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対話道の探究(12、いきかた)

「いきかた」は
「生き方」であり「逝き方」だと思っている。

・・・まあ、
私は日本語をつかって生きている日本人だから
同音異義語のあそび、的なものを
個人的に好むっていうだけなんだけど。

この世に生まれた限り、終わるときはくる。

生まれる瞬間、逝く瞬間の自分は
コントロールできないと
私は思っている。

近い将来、あるいは未来では
そんなこともしちゃう何かが発明されるのかわからんけど
少なくとも、自分が生きている今は、という意味。

で、生き方はある程度自分でつくっていけるのではと思うのだ。

ある程度っていうのも、あいまいだけど。

どうしても、どうしようもないことはある。
世界は自分だけではない、誰かとの作用で成り立っているのだから。

若いときになりたかったものや、
挑戦したかったことのなかに

その当時の状況や条件が伴わないからと
あきらめたこともたくさんあるし

それができている人に会うと
うらやましいと思うことも、
自分を恨めしく思うこともある。

今でもそういう感情をいだくことはあるが

幸せの青い鳥的なものを探していたときに
私は身をもって、生きることを考える機会をもらった。

そのときから、
生きざまを教えてくれる人と出会う機会が
増えたように感じる(自分がアンテナ立てるから、
そうなるのは自然なのかもしれない)。

今、自分の命といきかたに、真っ向から挑んでいる人がいる。

なかには、大きな志がありながら、
そこに到達しないまま、現世での自分の命を終えた人もいる。

どちらも共通して、生ききる意思が感じられて
力に満ちている。

自分のことも、誰かのことも、
自分の人生も責めることなく。

変な話、
逝くことについては経験がないからわからないけど

今ここにある限り、
今の自分を生きるという使命も負っているわけで

よかったりわるかったり
幸せだったり、ちょっと辛かったり
おもしろかったり、つまらなかったり
悩んだり、悩む暇もなかったり

自分に起こること、起こり得ること
ときにはバカなことしてても
逝くまでに、自分という存在をがっつり生きておきたい。

挑戦したいことには挑戦して
大切にしたいことは大切にする

楽しいことは楽しいと表現していいし

辛いことは辛いと口にする

ぐるぐるするときもあるけれど

結果として、
これでよかったと思える人生にしていきたい。

やりたいことにためらっているのは、何が妨げになっているの?
好きなものを選んで、何がいけないの?
それをすると、誰が困るの?

・・・なんて問いも、ちょっと役に立つかな、と(^^)



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