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9.きょうは、おかあさんにおこられたはなしをします。

広告代理店の面接を受ける前に、まずは制作室の責任者と会う、ということで新宿のオフィスに向かいました。責任者は、おしゃれで、恐い顔をしたいかにもクリエイターっぽいおじさん(オカノさん)でした。その人と話しながら私はある違和感に気がつきました。「これはコピーライターの募集じゃない」ということでした。CDの募集でした。CDとはクリエイティブ・ディレクターのことで、クリエイティブの指揮をとり、また責任を負う人のことです。とまとめてみましたが、何をする人なのかいまもよく分かっていません。「この人はCDだ!」って思える人と仕事をしたことがないのも理由かもしれません。私はその場で、募集職種を誤解していたことを謝り辞退しますと言いました。恋をするために残業のない会社に引っ越すようなすちゃらかコピーライターが一体誰の指揮をとれるというのでしょう。しかし、そのおじさんは私の何を気に入ったのか、コピーライティングだけではこれから食べられなくなるからディレクションを覚えた方がいいと私を説得し、ポートフォリオ(作品集)を添削してくれ、面接で聞かれる質問を横流しし予行練習までして(喋るのが…遅いぃぃ!と怒られました)私をその会社にねじこんだのでした。最終面接を終え「あとは健康診断で問題がなければ内定」という段階まで進みました。
このマガジンの3.で、無断退社は怒られなかったが、別のことで母親からクッソ怒られた、と書きました。26歳頃のことです。私は20歳の頃、左肩甲骨あたりに小さな入れ墨を入れました。それを私の家に泊まりに来た妹が知り、母にチクりました。母からの着信に出たら、もうものすごい怒っていました。仕事中だったので「ちょ、いま入稿だから」と切りましたが、またかかってきて超〜怒っていました。本当に悲しかったのだと思います。そのときは「お金がいくらかかってもいいから消しなさい」と言われても「へへへ」などと言っていた私だったのですが、いざ内定を前にしたときふと「入れ墨ばれたら、取り消しだろうか」と思ったのです。もう、そんなものが私の背中にあることなど普段は忘れてるくらいで「よし、悩むくらいなら、消しちゃうか」とさくっと決意しました。ネットで、タトゥー除去で有名な横浜にある整形外科を見つけました。電話をすると、受付の女性にかなりの時間待たされましたが、週末に予約を取ることができました。しかし病院に行く日の朝、謎の腹痛に襲われました。今までにないシクシクとした痛みで、これは別の病院行かなきゃ、と思うほどでした。私はタトゥー除去の病院に電話でキャンセルを入れました。不思議なことですが、電話を切った途端に腹痛は止みました。「なんだよ」と思いながら、久々に午前中ひまな時間ができた私がテレビつけると、肌色のモザイクのアップが目に飛び込んできました。何かのニュースのようでした。続いて国会の映像が流れ、当時の厚生大臣であった柳沢氏が話をしていました。見ているとどうやら、入れ墨の除去をした悪質な病院が告発をされたということでした。なんとタイムリーな!その病院は施術をわざと失敗し、ケロイド状になった肌を修復するという名目でさらに高額を支払わせるという手口で儲けていたようでした。テレビに映った病院webサイトを見て私は固まりました。
私が予約をした病院でした。受付でかなり待たされたのは、マスコミの体験取材と思われたのかもしれません。何に助けられたのかわかりませんが(たまにこういうことってありますよね)私の背中は人工的に作られるケロイドを免れました。そして無事、社員200人弱の広告代理店制作室でディレクターとしてのスタートを切ったのです。
その頃「彼女と別れてもお前とは付き合う気はない、ウェイトレスさんこの人下げちゃってください男子」とはその後電話で何かの言い合いになり再び別れたのですが、有休消化中のこの時期、旅行先、京都タワーの下で偶然会いました。運命かな…!と思ったまま、また音信不通となりました。


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