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NO.5『骨折 part1』

母が骨折した日。非日常の出来事が日常に溶け込んでくる。過去の苦い思い出も引きだされたり。長くなったので3週に分けて。ちょっと聞いて~

へっぽこ娘

昨年末、母は夜中に布団の上で滑ってしまい、次の日足の痛みがひどくなり歩けなくなってしまった。高齢者は足の骨折から入院して寝たきりになり、そのまま施設入所となることが多いと聞いていた私は「母にもとうとうこの日が来てしまった」と思った。まずは医者に診せなければと病院を探すと同時に、それよりも歩けない母をどうやって連れて行けばいいのか悩んでしまった。ケアマネさんには「救急車を呼んだ方がいい」と言われたが、母が拒んだのと、そこまで大げさにしたくない気持ちも働き、地域のお年寄りセンターで車椅子をお借りして近くの病院の整形外科に連れて行くことにした。

無料で快く車椅子を貸してもらえるシステムに感謝しながら、これまでずっと元気に歩いていた母が乗る車椅子を初めて押すことになった。「ちょっとここガタガタするよ~」とか「寒くない?大丈夫?」いつもと違ってやけに優しい自分が何となくくすぐったい。病院でCTを撮ってもらい右恥骨骨折が判明した。手術の必要はないとわかり、安心したものの安静にしている必要があるとのこと。年齢も考えると入院も選択肢としてあるのだが、入院するなら地域包括ケア病床のある別の病院を紹介して下さるとのことだった。但し、入院中は刺激がなく環境が変わることで認知症が進む可能性がある。家族の会話など刺激がある方が本人にとってはいいのではというアドバイスももらった。

ちょうど年末で仕事も休みに入るところだったので、とりあえずは家で看ることを決心しプチ介護生活が始まった。幸い痛い方の足に体重をかけずに引きずるようにすれば、何かにつかまりながら歩くことができたので、時間はかかってもトイレには自分で行くことができた。お風呂に入るのは難しかったので毎日熱いタオルで全身を拭いてあげ、着替えもすべて介助し、ご飯は毎回1階の母の部屋まで運んだ。そのことは私にとって全然苦にはならず、むしろ母の役に立てているという気持ちで心が満たされていた。外出が大好きな母が一日中テレビだけでは退屈するだろうと、車椅子に乗せて近所の公園を散歩したり、商店街に買い物に連れて行ったりして数日間はそんな穏やかな日々だった。
ところが少しずつ回復してくると人はお互いに変化するものだ。家事やさまざまな用事に追われ忙しくなってくると、母のゆっくりすぎる動きや、さらには口の達者な母が色々なことを言ってくることに少しイライラし始めている私がいた。何度も繰り返し同じことを言う、何度も同じことを確認してくるのは日を追うごとにひどくなっている。そして、自分で物をしまい込んではしまった場所を忘れ、しまったことさえも忘れ、それが無くなったと訴える。誰かに取られたと言い、相変わらずその犯人は主人で、だからこの家にいるのは嫌だとか、出て行くと言い出す。最終的に私がイライラして言い合いになる。母の車椅子を押したときの、熱いタオルで全身を拭いてあげたときの、あの優しい気持ちはどこへ行ったのだろう?!いつものサイクルが再開しつつあった。

今日はここまで。聞いてくれてありがとう。


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