小説「英彦(えひこ)の峰の気を負いて」抜粋⑧
筑紫亭の夜
門から少し出て、一行の到着を待っていた女将が挨拶をした。
「皆さま、ようこそ、お越しくださいました。女将でございます。今日ははるばる遠方からのお出ましで恐れ入ります」
福澤通りから、少し脇道に入った一角に料亭はあった。年月を伝える竹の塀で覆われた料亭の佇まいは、周囲と隔絶して、そこだけ歴史が息づいているような趣があった。
「女将さん、お待たせしました。今日は同級生と参りました」小幡が前に出て挨拶を返した。
やや薄暗い料亭の庭内に案内されると、水打ちがなされていて、一行は飛び石に添って玄関に進んだ。
「こちらの石碑の句は誰のかしら」庭の句碑を見つけて、何気なく岩田郁子が聞くと、女将からこの句は山頭火の作であることが伝えられた。種田山頭火も何度か、この料亭に訪れたことがあるということだった。
一行は玄関で靴を脱いだ後、板の間を奥へ進んだ。
「俺はここに来るのは初めてだな、こんなところが中津にあるなんて知らなかった」福澤が感想を漏らした。
「いや、俺も去年初めて来たんだよ、なかなかの身分じゃないと来れないよ」小幡は東京からの客を連れて料亭を訪れていた。
「私は子供の頃から親戚のお祝い事があるとよく来てたわよ。でも、ここ数十年は機会がなかったわね。改めて、ここの雰囲気、いいわね」岩田郁子も感慨深げに後ろからついて来た。
岩田の親戚の多くも医者だった。江戸時代から中津藩は蘭学が盛んで、オランダ語の『解体新書』を翻訳したのは江戸の中津藩にいた前野良沢だった。そのことを中津の医者は誇りに思っていた。そして、中津の医者は地域の名士にもなっていた。
床の間がある広い部屋に通され、着席すると、橋本雅子が女将に聞いた。
「私はこちらは初めて、何か落ち着きますね。女将さんもお着物がよくお似合いで素敵。こちらの料亭はかなり古いんでしょう」
「お蔭様でこの料亭も明治の頃に主人の家が始めまして120年になりました。実は、主人が亡くなりまして30年が経ちましたの。女手一人でどうにかこの料亭を守ってきました。今は、息子が料理長をしておりまして、娘たちも手伝ってくれております」和服姿の女将が応えた。
「あら、そうでしたか、それは受け継がれて大変だったでしょう。こちらのお部屋のしつらえを見ると、ご主人、先代の方々のご趣味が大変宜しかったと思いますが」橋本が話を続けた。
「そう仰っていただいて、ありがとうございます。そうですね、私も、最初にこの料亭に来ました時に、ここには何か日本文化のすべてが備わってるように感じましたの。料亭ですので、お客様をもてなして、お料理を堪能していただく場所ですが、私はこの建物や庭の雰囲気が大変気に入りまして、もちろん、主人も素敵だったので嫁に来たんですけど、運命的な出会いを感じたんですの」
「そうでしたか、素敵、そうした出会いは素晴らしいですね、私、憧れちゃう」
橋本雅子と女将の話は途切れることなく続きそうな気配だったが、途中、料理が運ばれ、酒も全員に回ったところで、座は始まった。
「では、皆さん、ここは私が音頭を取らせていただきます。今日はお疲れさまでした。これから、ゆっくり女将さんの話も聞きながら、良い時間を過ごしましょう、乾杯!」朝吹が杯を上げ、全員が大きな声で唱和した。
それから、女将は一通り料亭の歴史を語った。戦後、東京から皇室を含め、数多くの著名人士が訪れた由緒ある所だと聞き、座の雰囲気は盛り上がった。朝吹は料亭には何度か、代議士や県会議員と足を運んだことがあったが、この日は女将からゆっくりと話が聞けるのを楽しみにしていた。
「我々も、立派な方々が来られた場所に集まれたことを光栄に思います。俺なんか、こうした雰囲気は圧倒されちゃうな、ちょっと緊張するよ」平田は恐縮しながら、話についていった。次々に料理が出されて、メンバーは舌鼓を打った。
「東京の料理屋では味わえない、なんというか、体にやさしいというか、美味しいよね、段々、体が温かくなってきたよ」福澤が杯を傾けながら上気した顔で話を出した。
「うちは土地の旬の素材を活かして、丹精込めて調理をさせていただいています。医食同源といいますか、食べ物で健康は決まると思いますの。ここでは、地元の山や川、海で採れた、体にいいものばかりですから安心してお召し上がりください。後で、名物の鱧のしゃぶしゃぶも出ますので、お楽しみにしてください」女将が話を継いだ。
女将の説明によると、京都の妙心寺派の管長、河野太通さんや中国の老荘思想の権威、福永光司京大教授が、いずれも中津の出身で、よく料亭を訪ねて来られたとのこと。女将はその二人から色々なことを学んだという。そして、建築家の槙文彦さんからは建物を褒められ、二度と現代の技術では再建できないので守り続けなさいと励まされ、日本を代表する自動車会社の社長さんも何度か尋ねて来て、建物や書、掛け軸に感心されていたとのことだった。
