大人になって女将さんと呼ばれるようになるとは思いもしない幼少時代

今でこそ
「女将さん」と毎日のように呼ばれ、息子に至っては店の中だけに関わらず、外出先でも「女将はどれにする」等と呼び💦笑笑「お母さん」とか「ママ」とも呼ばれたことはない。
でも、名古屋生まれで名古屋城の城下町で育った私は、姉と2人兄弟の末の子で、勝ち気で、どちらかと言えば男勝りの、お遊びもおままごと等とほぼしたことなく、近所の男の子とバトルごっこしてたりのヤンチャさんでした。ただ、人見知りも激しく、知ってる親戚の人でも、突然の来訪は嫌いで、自分の部屋に引きこもると言う、今の私からは想像もつかないとよく言われます。

私が子供の頃の名古屋市の小学校は
部活が盛んで、私が通っていた「金城小学校」は「陸上部」「ポートボール部」「サッカー部」「野球部」「相撲部」「水泳部」「ソフトボール部」と、運動部だけでもざつとこれだけあり、ひしめくように夜遅くまで練習する毎日でした。
狭いグランドを取り合って練習するので、気を付けないといきなり横から、サッカーボールや野球ボールが飛んで来るという、今だったら、絶対何処かの親さんからクレーム来たでしょ!って言うくらいスリリングな部活生活。
私は「ソフトボール部」でポジションはなんと!
「キャッチャー」
どちらかと言えば、体型が逆三角形で遠投が得意(ソフトボール投げで陸上部も兼務してました)
何より
顧問の先生曰く、私達の代のピッチャーの子達はとても優秀で、小学生にも関わらず、変化球なんかも投げれる子達で、受けれる子があまりいなかったから💦私だけ受けるときに目をつぶらなかったから…が、私をキャッチャーに任命した理由のようで笑笑
人付き合いが奥手な所がある割には
度胸が良いのは当時から変わってないかもです。

とても熱心顧問の先生に恵まれ
今思えば
学校生活で一番楽しかった時代

そして、この時に務めた「キャッチャー」という
ポジションが今でも私の人生の立ち位置を示してる気がしています。