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「CP+2024」に「新しい開拓分野があるか」


https://www.cpplus.jp/

毎年、この季節になると「あー、今年も色々あるけれどやるんですね」というイベントの代表格。

「CP+」

ほんの一部のイベントを除いて、特徴的なのは「日本の写真作品」は「機材メーカー」のかばん持ちであるという事。
大手光学機器メーカーは、それぞれ「ギャラリー」を持っているケースもあるが、そこには今までの日本の写真界隈の事情が変わらず残っている。それぞれの展覧会の選考基準も、あまり変わっていないかもしくは、容易に理解し易い展示が優先されているように感じるようになった。したがって、このコロナ禍以降、ほぼメーカーギャラリーに足を運ばなくなった。(もちろん、観たい作品の情報が入ったら観に行くこともある)

立ち戻って、CP+のプログラムを見れば明らかだが、「機材メーカー」の為に開催されるイベントで、そこに行くいかないは別としても、精一杯よく見積もっても、いわゆる「機材見本市」の域を出ない。
僅かに、写真そのものの展開や作品がメインとなるイベントもラインナップされているが、それすらも「古き良き日本写真」の伝道師のような立ち位置から逃れられていない。自らの視覚的価値を確立した大御所すら、その価値を如何に拡張したり、作品の切り口を変えて見せるような気配がない。

つまり、日本の写真は「日本経済」同様、強烈なプロダクトアウト思考から脱却できないし、世界の趨勢に対してアプローチしようともしない。
実際のところ、世界は少なくとも日本より広い。当然写真の世界も広い。マーケットが確立している文化圏もある。が、日本には、写真のマーケットはほぼ存在しない。そこに対してのアプローチは皆無だ。

つまるところ、本来プラスに働く要素であると思われる世界の「カメラメーカー」の牙城でもある日本という地域性が、思考パターンの鎖国状態にあるので、今までよりさらに「機材メーカー」の配下に「写真家」は従属している実際がこのイベントのプログラムを一覧しただけで確認できてしまう。

これを打破するには、海外に作品を如何に持ち出すか?
また、作品とともに自らを海外に連れ出すか?

この辺りが、グローバリズムの中で問われているようにも感じる。

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