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メンバーが対等なコミュニティほど責任者が必要

メンバーが皆対等な立場にあるコミュニティはすごく気楽です。例えば、仲が良い人同士のLINEグループなどがその典型。地元の友人同士のグループ、職場の同期によるグループ、高校の同級生・大学の同級生によるグループ、などなど。こういったゆるいグループは、お互いが気を使わなくてもいいし、何を言っても怒られない、居心地の良いグループになる。けど、このような居心地の良いグループは、いざ集まってみんなで何かをしようとする場面ではすごく弱かったりする。

それぞれのメンバーが対等な立場のコミュニティは、誰がどんな発言をしても良い空気感があり、それはすごく良い面であると思う。一方で、このようなコミュニティでは、誰かが質問を投げ掛けたとしても、答える人が極端に少ない。発言するのも自由な反面、発言しないもの自由。この特徴はコミュニティの人数が多ければ多いほど顕著で、人数が多ければ多いほど、質問に対して返事をする人の割合は減ってゆく。

例えば、誰かが「みんなで集まって飲みに行こう」と投げ掛けたとする。その問いかけに対して返事をするのは、グループの中のごく一部で、結局うやむやなまま時が流れ、実現しないまま終わってしまったりする。多分こういう事例は世の中の至る所で起きているのだと思う。この問題を解決する手段は、「責任者を決める」か「役割分担を明確にする」のどちらかしかない。

例えば、「集まって飲みにいこう」と誰かが発言したとする。この時、責任者がいなければ、お互いが「お店・日程などは誰かが決めてくれるだろう」と思い、結局何も決まらないままに時間が過ぎて行く。

責任者が決まっていれば、責任者はその責任から、場所や日程を決めるための的確な質問を選んで投げかけることが出来る。責任者以外のメンバーも、誰に何の情報を提供すればよいかが明確になっているので、コミュニケーションがスムーズになって、結果的に物事が早く決まる。

「コミュニケーションをもっと密にすれば解決する」という意見もある。けど、個人的にはそれでは解決しないように思う。責任者が決まっていない話し合いは、質問する側も自分には責任がないという意識から質問内容が雑になる。質問に答える側も、誰に何を答えれば決まるのかがいまいちピンとこない。何かを決める時には、会話の数が多いところで決まるスピードが早まるわけではない。むしろ各々が自分勝手な意見を言って、収集がつかなくなったりする。結局のところ、何かを決める話し合いをするときは、責任者を作ってしまうのが手っ取り早いと思う。

私の場合、地元の友人のLINEグループでこのようなことがよく起こる。飲みに行く計画が企画されることがよくあるが、責任者が不在のまま、ギリギリまで詳細があやふやになって消滅してしまうことも何度か。
去年は1年を通して、グループメンバーの誕生日を祝う集まりをしたのだが、その時には事前に幹事を決めていたこともあり、全ての誕生日で比較的スムーズだった。そのことを考えても、やはり責任者を作ることは大事なんだと思う。

日本人はやたらと責任逃れをしたがる人種なので、何かを決める時には、みんなで仲良く話し合って決めようとする思考が働いてしまうのかもしれない。また、日本人は役割を与えてあげれば行動が早いが、役割を与えられないと何も出来ないとも聞いたことがある。リーダーを決めて責任を押し付けるのが嫌なのであれば、最初に明確に役割分担をして責任の所在を決めておくことが必要なのかもしれない。

それにしても、いい大人が何人も集まって結局何も決まらない、そんなコミュニティが世の中にたくさんあるのだとしたら、大災害が起きた時や、コロナ以上のパンデミックが起こってしまった時、一体この国はどうなってしまうんだろうか、、、


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