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「学習」についての「コモンセンス」(一般教養的実践の有効性について)

【養老孟司氏の身体性(学習)についてのコモンセンス】

またまた、養老孟司氏の動画にたどり着いた。「学習」についての「一般教養」が云われている。
つまり、体験とその結論を循環させているので「学習」(本来の意味)が成立している。
身体性が伴わない「学習」は有効性に欠けるという事を述べているように感じる。


「わが身に置き換えるとこういう事だろう」

写真撮影で言えば、こういう事だろう。
被写体に近づいていくほど、同じ被写体(モノ)が大きく見える、と共に、被写体に近づくほど「見える視野角度」が変わるので、小さい建築物が遠くにあると「背後にある少しばかりの高層建築が視覚に入る」が「近づくと小さい建築物が視野角を狭めるので同じ高層建築は視界から背景に隠れる」

「身体性(五感)のインプット」→「思考解析」→「反復性」という「循環」で人間の「学習」はできている。

「身体的体験の循環についての誤解例」

循環しないケースは大抵は勘違いでもある。
「知行合一」というと「三島由紀夫」だ。考えた事は即座に実行しなかればならない。つまり、そのリプライを回収して思考循環が起きないのだ。それは「学習」とは言えない。そして、それは本来の王陽明の云っている事と前提から異なっているのだ。

【養老孟司氏が云っている事はこちらから】
https://youtu.be/8fzJghBlTRI?si=oVMPngnGfrOeqbjh

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