多様性を認めない人を受け入れる多様性はきっと不健全だと思う

自己矛盾劇場という個人的に好きな本があります。
本の紹介記事は過去のnoteに書いたので興味がある方はそちらをご覧ください。

自己矛盾とは、自己の中で矛盾が生じている状況のこと。
この本の中で自己矛盾している事例として、「多様性を受け入れろ」という発言が出てきます。
多様性というのは様々な価値観、異なる価値観を受け入れていこうという考え方。ということは、多様性を認めていない人を認めることも多様性の1つです。
そう考えると、「多様性を受け入れろ」という発言は確かに自己矛盾しています。

時代の変化が早い現在の社会の中で、多様な価値観を持つ人で組織・チームを作ることは非常に重要だと思います。
これについてもちょっと前に記事を書いたのでそちらを参照ください。

多様性、大事だと思います。
ただ、私は多様性を認めない人を多様性の輪の中に入れるのはすごく嫌です。それがたとえ自己矛盾した主張だとしても。

多様性を認めない人とはどんな人かというと、私が思うに一番分かりやすい例はネットで誹謗中傷をしている人です。

今や社会問題になっているネット上の誹謗中傷。
自分の名前も出さずにネットで赤の他人の価値観を否定、ひどい場合には人格も否定する。
明らかに多様性からかけ離れていると思います。
多様性を「様々な価値観を受け入れる」という意味でとらえるならば、他人を誹謗中傷する人も認めるということになりますが、果たしてそのような人も同じ組織・チームに受け入れるべきなのでしょうか。
私はできれば受け入れたくない。

様々な価値観を混ぜ合わせたほうが明らかに組織は強くなりますが、他人を誹謗中傷するような想像力の欠けた人が同じ組織・チームにいると、おそらくその組織・チームの空気感や生産性は悪くなる気がします。
何のエビデンスもないただの仮説にすぎませんが、何となくそんな気がしている。

多様性という言葉は、お互いが多様性を認めている人たちが集まることで初めて効果を発揮するものであると考えます。

とはいっても、多様性を認めない人が社会の中で活躍できずに取りこぼされるのもそれはそれで問題なのかもしれない。
社会から取り残された人が増えることでより誹謗中傷が増えるような気もします。
誹謗中傷をしない人、多様性を認める人が多くなるような社会システムを目指すのか、それとも多様性を認めない人も受け入れたうえで誰もが活躍して幸せになれる社会を目指すのか。

難しい社会課題ですが、どこかに希望があると信じて生きていくしかないのかもしれない。

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