「昔は、西の博多、東の中津と言いましてね、中津も博多と同様、港で栄えておりまして、町には料亭が何十軒もあったんですよ。この辺りは呉服屋さんもたくさん軒を連ねていたようです。中津は福澤先生をはじめ、多くの人士を輩出してますでしょう。中津の自然の恵みや文化の下で、昔から人材を輩出してきた、すごく底力のある町だと思いますよ」女将の話は続いた。
「しかし、女将さんは中津の歴史の生き字引ですね、勉強になります。昔の町に賑わいは初めて聞く話ですし、こちらの料亭にも、それほど、多くの一流人士が来られたとは知りませんでした。何か、故郷を自慢したくなりました。ありがとうございます」福澤は女将から話を聞きながら嬉しそうだった。
「女将さん、私もこうした生きた歴史の話を聞くことはなかったので、益々、故郷の歴史と筑紫亭に興味が湧いてきました。また今度、ゆっくりお話しを聞かせてください。俺、小説も書いてるので取材したいな」平田も女将の話を聞いて身を乗り出していた。
「昔、城山三郎の『指揮官たちの特攻』という小説を読んだことがあります。確か、こちらの料亭のどこかの部屋に、特攻に出る前の若い兵士たちが酔って日本刀で柱や鴨居に傷をつけた跡がある、という話があった気がします」朝吹は特攻隊の出撃基地となった鹿児島の知覧が選挙区に入っており、戦前の話を多く聞き知っていた。中津の隣の町、宇佐には戦前、海軍航空隊の訓練場があり、特攻の基地にもなっていた。そこの将校らが料亭を利用していたことも朝吹は知っていた。
「はい、宜しければ後ほど、そちらのお部屋にもご案内します。城山先生も何度かお越しいただきました。私も、小説の中に女将として少し出させていただいてます」
コロナでしばらく開催できなかったようだが、ベルリン・フィルが来日した際に、演奏者の何人かが、筑紫亭まで足を運び小さな演奏会を催していたとのこと。女将はクラシックが大好きで、演奏家との出会いは夢のようだと語っていた。その話を聞きながら、岩田は何かアイデアが思いついたような表情を見せた。
「確かに、日本の伝統文化と建築と、そして、西洋の音楽や芸術、何かミスマッチだけど面白そう、私も一度、料亭で現代アートの展示会が開きたいわ」
「それ、いいね、私も手伝いたい」橋本が岩田のアイデアに飛びついた。
「ありがとうございます。是非、色々とご提案くださいませ。最近、若い方や外国人のお客様もお見えになるんですよ」女将が話に応じた。
部屋の縁側からは苔むした中庭が見渡せた。ゆったりとした空間で食事をしながら、賑やかな会話が途切れることはなかった。女将はずっと傍に控え、会話を共にしていた。最後は、抹茶や珍しいデザートの巻繊(けんちん)が出され、参加者は満足げだった。
食事が終えた頃、料理長が挨拶に来た。
「皆さん、大将は私の大学の後輩なんですよ。滋賀県の有名な料亭で修行されて、こちらに戻られて来ました。料亭は、数年前にミシュランの星も取ってるんですよね。東京のお客さんと中津に来ることがあれば、是非、こちらの料亭を案内してください、よろしくお願いします」小幡は、大将の脇に立ちながら、嬉しそうな表情で宣伝するのを忘れなかった。そして、自己紹介する息子の料理長を女将は目を細めて眺めていた。
帰り間際、女将は一通り料亭の中を案内し、掛け軸や屏風の書画の由縁を説明した。
「こちらの建築は素晴らしいですね、材料は古くても、部屋が生き生きしてますね、掃除も行き届いてらっしゃるし。なかなか、このレベルを保てるところは、日本全国を回っても数えるほどしかないんじゃないかしら。でも、建物を維持するのは大変でしょう、市とか国からの支援はあるんでしょうか?」岩田が女将に質問をした。
「ありがとうございます。そう評価していただいて。お蔭様で、建物が呼吸して生きているようだと建築家の先生にも言われたことがあります。でも、本当に建物の維持は大変ですの。これまで一切、行政からの支援はなかったんですよ。でも、最近、文化庁から賞を頂だいしまして、ようやく外壁の改修はさせていただいています。日本の食を大切に守っていることが評価されましたの」女将がよくぞ聞いてくれたとばかりに、質問に答えた。
「そうでしたか、ぜひ、こちらの建物はお守りいただきたいですね。色々と勉強になりました。ありがとうございました」岩田は礼を言った。
「なんか、体がポッカポカになったな」、「そう、私も」、「俺もだ」
料亭を出ると、メンバーの中から感想が漏れた。女将のレクチャー付きのディナーを誰もが満足したようだった。
「小幡、ナイスチョイスだったよ、素晴らしかった」小幡は背中から福澤に声をかけられ、ほっとした。空を見上げると満月が夜を照らしていた。
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