獣性

霧雨53号
テーマ:イニシエーション/通過儀礼
作者:墓花ガラン
分類:テーマ作品

 ある冬の夜、男はノックの音で戸を開けた。
「すみません。一晩、泊めていただけませんか」
 見ると、その声の主は、痩せた一人の少年である。隣に四つ足の獣を連れ、粗末な布を身にまとい、ガタガタと震えている。
 外は吹雪が強く、おそらく一晩もすれば凍え死んでしまうだろう。
 男は少年の頬に貼り付いた雪を払い落とし、
「そうか。ここに来るまで寒かったろう」
 と、少年と獣を小屋へと招き入れた。
「そこに暖炉がある。当たっておけ」
 男はそう言うと、少し足早に調理場へ向かった。
 少年はふらふらと火に近寄ると、小さな体を一層縮こませた。
 その後を追って、獣は少年の隣へ伏せた。
 初めは青白かった少年の顔色も、体が暖まるにつれマシになってきたようだ。次第に緊張も解けたのか、先ほどよりもくつろいだ様子で獣の頭を撫でている。
「お前は何故外にいたんだ。こんな吹雪の中なのに」
 男は食事の支度をしながら問いかけた。
「逃げてきたんです」
「何から」
「村、から……」
 少年は振り返って男の方を見た。しかし男は少年を気にすることなく、何かを鍋に放り込んでいる。
「しきたりが嫌で」
 少年はどこか気まずそうに、目をそらして呟いた。
「もう大人だからって」
「成人儀式か何かか」
 男は少年の方を振り返った。少年の予想に反して、少し心配そうな表情だった。
「そう聞きました。僕らは生まれてから、この子達と一緒に過ごすんです。でも……」
 少年は眼を潤ませながら、こう続ける。
「大人になるには、この子を殺さなきゃいけない。殺して、食べなきゃいけない」
 少年は獣をぎゅっと抱き締め、その毛に顔をうずめた。
 そうか、とだけ男は返すと、出来上がったスープを皿へと盛り付ける。部屋の中には、すっかり美味しそうな匂いが漂っていた。
「すみません、あの」
 少年がふと声をあげ、男は動きを止める。
「すみません。僕の分は、要りません」
「どうして」
 男は少年をじっと観察した。火を見つめる彼の顔色は、多少良くなったとはいえ、未だ病的に青白い。何より彼の体の震えは、寒さだけによるものではないようである。
「いいんです、僕は……」
 言い終えないうちに、少年は胸ぐらを掴まれる。
 そしてその目の前に、匙が突き出された。
「食え! 食わねば死ぬぞ!」
 少年は赤い目で首を振る。銀色の匙の先からは、黄金色の滴がこぼれ落ちた。
「嫌です、僕はもう何も殺したくない……」
「我々は命を喰らわねば生きてはゆけぬ生き物だ。目を逸らすな!」
「嫌。嫌です……」
 その後、しばらく二人の間に沈黙が続いたが、やがて男はようやく諦め、少年から手を離した。
「もういい。今日は眠っておけ」
 うなだれる少年を背に、男は歩いていく。ふと視線を感じて振り向くと、獣の金色の瞳と目があった。
 男はこの獣の瞳に、どこか親しい感情を覚えたが、それが何故かはわからなかった。
 男がベッドへ向かった後も、獣はしばし男を見つめていたが、やがて少年の方へと向き直った。
 獣の横顔を、赤い炎が照らしていた。
 翌日、男は悲鳴で目を覚ました。
 飛び起きて見ると、あの獣が、少年の喉笛を食いちぎっていた。皮を食い破り、血をすすり、細い骨にこびりついたような肉を貪っていた。もう、少年がどんな表情をしていたかさえ、わからない。
 餓えていたのは、何も少年だけではないのだ。
 男は呆然としてこれを眺めていたが、ふと納得した様子で
「愚かだな。お前の痩けた身体でさえ、喰らうものがいるというのに」
 こう言って、猟銃を手に取った。
 その朝、一発の銃声が鳴り響いた。

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