2016年7月のこと

(2016年7月に書いたものの再掲です)

 退院した彼女から、写真展のことで来てほしいと連絡があったのは6月末のことだった。すでに彼女はアイラ島への旅の様子を収めた写真展を、旅の主催者であるT氏が今年新たに開いた店の2階にあるギャラリースペースで行うことを決めていた。ただ、肝心の写真の準備が彼女の入院でなかなか進んでいなかった。共に連絡を受けたデザイナーのNさん、プレスのYさんとライターのわたしが彼女を訪ねると、彼女はベッドの上から「盛大にやって」と言ってわたしたちで準備を進めていいことになり、それなら渡航の一年後で季節も合っているし、ギャラリーの杮落としにもなるから7月末にやろうよと いうことになった。どういう偶然か、ギャラリーの日程は週末から次の週末までぽっかりと空いていた。
 
 日取りが決まってから2週間のうちに、写真を選び案内ハガキを作ってプレスリリースを出し、作品を選定してプリントし額装に出した。それぞれに仕事があったのに、奇跡的な早さだった。最初は写真選びも色調整も自分でやると彼女は主張していたが、3000枚以上の写真はまったくの手付かずの状態だったので、大事なところはチェックしてもらうからとなんとか納得してもらった。選定し終えた写真を見て、これかっこいいね、きれいだねなどと人ごとのように言ったのがおかしかった。
 作業のために彼女宅へ通いながら、わたしたちは病床の彼女を見守っていた。夢と現を行き来していた彼女は、少しずつその境が曖昧になっていった。けれども、構図を考える時の首を傾げるポーズや必要カット数を数える仕草をしているのをよく見た。カメラを持つ時の手つきで吸い口を持ち、考えごとをしていることもあった。眠っているのかと思っていたら突然、「私、こんなことしている場合じゃない!」と言い出したこともあった。
 
 最初の手術の後、これからは空を撮っていこうかな、と言っていた。今回の治療が始まった頃には、これからは個展をいろいろやりたいんだとも言っていた。
 
その念願だった個展が、始まる。
その念願だった個展を待たずに、彼女は逝った。2016年の7月は、彼女の個展の撤収とともに終わった。たくさんの方が、彼女の作品に逢いに、訪れてくださった。
 
会期中、作品タイトルをしたためた札がたびたび落ちた。壁に接着する粘着剤が弱くて落ちるのだが、彼女の話をしているときに限って音を立てて落下するので、誰ともなく「みっちゃんが返事している」と言うようになった。気づくと皆、札が落ちるのを待つようになっていた。ベッドの上の自分をもどかしがっていた彼女は、晴れて自由な身となってギャラリーへ通ってきてくれていたのだろう。

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