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「グリーンパーク商店会」戦後の豊かさの正体???例示として。

ー武蔵製作所の変遷たどる資料展「戦争と武蔵野IX」ー

https://www.tokyo-np.co.jp/article/269841

戦中・戦後の地域の歴史を前提として・・・・


武蔵野市には「グリーンパーク」と名付けられる土地や商店会、その他の場所がある。
そこには、戦前に「ゼロ戦」で有名な「中島飛行機」と併設された「三菱重工(現在名)」による「軍需工場」があったのがこの地域では、一般的に知られている。

したがって、多摩地区では本土空襲の標的にもいち早くなったと云われているし、戦後は「アメリカ人居住地」としての歴史が終戦後も続いていたことも、知られている。妻の祖父は「中島飛行機」の技師だったので、九州の大刀洗飛行場にもかかわっていたし、この辺りの仕事に戦前戦中に従事してたのは、事前に聞いていた。

そして、その後石橋財団たるブリヂストンに所属し、引退したのも聞いた話だ。

つまり、武蔵野市の北西部辺りはそういう土地なのだ。(三鷹駅から北西方面の西東京市との境界あたりまで)
なぜ、多摩地域にリベラルな人たちが多く住んでいたり、住みたいと思うのか?
それを想像したり、自らの事として考える要素が多く存在している土地でもあるのだ。まぁ行ってしまえば、日本全国がそうであるともいえるが、その土地ごとに、多くその痕跡があるのは明白な事だし、それを正面から受け止めてみる機会にもなるのでは?と、色々なイベントに「グリーンパーク」と云う名が冠されている事を見て、足が止まるのだ。

今日は、その「グリーンパーク商店会」の、飲食店街イベントがあった。
3m程度の道幅に、立ち並ぶ昭和から続いているようなお店から、新しい世代のお店まで約300m程度の道の両脇に、魅力的な、食べ物や飲み物、ワークショップなど、活気ある商店会のイベントを体感してきた。

特に面白いと感じたのは、その約「3m」幅の商店会の、横には道路整備されたある程度広い(いわゆるバス通り的な)道路と、現代的なスーパーマーケットが鎮座している。しかし、そのような存在をまるで「意に介さない」かのように「3m」ほどの幅の商店会は大変に盛況だし、個々のお店を訪ねる事に楽しみを感じるのだ。

帰結するところは、ニンゲン臭さの勝利であって、「タイパ/コスパ」結構な事だが、それに比重を置きすぎている世相が、本当の「豊かさ」についての思考停止をもたらしているように感じた。たった「3m」幅の商店会で300m程度しかないのに、その存在感には「豊かさ」を感じるんだ。

【2024/02/12】
グリーンパーク商店会イベントより写真群
https://note.com/kita_kenichi/n/nd6a1467802f1?sub_rt=share_pw

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