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【西国三十三所巡礼】第一番札所 青岸渡寺

 白州正子の『西国巡礼』(講談社文芸文庫)、瀬戸内寂聴の『寂聴巡礼』(集英社文庫)を読んで、自分もまた、西国三十三所巡礼をしようと決めた。十年前の話だ。そのとき京都で学生生活をしており、頑張ればできるだろう、とほぼノリで始めた。だが、京都市内を巡ってそのまま中断となった。『京都東山「お悩み相談」人力車』(PHP文芸文庫)を出版し、京都に頻繁に訪れるようになった。続編も是非書きたいし、京都を舞台に新しい小説を書くためである。せっかくなので寺社仏閣をまわったら御朱印を貰おう、と朱印帳を携えての取材となり、あれよと『洛陽三十三所巡礼』をまわってしまった。御朱印集めジャンキーと化した僕は、再び西国三十三所を巡ることにした。

 さて、西国三十三所巡礼とはなにか。なんとなく聞いたことがある人もいるだろう。四国八十八か所とどう違うのか、とか巡礼の衣装を着たりするのか? などなど、いろいろ「?」なところもあると思う。

養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人は、病にかかって仮死状態になった際、冥土で閻魔大王と出会います。閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれましたが、当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました。それから約270年後、途絶えていた観音巡礼が、花山法皇によって再興されます。花山法皇は、先帝円融天皇より帝位を譲られ、第65代花山天皇となられますが、わずか2年で皇位を退き、19歳の若さで法皇となられました。比叡山で修行をした後、書寫山の性空上人、河内石川寺の仏眼上人、中山寺の弁光上人を伴い那智山で修行。観音霊場を巡拝され、西国三十三所観音巡礼を再興されました。

出典 『西国三十三所巡礼の旅』ホームページより

 閻魔大王! 閻魔さまが人々を救ってくれようとするのか! まず驚きである。閻魔様って地獄の門番みたいなイメージだったけど。

 さまざまな三十三所、八十八箇所の巡礼がある。この「西国」と「坂東」「秩父」の巡礼を併せると「百観音巡礼」となるそうだ。

 このシリーズでは、仏教の知識もあまりない、欲だらけの小説家が、現地を訪れて、素人っぽい感想を漏らしたり、突然なにか考え込んだりしたことの記録である。仏像の知識もあまりない、秘仏を深掘りしたりためになる知識を披露する、ということもないだろう。そういうのはいろいろ出てるので、興味を持っていただけたらそちらを。白州正子さんの本、おすすめです!

 あまり役には立たないかもしれないけれど、この記事を読んで、まるで行ったような気になってもらえたら、「よし、自分もやってみるか」などと思っていただけたなら嬉しいです。それでは、本編です↓

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 那智山 青岸渡寺
 本尊 如意輪観世音菩薩
 住所 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地

 紀伊勝浦に着いたのは昼前であった。駅を降りたらすぐに食事をしようと思っていた。今回はJR東海ツアーズの日替わり南紀というやつを利用。夕方五時にはまた戻って長時間電車で帰ることになる。電車にいる時間の方が滞在時間より長いやつである。

 ひとまず青岸渡寺まではバスでいけるようなので安心。熊野古道もあるけれど、もう一気に無視して目的地まで行くか、ひとまず観光はそこそこでよかろう、と思っていたのだが。
 ちょうど駅にバスが停まった。次のやつでいいかな、と思いつつ、降りてきた運転手さんに値段などを訊ねたら、大門坂から歩くの? といわれる。
 いや〜考え中です。時間も限られているんで、などといい加減に濁すと、

 お兄さん若いんだし(見た目はね……)大丈夫だよ! などと煽てられてしまった。
「ちょっとしたら出発するから!」
 そう言われたならやるしかねえ、と飯を食うことなく、即行動決定。
 大門坂熊野古道もせっかくなので歩くことにする。なにも食わずのまま行けんのか、坂道。

