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人生は理不尽に否定されて、あたりまえって話
今朝は、色々考えた。
さまざまな媒体の作品に触れて、
ふと考えて、ふと思って、ふと結論が出た。
『人生は否定されて、あたりまえ』
これは自分の人生もあなたの人生も否定されてあたりまえってこと。
なぜ、こんな結論が出たのか、
単純に価値観が人それぞれ違うから。
人によって大切なことが違う。
守るべきものも、守りたいものも違う。
誰かにとって大切なことは、
誰かにとって大嫌いなものだったりする。
簡単な話だ。
音楽が好きな人もいれば嫌いな人もいる。
スポーツが好きな人もいれば嫌いな人もいる。
勉強が好きな人もいれば嫌いな人もいる。
じゃあ、否定されるのは当然じゃないか。
自分がどれだけ信念を貫いて生きようが、誰かにとってはそれが許せないものなのかも知れない。
そんなの理不尽だって、私も思ってた。
いいや、理不尽なんだよ。
ただの事実だったんだ。
残念ながら価値観が全員違うが故に、否定も肯定もバラバラだ。
じゃあ、理不尽なんてあたりまえ。
自分の大切なものを馬鹿にされても、相手にとって本当に心底嫌いなものだったら、否定されるのなんてあたりまえなんだよ。
そういう世界。
誰が悪いわけでもなく、ただそういう世界に生まれて生きているのが我々。
みんな大切にしたいだけなんだ。
守りたいだけなんだ。
争いなんてなければいいのに、一生争いが終わらない理由はここにある。
むしろ、争うことが生きるということなのだろう。
多様性の時代だけど、真の意味で多様性を受け入れるなんてことは無理だとわかりきっている。
その人の気持ちはその人にしかわからない。
受け入れたくないものを受け入れる努力をしている人たちも大勢いる。
それはつまり我慢。
じゃあ、多様性とは。
我慢している人は世間に受け入れられていないってことになる。
平和なんて言葉は、本当に平和な世界なら存在しなかったはずだ。
誰が希望に満ちた世界で希望の歌を唄う。
闇があるから光があるように、闇があるから希望も平和も願うんだ。
世界は矛盾だらけ。
建前と本音があるから。
理性と本能があるから。
矛盾するようにできている。
矛盾するようにできているということは、やっぱり肯定も否定もされるということに繋がる。
だから、否定されてあたりまえ。
でもね、否定されると人は辛いんだ。
ときには耐えられないほどに苦しいものだ。
自分の大切なものを理解されなかったとき、雑に扱われたとき、そこで心が折れてしまう人もいる。
それもあたりまえのことなんだ。
否定されることすらあたりまえなのに、それでいて辛くさせられるなんて理不尽極まりないよね。
なんちゅうシステムやねん。
地球温暖化よりもこっちの方が深刻だよ。
だから、否定されても悩まなくていいよ。
そうは言っても人は悩む生き物だ。
だけど、悩みすぎるな。
あなたはあなたが大切だと思うものを大切にしたらいい。
あなたが我慢をして大嫌いなものを受け入れる必要もない。
そのかわり、もし否定されても、
あたりまえだと思えるようになろう。
って私は言ってるけど、私も否定されたらものすごく傷つきます。
だからね、あたりまえだと客観的にみれるといいよね。
自分の譲れない信念があるんだったら、その信念はあなただけのものでしょ。
大事にしなよ。
他人に否定されたくらいで、譲るな。
ただし、本当に心配してくれてあなたのことを思ってくれる人がいうことを全部頭ごなしに否定はしないこと。
それは、一理あることかもしれないからね。
今日の話を聞いて、あなたはどうする。
それも自由だよ。
ただ、法律とかは守ってほしい。切実に。
戦争とかもやめてほしい切実に。
心が抉られてしまうから。
しかし、これも誰かは否定してくるだろう。
最後に一つだけ言わせてもらうね。
肯定されるのもあたりまえってことを忘れないで。
同じ価値観を持った人だって70億人も存在してたら、そりゃいるよ。
否定されるのもあたりまえだけど、肯定されるのもあたりまえ。
どっちの意見も大事にしたらいい。
否定から見える、新しい考え方や価値観だってある。
肯定されることによって満たされる気持ちもある。
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