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こだわれない

先日のばななさんとミユさんのワークショップにて「変えない。オリジナルの自分を変えないぞー」と決意した2日後、会社の面談で「直接的な業務の話ではないのだけど」と前置きされて「シミズさん、すべてにおいてこだわりがなさすぎるよね」というような意味のことを言われた。上司は、コピーを書く前には石鹸で手を洗う、決まったペンでしかコピーを書かない、決まった色の服しか着ない、決まったお店でしかランチを食べないなど、とてもこだわりのある人だ。コピーも上手。私がその辺にあるペンをひっつかんでがりがり書いていることや、自分の書いたものにこだわらず赤字が入ったらすぐ直してしまうことに疑問を持っていたらしい。(さすがにマーカーで書いていたのは我ながらナシかと思うけど。ペン先つぶれたし。あとで読めないし。)コピーの技術が格段に上がることは、もうこの年齢でなさそうだが、そういう儀式的なこだわりを持ってみるのも良いのではないか、と、先輩としてのサジェスチョンをしてくれたのだった。こだわる、というのは確かに私には薄い感覚だ。「コレだけは!」と思うことができないところがある。でも、そういう感覚、取り入れたら面白そうでもあるなと思った。

ハタチのとき、すごく好きになった人が台湾旅行にいくことをかぎつけ(バイト先の共有電話からホテルの予約をしていたのだ。隙だらけやでしかし)自分もチケットを取って追いかけていったことがあった。その旅の時間はそれまでの私の人生の中で最も輝いていて、私はこの道を、店を、宿を一生忘れないだろうと思ったし、色々な国に行っても台湾だけは自分の人生を変えた特別な国であるだろうと思ったし、もしこの恋が終わったらもうここには辛すぎて来られないだろうと思ったものだった。しかし、そんな釈迦力な恋はもちろん数年後に終わり、2018年9月、明日から夏休みの私は4回目(か、5回目)の台湾訪問である。台北を幾度歩いても、激しく恋の炎を燃やした場所を思い出せたことはいちどもないのである。

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