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思い出せない夏


ついに冷房をつけた。まだ6月だというのに京都は蒸し暑く、何をするのも気が重い。エアコンの口から出てくる風は、なぜか懐かしさを感じさせる。忙しいようで暇な、気怠いようで楽しいような、いまいち思い出せない夏が頭に浮かぶ。どんなだったか。日記が残っていればいいんだけれど。

深夜のカラオケは混沌としている。翌日のことを考える理性など残っていない状態で眠気と音圧に包まれながら、長いようで短い夜を過ごす。下宿する大学生にとって、友人と朝まで過ごせる場所は、つきまとう孤独感を塗りつぶすのにちょうどいい。

この間、あまりの忙しさに、精神的な不調を起こしてしまった。忙しさのせいにはしていたが、いつもあんな感じだったかもしれない。無気力なのは怠惰なのか、不調なのか。いつだって、自分のことが全くわからない。ただ、治したいとも思えないほどに沈んでいたことだけは確かである。

幸せかと聞かれれば幸せだと言うが、日頃から幸せだと感じているかは別の話である。そもそも、幸せというのは感情ではない。自分の中に、何かがいつも足りていない気がするが、それが何かはよくわからない。そういうものなのかもしれない。

いくら将来のためとはいえ、我慢するだけの時間を過ごすのは自分のポリシーに反するが、いつもその時間が有意義かを決めるのは未来の自分なのだ。今苦しかったことをいつか忘れてしまうのであれば、別に今も悪くないのかもしれない。ただ、今死ぬのは嫌というだけである。



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