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NO.3『記憶』

仲のいい人、大切な人…。ずっと忘れない、忘れたくない。
でも、忘れてしまったり、時々思い出したり。認知症の母はどんな景色がみえているのかな。こんな事がありました。ちょっと聞いて~

へっぽこ娘

母には少し年下のお友達がいる。コロナ禍以来会えなくなったが、母を心配しよく電話をくれる人だ。母がしっかりしていた数年前は今とは逆で、母がいつもその人の生活全般の心配をして電話をしたり、時には会いに行ったりして色々な面で心を遣っていた。その恩も感じてくれているようで今は結構な頻度で電話をくれるのだが、携帯電話の操作や充電の状態も理解できなくなりつつある母とはつながらないことも多い。すると仕方なく家電にかけてくれるので、私が出て母の認知症がだいぶ進んでいることは伝えてあった。

コロナが少し落ち着いた先日、そのお友達がわざわざ電車に乗って会いに来てくれた。後でわかったことだが、最寄りの駅で待ち合わせをしたのに、母はそんなことすっかり忘れてしまったらしく、相変わらず電話も通じなかったので直接家に来てくれたらしい。私は在宅で仕事があったのでお茶だけ出して失礼したが、今日は時間があったのか、いつになくゆっくりと母とおしゃべりをしてくれて、時折大きな笑い声が母の部屋から聞こえてきた。久しぶりに聞く母の大きな笑い声に何だか私まで嬉しくなった。

夕方までたっぷりとおしゃべりして「また来るね」と言ってその人は帰って行った。玄関で手を振り見送った母に「今日は久しぶりに〇〇さんが来てくれて良かったね」と、さぞかし楽しかっただろうと想像しながら言うと、さっきとは打って変わって怪訝な顔をしている。どうしたのか聞こうとしたその瞬間「あの人はいったい誰なの?」と母の方から聞いてきた。「え?誰だかわからなかった?」と聞くと少し悲しそうに黙って頷いたので、その人との関係を母から聞いて知っている限り丁寧に説明すると「さっぱり分からないわ」とのこと。えーっ?!誰だか分からずにあんなにおしゃべりしていたの?!

あらまぁ…と初めは少し呆れてしまうような気持ちで笑ってしまったが、相手が誰だか分からずに話をしていた母は、混乱しながらずっとこの人は誰なんだろうと考えていたのかなぁ…どんな気持ちで笑っていたのだろうと思うとなんだか可哀想になってきた。人間はこんな風に壊れていくものなのかと母を憐れむような切ない思いが湧いてきて私も少し暗い気持ちになってしまった。

でもその数分後、今度は家の前で顔を合わせた近所の人に「私は最近何が何だかさっぱり分からなくなっちゃったのよー」とケロッと明るく笑いながら話す母の大きな声が部屋まで聞こえてきた。母のこの性格には救われるなぁと私の気持ちも復活する。一つ小さなため息をついて仕事に戻った。

聞いてくれてありがとう。


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