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幡野広志さんがピエール瀧さんの演技を好きだとツイートしていた。

幡野広志さんが「サンクチュアリを観た。まだ一話だけどおもしろい。」というツイートをしていた。すでに全話を鑑賞済みだったぼくは「そうでがしょう、そうでがしょう」とうれしくなった。

好きな人が好きな作品を褒めているのを知る。それだけで二重に得したみたいな喜びがあるけど、そのツイートの続きを読んで、アゴに軽いパンチをくらったような感覚を味わった。そこには「ピエール瀧さんが出演されてるのがうれしい。」と書かれていたのだ。

ぼくは電気グルーヴのファンだ。つい先日、ライブも観に行った。

なぜ「アゴに軽いパンチをくらったような感覚」を味わったかというと、幡野さんのツイートに「ピエール瀧さん」という単語が出てくるとは思っていなかったからだ。不意打ちだ。

ぼくの好きな人がぼくの好きな作品を褒めていて、その理由が、ぼくの好きな人が出演しているから……だと? よくある話かもしれないが、今回は予想外だった。だからなんか一瞬、脳がちょっとだけクラクラした。

リプライ欄っていうんですかね、そのツイートの下である方が「瀧さん、いいですよね!」というツイートを送っていた。それを受けて幡野さんは「瀧さんの演技が好きなので良かったです。Netflixさまさまです。」と返事していた。

そうか、幡野さんは瀧さんの演技が好きなんだ!

幡野さんは別のツイートで「日本のドラマや映画は演技で感情を表現しようとして過剰になりがち。(中略)さめてしまう。」とも記している。

サンクチュアリ関連のツイートと上のツイートは一連のものではないが、重ね合わせると、幡野さんが瀧さんの演技を好きな理由は「感情を過剰に表現していないところ」という推測が成り立つ。

勝手な推測を続けると、それはつまり「誠実な表現が好き」ということではないか。つまりといっておきながら、なんだかふわふわしている。でもよく分からないけど、「誠実」という言葉がしっくりくる。ぼく自身が、幡野さんの写真からも、瀧さんの演技からも、電気グルーヴの音楽からも、根底に「誠実」の存在を感じるからだ。

ぼくもいろいろなものをつくるにあたって、常に「誠実」を大切にしていきたい。

「誠実は、姿勢である。弱くても、貧しくても、不勉強でも、誠実であることはできる」

上の言葉は『すいません、ほぼ日の経営』(著者:川島蓉子・糸井重里)からの引用です。ここだけ切り取ると何だか「いましめの言葉」っぽい響きを感じるかもしれないけど、勇気が出る言葉だと思っています。時々目にできるよう、ここに残しておこう。