化してアルゴリズムが加えられて人々の関係性すらもデジタル化されたわけです。そして、これからは
物理的なこの世界の全てがデジタル化されます。
目の前にある物が一体どこから来たのか、産地はどこか、いつからあったのか?何年前はこの場所は何だったのか?をまるでもう1人の自分が常に、自分自身が求めれば答えてくれる。そんな世界になるでしょう。
且つ、私はこれらがインフラとして定着すると思っています。つまり、電気や、水道のようにこれらはインフラ化されていきます。人々にとって無くてはならないものへと変化していくのです。
そしてそれは、
ARを使った技術の名もなき新しい会社が全てを塗り替えることになる
でしょう。今後より実用的なスマートグラスが企業や学校に導入されていき、10数年後にはこれが家庭にも行き渡るようになります。
テクノロジーが我々に与えたものは選択肢の多様性なわけです。昔はこの会社に入ればずっとこの会社で、若しくは肉屋はどこまでも肉屋だったものが、いとも簡単に違う選択肢を選べるようになったわけです。しかも今までの自身のスキルを活かして。
お金が幸せを生むという概念はある一定量を超えると、それが逆に幸福感を阻害してしまうというパラドックスが存在することが研究により、明らかになりました。
金は人を幸福にする選択肢ではありましたが、それは絶対的価値では無かった
のです。
テクノロジーは解決策と同時にたくさんの問題ももたらします。私が提唱したいのはテクノロジーを計測して客観的な評価を与えるということです。その為には問題に対する考察が必ず必要になります。
今はAIが仕事を奪うということを至極心配されていますが、
テクノロジーは基本的に仕事を必ず増やす
ようになります。ですので、総量としての仕事量が減ることを心配する必要は無いと言えます。
AIをみんなが使うと結果的にはその効果は相殺されるわけですから、
現在先行者利益だと鼻息の荒い人達はインターネット創世記を思い出せば良い
わけです。
どうなるのか?というと、AI✖︎〇〇の社会は想像できても、その副次的な部分は予測困難になります。従って宝くじを買うような投資になります。
現在のTEC大手企業への規制も何の役にも立ちません。規制は大企業を強化するだけだからです。なぜならそれに耐えうるのは大手企業の資金力であって、スタートアップなど耐えられるはずがないからです。つまり、規制によりベンチャーが参入出来ないように、結果的にはなっていくわけです。
現代は変化が変化を求める時代
だと思います。最初の変化で世の中に変化をもたらす仕組みとしてゲームが変わります。その次の変化はゲームのルール自体が変わります。つまり、これにより変化が連鎖していくことになります。
科学とは「何かを知り、物事を理解する方法」と定義します。
これが進化しているということはゲーム自体が変化しているということなのです。YouTubeのようなツールで発見を広める速度が変わり、そのこと自体が物事を知る別の方法に変わっていっているのです。
そして、学び方を学ぶ為のスキルを皆んなが求めるようになります。それは最近のリスキリングという言葉の台頭などでもよく分かると思いますが、そのこと自体がゲームチェンジである、ということにどれぐらいの方々が気付いているかは甚だ疑問ですが、このように変化の連鎖のロジックを理解しておくことは非常に大切なことです。
今までの会社や学校で学んだスキルは無に等しくなります。ただ、それは無駄なことではなく、それが変化であり、その事を気付くことが大切なのです。社会はよりボーダーレスで、多角的な変化を我々の想像を超えるスピードでしていくと言われます。なので簡単なことはそれよりも
早いスピードで変化を受け入れていく体制だけ整えれば良い
のです。その為の方法は上記のロジックを理解しておくということです。
加えて
悲観論に固執しない
ことです。こんなことが起こればと想定して動くことは重要と思われますが、結局それは車でいうブレーキの役割であり、車を動かすアクセルに勝るものではないのです。なぜならば
アクセルがなければブレーキは必要ない
のです。世界を動かしているのは全てアクセルであり、決してブレーキではありません。この世界の言い方で表現するならば
楽観論者が必ず世界を創る
のです。
ま、いいや、は刹那的であり、悲観論です。楽観論とは悲観を受け入れてその上で持たなければいけないのです。この刹那的思考と楽観論の違いも分からないようでは、未来を創造することは困難でしょう。なんでも良いではなく、理解をし続ける必要があるのです。
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