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議論の必要性

「○○について深く議論しなければならない。」
「○○について徹底的に議論していきます。」
情報番組などでよく耳にする言葉。

きっと世の中の至るところで何かしらの議論が行われているんだと思う。
けど、議論ってそんなに頻繁にやる必要あるの?
と思うことが増えました。
世の中の会議は実はほとんど必要ない、なんて話もありますが、議論も同じなんじゃないかと思います。
本当に必要な議論というのはそんなに多くなくて、無駄な議論がたくさん存在している気がします。

世の中には多くの課題があります。
震災が起きたり、未知のウイルスが登場したりといった自然災害に関する課題。
あるいは少子化などの社会における課題もあります。
こういった社会課題は解決する必要がありますし、そのためには議論を重ねることは大事だと思います。

ただ、世の中には数多くの書籍や論文が存在しているし、頭の良い人もたくさんいる。
社会課題と向き合っていろいろなサービスや製品を生み出しいる企業もある。
これだけ多くの書籍、論文、情報、サービス、製品が存在している社会において、ほとんどの議論は既に最適解がきっとどこかに存在していて、議論に多くの時間を費やすよりも、その最適解を探すことに力を入れた方が良いのではないかと思ってしまいます。

未知なる解決策を見つけるための本当に有意義な議論というのは、議題について深く研究をしていて、かつ社会課題に対して高い問題意識を持っている人同士で行わなければきっと効果は薄いです。

自分たちがどれだけ知恵を絞って議論を進めていたとしても、自分たちよりも経験や知識が豊富で、高い視座で物事を見ている人からすれば、レベルの低い無駄な議論をしているように見えているのだろうな、と思います。

議論をする流れになった時には、解決すべき課題を明確にして、既に解決策がないかどうかを探すところから始めるべきでしょう。
そして、解決策がないとするなら、議論に参加する全員が事前にできる限りの情報収集と準備、そして認識の共有をすることで、本当に有意義な議論になるのだと思います。

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