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今一番変えたいこと

私の「変えたいこと」は何

今 私が一番「変えたいこと」ってなんだろう? って ちょっと考えてみたら

  • 学校教育

  • 経済システム

  • 世界情勢

  • 日本の歴史教育

パッと思い付くのはこんなとこかな⁉️
どれも一筋縄ではいかないことばかりだなぁ。 

じゃあみんなはどう考えてるんだろう?
と検索してみたらこんなんだった。

自分のことか⁉


  • 外見(髪、肌、つめ、体型 等)

  • 生活習慣

  • 周囲の環境

  • 人間関係

 全部自分のことじゃん!
そりゃそうか。自分にできる 変えられることなんて 自分のことだけか。
「変えたい」ってのは、「変わりたい」ってことか。

私がピント外れだったことにやっと気付いた。

自分に対しての「変えたいこと」は すでに解決済み

 でもそれって そんなに考えることじゃなくねえ❓
 自分に対してできる「変えたいこと」って、「今はなにもしていないけど 変える行動を起こしたい」ってことだよなぁ。 まぁでも 「今そうしつつあること」も含まれるのか。
 「今はなにもしていないけど変えたいこと」っていうのは 「変えるのかどうなのか」を決めて、決めたことに向けた行動をするっていうこと。
 そうすれば それはもう「変えたいこと」というより、「自分を変えるためにやっていること」か「変えたこと」になる
だから、自分に対しての「変えたいこと」っていうのは「そうしたいのなら したらいい」だけの話。
 それはつまりあれこれ考えることもない すでに解決済みの話ではないのか と思ってしまうのだがどうだろう?

 そうなると 次は「自分のことではない 変えたいこと」の話になる。

自分の外側のことについての「変えたいこと」

 では、自分の外側のことに関しての「変えたいこと」。
「人間関係」や「周囲の環境」とかもそれにあたる部分はあるのかも知れないが、それらは言うても自分のこと。「自分の人間関係」であり「自分の周囲の環境」と言えるから、自分が行動を起こすことでダイレクトに「今変えつつあること」になる。

 それよりも自分の行動が影響を与えにくい自分の外側のこと。
例えば 先に挙げた「世界情勢」とか「教育問題」とか、まだまだ山ほどあるとは思うんだけど そういうことに対して、「自分が変えたいと思っている世の中の大きな問題」について 私は何かアクションを起こしているか⁉ と言えば、…そこに影響を与えられるようなことは なにもできていない。

 「変えるのかどうなのかを決める」ことは 自分の中のこととしては かろうじてできるということにするとしても 「どう行動したら良いのか」が見当もつかないことが多い。想像することさえ難しい。

仕向けられている

 こういうのって これをどうこうしようとかいうんじゃなくて、この枠組みの中でどう立ち回っていこう って考えるように仕向けられてるから、そういう風にしか考えないようになってしまってる。

 ときたまこれをどうこうしようって意見も聞くことがあるけど、それで実際にどうにかなるっていう気はしない。

 世界を変えよう❗  とか言って 看板だけは
威勢の良い言葉は聞くけど、その方法で世界が変わる気はしない。

 「変えられるのは内面的な世界。それを変えることよって 外界も変えられる。見方が変われば世界は別のものになる。」

 こんな話も聞くけど、今いちピンとこない。
 それは その人の中の世界だけ が変化するのであって、それによって苦しんでいる人々が 助かるわけではない。

今一番変えたいこと

 こうしてみると 結局「変えたいこと」などという括りの中で 「変えられるもの」など 自分のことだけではないか と思ってしまう。

 無力感。

 変えたいと思うことによって 自分には何も変えられない という 無力感に囚われてしまう。

 そんな中で 私が考えることは 自分に対しての「変えたいこと」

【「なにも変えられるわけがない」 という 無力感 に固まってしまっている 私の思考。 これこそが 私の 「今一番変えたいこと」】

これはすでに解決済みなのだろうか。



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