喜想菴女将のひとりごと

はじめまして。喜想菴女将の鈴木美和です。ほんの少しの田舎で、お料理屋を昔気質の陶芸好き…

喜想菴女将のひとりごと

はじめまして。喜想菴女将の鈴木美和です。ほんの少しの田舎で、お料理屋を昔気質の陶芸好きの主人と息子と営んでいます。お料理への想い。器への想い。恥ずかしくない最低限のマナー。各種ご案内。綴っていきます。よろしくお付き合い下されば嬉しく思います。

最近の記事

料理の東大で学んだこと

大学受験を失敗し、結局選んだ道は、調理師学校。そもそも、食べることが大好きに加えて、今まで経験してきたアルバイトが全て飲食店だったということと、何より、食べ物屋さんで働ければどんな時代になっても食べることだけには困らないだろう。ということをなぜか思ったから。 その頃 「料理の東大」と言っていた辻調理師専門学校は、飛ぶ鳥を落とす勢いの料理学校だったと思います。 大学を落ちてからの、急遽の学校見学も、交通費は学校が持ってくれ(勿論新幹線代もです。凄くないですか)ただで大阪見学も

    • 大学受験失敗からの人生の転機 良かったのか悪かったのか?

      スポーツを満喫し、汗と涙のソフトボール部でチーム内の人間関係のあれこれも今思えば、楽しかった小学校時代。 それに引き換え、時代的にも学級崩壊が叫ばれた時代でヤンチャな子も多く、愉しい想い出があまりなかった中学時代。 おまけに、とある先生によって至っては、事ある毎に「お姉ちゃんは何でも出来たのに、貴方は違うね」言われ、落ち込んだ。 うすうすは、土台はあったものの、私の中で姉へのコンプレックスがはっきり芽生えたのはこの頃だと思う。姉はどちらかと言えば、可愛らしく、愛嬌もあり人気者

      • 大人になって女将さんと呼ばれるようになるとは思いもしない幼少時代

        今でこそ 「女将さん」と毎日のように呼ばれ、息子に至っては店の中だけに関わらず、外出先でも「女将はどれにする」等と呼び💦笑笑「お母さん」とか「ママ」とも呼ばれたことはない。 でも、名古屋生まれで名古屋城の城下町で育った私は、姉と2人兄弟の末の子で、勝ち気で、どちらかと言えば男勝りの、お遊びもおままごと等とほぼしたことなく、近所の男の子とバトルごっこしてたりのヤンチャさんでした。ただ、人見知りも激しく、知ってる親戚の人でも、突然の来訪は嫌いで、自分の部屋に引きこもると言う、今の

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