新卒2年目の僕が仕事を辞める話 #3
みなさんこんばんは。
昨日、ようやく人事と面談をし、
具体的なスケジュールなどが決定しました。
退職の意を伝えてから今日で丸1週間が経ちましたが、
辞めると決まってから体調の復活のスピードが著しく、
まだ完全復活とまではいきませんが、とても良好です。
さて、今回は、やめると決意した僕の仕事について書きたいと思います。
なぜその会社を選んだのか
高校の時の卒論的なやつで、将来の夢は
「自分の好きなことを仕事にする。スポーツに携わる仕事」
と、書きました。
この時の目標としては、ゴルフか野球に携わりたいという思いから、書いたものだと記憶してます。
(たしか具体的にはプロ野球チームの運営に関わりたいとか)
そして、大学へ進学し、周りが合同説明会などに行き始めた頃
僕は何もしてませんでした。
やりたいことを探している時に、スポーツに携わる仕事に就こうと思い、あるスポーツを総合的に取り扱う企業を志望しました。(スポーツの種目を書くとすぐに特定されそうなので伏せさせていただきます)
3回生の夏に参加したインターンからの選考で、とんとん拍子で早期の内定をゲット。
さらにこの会社の新卒募集要項としては、総合職採用だったので、文系大学生のほとんどが進む、営業職ではない(営業をしたくなかった)という点にも惹かれ、そのまま入社を決意しました。
2020年入社でそれを機に、3月に上京しました。
元々、関西から出たくない気持ちが強かったのですが、はじめの研修(6ヶ月)は、東京本社で。その後、10月の本配属で大阪支社へ転勤という予定だったので、「半年だけなら」と、思い上京しましたが、コロナの影響により、スケジュールが大幅変更。
本配属は予定より4ヶ月早い6月で、配属も首都圏になりました。
また、部署は営業部でした。。。
ちなみにですが、コロナの影響により入社式はありませんでした。
たかが入社式、されど入社式ですが、一生に一度の、社会人としての第一歩目が無かったのは、いま思えば少し寂しい気がします。
それから半年間、関東で過ごし、
それなりに、住めば都の言葉の意味を知ることができました。
今年の頭に組織改編があり、
大阪へ帰りたいです。とずーーっと言い続けた甲斐もあってか
今年に大阪へ帰ることができました。
入社してから、実際に出社した回数は数える程度です。
なので、正直大阪だとか東京だとかって言うのは関係ないような、ではありますが、まぁそんな感じです。
ここまでがザックリとした流れになります。
次に
どんな仕事をしていたのか
法人相手のルート営業で、主に電話での営業です。
電話のみでの営業は、会社としても初めての試みでした。
コロナを機に、クライアントのセグメント分けを見直し、電話営業のみと、実際に訪問営業するクライアントに分けられ、前者のセグメントの担当でした。
当初は緊急事態宣言も出ており、コロナを建前とし、クライアントも納得してくださっていたが、解除されようが、着任から半年経とうがいつまで経っても、担当営業マンが顔を見せにこない。
「いつ来んの?」という先方から問いを、どれだけ上手く濁すことができるか、、、
昨年の営業マンまでは頻繁に訪問に来ていたのに、今年になってから一切来なくなったとなれば、僕への信頼なんて、、、です。
この業界は特に、古い人が多く、未だにメールは使えないのでFAXでのみのやりとりのところもあります。
そして、人情を大切にされてます。
僕だって行けるもんなら行きたかったです。
ですが、行けません。
昨年までは、先方が呑んでくれたようなミスが発生してしまった場合(それよりも小さなミス)でも、全てとやかく言われてしまいます。
だって、顔も知らないんだから。
そう言われたら返す言葉もありませんでした。
もちろん、電話だけで関係性の構築を実現できたところもあり、とても良くしていただいた方もいらっしゃいます。
ですが、それは全体で考えたら少数です。
ここまで読んでくださった方は、
愚痴っぽいことだけ書いてるが、全クライアントに対して、
その関係性を作り出すことができなかった、自分の責任では?
と、思う方もいらっしゃることかと思います。
僕も思いますし、いろいろと原因も考えました。
それを書き出すことも考えましたが、そうすることによって、また自己嫌悪に陥り、負のループになるのが怖いので今回は割愛させてください。すみません。
僕の仕事についてはこんな感じです。
では、なぜ辞めようと思ったのか。いよいよ本題の部分ですが、
ここまで少し長くなってしまったのでまた次回に書かせていただきます。
また、次回もよろしければ読んでやってください。
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