 そもそもがこの日帰りプラン、ホテルの弁当サービスと入浴もセットになっていた。あと港の市場の割引とか。言うなれば、マグロを食って風呂入って〜というやつ。今回入浴は厳しいと諦めていたが……。縁さえあればまた来ることもあるだろう。
(西国巡礼をしていると、毎度毎度思うのだ。また来ることはあるのか、と。そもそも、旅でなくとも二度と行かない場所なんてざらである。やっぱり旅行というのは、普段鈍感にしてしまっている部分が研ぎ澄まされるのだろうか。まあ単純に遠いから、なんだけど)
 今回のパックを利用して東京から日帰りで西国巡礼札所に行こうなんてやつもあまりいめえ(いたとしてもとにかくハイスピードで行動するんだろうけど、僕にはできそうもない)。
 バスに乗って外を眺めているとやたらと黒飴の広告が目につく。大門坂のバス停で下車した。

 凸凹の石段を登っていく。けっこうきついぞ……。おっちゃんよ、大丈夫じゃねえし!
 まあ何事も経験であろう、と急がず自分のペースで進んでいく
 ぱっとひらけた場所に到着し大門坂はおわった。
 那智山観光センターにまず到着。バス停で言うところの那智山駅。駐車場には割と車が止まっているし、ツーリング中らしいバイカーたちも。
 昼食はマグロカレーにした。登山のカレーは美味しい(って20分ほどだったのに、そしてまだこれからなのに)。西原理恵子さんの『できるかな』で高尾山登山中にカレーを食ってたゲッツ板谷さんを思い出した。
 お土産屋さんで購入した名物の黒飴を舐めながら石段を登っていく。

 まずは熊野那智大社を参拝。すぐ隣には青岸渡寺である。年明けてすぐ、日曜日ということもあり、混雑。
 僕の大好きな胎内巡りをしようかなと思ったが、今回は控えた。おみくじをひくと小吉。真剣に願いに取り組め。さすが熊野、厳しいぜ。いや多分自分自身の問題であろう。やはり人間は大いなるものに見られているのだ。

 青岸渡寺。
 天正十八年(1590)建立。熊野地方で一番古い建造物であり世界文化遺産、ということである。お遍路さん姿の集団もおり、賑やかだ。参拝をしてさっそく朱印をいただく。前に並んでいる人はあとひとつで結願だそうである。みんなやってんな。
 実は既に他の札所から西国三十三所巡礼を始めているのだが、やっぱり最初のページにもらうと「やってるよな〜」という気にさせられる。
 数年前、始まってから千三百年記念だったそうだが、なんやかやみんなやっているのだ。
 日本遺産にも三十三所巡礼は登録されており、「1300年つづく日本の終活の旅」というキャッチコピーである。現世での願いを叶えてほしい気持ちもあるだろうが、なんとなく寺や仏像(じかにみることはなかなかできないにしろ)の前に立つことで、自分自身と対峙するのだろう。もっとこう、お願い以上のものを想うことになるんだろう。

 三重塔あたりでは「三重塔と遠くに那智の滝」という写真を撮るべく人々がああでもないこうでもないと言い合っていた。
 山を下っていくと向こうから父子が登ってきた。子供があぶなっかしく登っていくのを後ろであれこれ言いながら見守る父親を見ていたら、なんだかたまらない気持ちになった。
 歳のせいだろうか。自分は多分子供を持たないと思うので、なおさら。子育てをすることで、きっと皆、もう一度生まれてから成長していく過程を再認識するんだろう。僕は多分、そういうことはないのだ。自分だけ。それはさっぱりしているけれど、少し寂しい。まあ、人は人、われは我、である。

 那智の滝は多分二度目である。二十代の時に和歌山にある友達のお家にお邪魔したときに連れて行ってもらった。
 随分前のことなので記憶が朧げ。とくに人といっしょにいると舞い上がってしまったり同行者のことばかり気になってしまうので。
 そしていま、ひとりでここにきている。
 133メートルの滝を近くまで見たかったので、三百円払って近くまで。しばらくずっと見ていた。
 西国三十三所をはじめた花山天皇も、弘法大師匠、一遍上人に安倍晴明(!)まで滝行をしたそうである。
 滝自体がエネルギッシュであり力を放っているのだ。滝をしばらくずっと眺めていた。きゃあきゃあ騒ぐ子供、ゲラゲラ笑っている若者たちの声がときどきふっとなくなるときがある。滝の音だけがする。そういうとき、強制的に、人はなにかと対峙するんだろう。自然とかか? 自分も自然の一部にきちんとなれているだろうか、とか帰り道に思ったり。

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